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王の密命 ②

「ジムリ・リム陛下はどちらにいらっしゃいますか。話をさせてください」


「な……急になによ。陛下はあなたに会う暇などない。ここで大人しくバビルが滅びるのを見届けなさい」


「過激派は黙ってて!」


 カッとなって、つい口が滑ってしまった。

 

 それがいけなかった。

 シブトゥさんがブチギレた。


「はぁ?!あなた何様のつもり?!……もういい、この無礼な女を地下牢へ連れて行きなさい!」


 怖い顔をした警備の兵たちがズカズカ入ってきて、あっという間に腕や頭を掴まれた。


「……ちょっと!『神からの贈り物』になにするんですか!それに私はジムリ・リム陛下の祝福を受けています!変なことをすればバチが当たりますよ!」


「とっくにあたっている。ヤリムが死んだじゃない。ヤリムはあなたのせいで死んだのよ!」


「ちが…………!」


「あなたが無謀な提案なぞしなければヤリムは死なずに済んだ!全部……全部あなたのせいよ!!」


 そうやって声を荒げて吐き出したシブトゥさんの顔は……今にも泣き出しそうに歪められていた。


 今まであんなに淡々としていたのに。その変わりように驚いた。


 そんな顔を見られたくなかったのか、シブトゥさんはくるりと背を向け行ってしまう。


 私は必死の抵抗虚しく、暗く冷たい地下牢にいれられた。


◇◇◇


 どうやら今晩、マリの王宮は平和らしい。

 地下牢の客人は私だけだった。


 そこは暗く、入り口の松明だけが唯一のあかり。それに無駄に広い空間で、まるで宇宙にポツンと投げ出されたかのよう。


 膝を抱えて座る。


 あまりに心細く、番兵に話しかけたりもしたが無視された。般若心経を唱えたら流石にそれは気になったのか、気味悪がられて止められた。


 これは、ついに「合言葉」の出番だろうか……


 うつらうつらしていると、物音の気配に目が覚めた。誰かが番兵と話している。


 少しして番兵が離れ、その誰かが近づいてきた。その人影は牢の前で止まり、しゃがんで声をかけてきた。


 それは銀色の髪の、体格のいい男ーー


「ノアノア」


「……ジムリ・リム陛下?」


「あぁ。こんな所に入れてしまって……ほんまに悪かった。話がしたい。少しこっちにきてくれるか?」


 その声は小さかったが、優しかった。立ち上がり近寄った。

 

 王はさらに声をひそめて話し出す。


「……大丈夫か?」


「だめです」


「だよな。さらに悲しいお知らせや。……伝令から報告があった。ヒートの街でギルガメシュXがお披露目された。たった1体で城壁を破壊し、兵たちをゴミ屑のように蹴散らしたらしい。ヒートが早々に白旗をあげたらか、幸い街の被害は少なくて済んだが」


「…………!」


 恐れていたことが始まった。


 ラピクムからここまで、マリ支配下の都市がいくつかある。ウルさんはその全てを蹂躙して北上するつもりなのだろうか。


「相当恐ろしかったみたいやな。早馬に乗っていた使者は報告の間終始震えていた。ノアノアの言っていた通りになりそうだ」


「陛下……」


「それに、北からはハンムラビとダダ将軍、占い師のカカルクムが率いる軍団が向かってきている。船で一気に降りてくるぞ。ダガンもいるらしい。ちなみに南から来るウル・シンの軍には、ムト将軍とリム将軍がいるそうだ。豪華メンバー大集結やな」


 陛下とムト、ダガンさんの名前以外はよく知らないが、敵国の王が知っているくらいなんだ。きっとバビルでも名高い武将達なんだろう。


「シブトゥはマリは負けんと言っているが……もうこれはあかんな。ハンムラビのもとには別の外交官を送ったが、どうだかな。ヤリムほど交渉が上手い男はいないからな」


「ヤリム…………」


 その名を呟くと、ジムリ・リムは足に目を落とした。


「……ヤリム、ええ男やったろ。顔も頭もよくてな」


「……はい」


「でもな、欠点もあった。あいつほんまにしょっちゅう女性トラブルを起こすんや」


「わかる気がします……」


「あいつのそばにいる女性は、たとえ夫がいようとみんなあいつを好きになる。……なんやろな、ヤリムは女性の心に付け入るんが上手いんだろうな……」


「そう、ですね……」


「だから仕方ないよな。あいつに惚れちまうのはな、仕方ないことなんやろな……」


 そう、自分を慰めるかのように呟いて、牢のすみ、闇を見つめるジムリ・リム。


 その目線、その切なげな声で、彼がシブトゥさんの秘めたる想いに気づいていたのだと、わかった。


 ーーそうだ、シブトゥさん。シブトゥさんが聞いてくれなかった話をしなくては。


「陛下……万が一に備え、街の人々を避難させることはできませんか。ヤリムはマリの人々を守りたいと言っていました」


「民をか?」


「はい。大好きなこの国の人を守りたいと。だから絶対、全員玉砕なんてしちゃダメです」


「…………」


 ジムリ・リムはしばらく押し黙った。


 敵国の王様にこんな口をきくなんて、怖いもの知らずにもほどがある自覚はある。でも、それだけは伝えたかった。


 ジムリ・リムはゆっくり口を開いた。


「こんなとこに捕まってても、ノアノアはマリの民のことを考えてくれるんやな」


「そんな立派なものじゃないです。でも……ヤリムの気持ちを無駄にしたくなくて」


「ヤリムが君を信じたのがよくわかる。君はほんまに『神からの贈り物』なんやな」


 ジムリ・リムはしみじみと呟いた。そして、さらに声を潜めて、囁いた。

 

「それじゃあな、ノアノア、俺は『囚人が自分を刺した!』言うてここを出てく。番兵に医師を呼びに行かせるから、その隙にここを出るんや。ノアノアが囚われの身なことは王宮の人間もほとんど知らんから、堂々と歩いていればバレへんよ。……ここ上がって左側の門に向かうんや。そっちは見張りが手薄だからな、そっから外に出れる」


「……陛下…………!」


「だがまだヤリムを刺した犯人……ヤスマフやな、そいつは見つかっとらん。あれは何が狙いかよくわからん。気いつけてな。はい、これ短剣。なんかに使えるやろ。持ってきな」


「あ……ありがとうございます」


 敵国の女を密かに逃そうとしてくれている、ジムリ・リム。


 胸がいっぱいになる。受け取った金色の短剣を服の中にしまい、頭を下げる。


「普通に逃してやりたいけど、そうするとまたシブトゥが怒るからなぁ。ごめんな」


 顔を上げたら、王は困った表情を浮かべていた。


 きっと……この人と会うのも最後だろう。

 ふと、疑問に思っていたことを尋ねる。


「陛下、シブトゥさんは……なぜかたくなにマリは負けないとおっしゃるのでしょう」

 

「一度言い出したことを今更引っ込められへんのやろ。シブトゥはずっと、マリの勝利を叫んで民を励ましてきた」


「そうはいっても……国を率いる立場として……どうなんでしょう。民を守るのが王と王妃の役割ではないのですか」


「そやな。地上に正義をもたらすんが、王が神より与えられた役割だ。でもシブトゥにとっての正義はああいう形なんやろな。民を鼓舞し、マリの民としての尊厳を守る。そういう守り方なんや」


「……陛下は……それでいいのですか。私には、陛下はシブトゥさんとは違う意見をお持ちのように見えます」

 

 ジムリ・リムは銀色の頭を掻いた。

 

「……そやな。でもしゃーない。俺はシブトゥには逆らえない」


「なぜですか?」


「惚れた弱みやな」


 王は苦笑した。


「…………」


「王といっても……女心ひとつ思い通りにはいかないなぁ」


「…………」


 無理矢理明るく告げられた言葉に、何も言えなくなった。


 口を閉ざしていると、王は耳元にぐっと綺麗な顔を寄せてきた。


「それと……これもシブトゥに怒られるからな、ノアノアにこっそり頼みたいんやけど……」


「……なんでしょう?」


◇◇◇


 ――そうして、王の密命を承諾したあと。


 牢のかんぬきが開かれ、ジムリ・リムが計画した通りにことは進み、私は息を潜めて地下牢を出た。


 心臓を激しく打ち鳴らせながら、でもあくまで自然体を装って、夜のマリの王宮を歩く。走り出したくなるのを堪えながら、歩く。


 門番さんに声をかけられる。


「レディ、こんな遅くにどちらへ?」


「こんばんは。自宅に忘れ物をしてしまって。あの薬がないと、私夜寝付けないんです」


「そうですか。ご自宅は『第一の壁(ウォール・ファースト)』の内側で?」


 ーー「第一の壁(ウォール・ファースト)」? なんだそれ。わからないが、怪しまれるのは怖い。適当に流す。


「あ……はい、そうです」


「ならよかった。外側のエリアは夜は特に危険ですからね」


「ありがとうございます。でも私にはソーランブシで鍛えた屈強な足腰がありますから」


「なんですかそれは?」


「東方に伝わる特殊な舞踊です」


「そ、そうですか……お気をつけて」

 

 ぺこりと礼をして門を出て、少し坂を下り、王宮の外に出た。

 

 そうしてやっと……


 やっとまともに呼吸ができた。

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