晴れ渡る空の下 ①
柔らかな光が差し込んで、朝が来たのを知る。
明かり取りの窓から見える、空は青かった。
目を開ける。
拳4つ分くらい先に、綺麗な寝顔があった。
滑らかな褐色の肌、無駄のない輪郭、長いまつ毛。
それらを覆う、少し長めの黒い髪。
規則的に聞こえてくる寝息。自分で言っていたけど、黙っていればヤリムは本当に美形だ。まあ、陛下には及ばないけど。
この人はーーアーシャちゃんを騙して情報を聞き出し、陛下の暗殺を企てた。ムトやアーシャちゃんに酷いことをした。前はこの顔が憎くて仕方なかった。
それが今は安心感をくれるなんて。この人と敵国マリの王宮内で、同じ寝所でぐっすり寝れて、しかも目覚めてホッとするなんて。あの時は思いもしなかった。
これは……
陛下に怒られちゃうかなぁ……
どうかヤリムが、陛下に余計なことをしゃべりませんように。
「……ん? ノアノアぁ……もう起きた……?」
寝台から出て、昨晩文字を刻んだ粘土板が固まったか確認していると、ヤリムがムニャムニャ動き出した。
「うん。ヤリムおはよ」
ヤリムと目が合う。まだぽーっとした顔をしていたけど、すぐにいつもの顔になる。
「あー……おはよーさん。……よし」
ヤリムはバシン!と両頬を叩き、シャンと立ち上がった。
「じゃ、出発の準備やな」
◇◇◇
朝食をいただく。
それからヤリムはジムリ・リムと2人で話をしにいき、粘土板文書を受け取って戻ってきた。
「もちろんこれだけではないぞ、ノアノア。ギルガメシュXに対抗するため、各部族から選りすぐりの戦士をマリに集結させとるからな」
一緒に出てきたジムリ・リムは胸を張って言っていた。
もともと遊牧民族だというアムル人。城壁内に住む人以外にも、定住しない人たちがいるそうだ。ジムリ・リムはそういう人たちにも召集をかけ、交渉決裂に備えている。
エシュヌンナに向かうヤリムを警護するための兵達も支度をしていた。後ほどヤリムの家まで迎えにきてくれるらしい。
ヤリムと2人、マリの王宮を出る。
ふと振り返ると、王宮の窓からシブトゥさんがこちらをみていた。
「……そういえば私、こんなあっさり王宮から出ちゃっていいの? 人質なのに?」
「うん。夜も言いましたけど、しばらくウチに滞在することはボスも了承済みですから。あんな王宮におったら息苦しいやろ? うちでのんびり中庭の手入れでもしとってください」
「あ……ありがとう」
私の手を引き一歩先を軽やかに歩く、ヤツの背中がだんだん頼もしく見えてきた。
マリの街は朝から活気にあふれている。
しばらく歩いてヤリムの家に戻ると、ヤリムは使用人さんたちを集め、私を改めて紹介した。
まだ正式な婚礼はしていないけど、この人は俺の奥さんになる方や、女主人と思って真心込めて仕えてな、何かあればノアノアの指示に従うんやぞ……ヤリムはそんなことを言っていた。
「承知しました。ノア奥様」
「ノア奥様!」
使用人の方々が丁重にお辞儀をしてくれた。
外堀を埋められている感。
◇◇◇
準備されていた旅の荷物の確認が終わり、ヤリムはニッコリ微笑んだ。
「じゃ、ノアノア。元カレのとこ行ってくるな」
「元カレ言うな」
「あはは。……といっても、まだお供の兵たちはきとらんな。中庭見て待ってようかな。ノアノア、一緒に来て」
ヤリムに手首を掴まれ、中庭に出る。
昨日見た時と変わらず、すっきりと澄み渡る空の下、中庭では数々の緑が風に揺れていた。
ヤリムはまたローズマリーのそばにしゃがんで、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「俺このローズマリーの香り、大好きなんですよ」
「昨日もいっぱい香り嗅いでたもんね」
ヤリムの隣に膝を抱いてしゃがむ。ヤリムは嬉しそうに私の鼻へローズマリーの枝を近づけ、揺らした。清涼感のある香りが鼻を満たす。
「ローズマリーの香りってな、記憶力を良くする効果があるんです」
「そうなの?」
「はい。医師になる勉強しとったとき、よくこの葉をそばに置いて嗅ぎながらやっとりました」
「へぇーー」
「ノアノアもこれで俺のこと忘れんやろ」
ヤリムが上目遣いで見上げてくる。たぶん、キメ顔をしている。
「……忘れないけど、私、陛下が好きなんだよ」
「えー?そんな即答します? 普通ここまできたら、俺のことちょっとは好きになりません?」
ヤリムが不満げに片眉をクイっとあげた。
よくしてもらって悪いけど、私は陛下が好きなのだ。
「……ごめんね?」
ヤリムの頭にポンと触れると、彼は唇を思いっきり尖らせた。
「…………ノアノアのいじわる」
――『他国の外交官と付き合うなんて、ヤバいって分かっていたんですけど』――
惚れてはいけないのに。わかっていても惚れちゃったアーシャちゃんの気持ち。
ちょっとわかってしまった。その拗ねた顔が可愛いと、ちょっと思ってしまった。
雑念を追い払いたくて、ブンブン頭を横に振る。
――まさに今、災厄が向かってきているとはとても考えられない、静かな中庭の清々しい朝。
植物たちを見まわる、ヤリムの後ろをついて歩く。
だが穏やかな時間は、唐突に終わりを迎えた。
「キャーー!!!!」
突然、屋敷の中から女性の悲鳴があがった。
「え?!なに?!」
ヤリムが瞬時に目を光らせる。
「ノア様、そこの木の影の茂みのとこ入って」
「う、うん」
「いい言うまで出てきちゃだめやよ」
ヤリムは懐から短剣を出し、構えた。
言われた通りに茂みに身を隠し、息を潜める。
枝の合間からのぞく。視界は悪いが、ヤリムの足が見える。
「曲者や!」――ヤリムの声がして、その足は慎重に、悲鳴のあがった建物へ音を立てずに歩みを進めた。
だがまた、悲鳴が聞こえた。一度ではない。二度……三度。男の人の声もあった。
屋敷内で――何かが起きている!




