社畜女子、陛下に拾われる
「中川ー、会議の資料、明日までによろしくな」
「中川さん!あのデータ、保存しないで消しちゃいました!どうしましょう?!」
「ごめんね乃愛ちゃん!子供が急に熱を出しちゃって……。これ代わってもらえる?」
中川さん!
中川さーん!……
中川……さん……?!
……私は、頑張りすぎました。
「中川はもう……!限界です……ッ!!」
中川 乃愛、26歳、社畜。
仕事中、過労で倒れました。
そして、気づいた時にはーーー
◇◇◇
目が覚めたら青い空の下、倒れていた。
ふらつく体で立ち上がり、黒スーツの土ほこりを手で払い、辺りをぐるりと見回した。
倒れていたのはひときわ高い場所、巨大な建物の屋上のような場所だった。眼下には高い壁に囲まれた、土色の町が広がっている。
たぶんここは……砂漠の中の町。しかもおそらく現代ではない。文明感がない。古代のアラビアンな町……といったところか。人々はアラビア風衣装に身を包んでいて、馬や牛、ラクダの姿もチラホラ見える。くねくねした妖艶な音楽がよく似合いそうだ。
……うん。
どう見たってここは、私の戦場・東京のオフィス街ではなかった。
「……どこだここ……」
夢でも見ているのかしら。頬をつねるけどちゃんと痛い。とするともしかしてこれは、噂の「異世界に飛ばされた」というやつではないか。
……あぁ私、ついに過労死して……今月残業時間やばかったもんなぁ……時空を越えたのだろうか。異世界に……転生?転移?でもしたのだろうか。
頭をぐるぐるさせながら後ろを振り返ると、二歩ほど離れた距離に綺麗な男の人が一人、こちらを見て立っていた。
「……う、うわあああ!!」
思わず悲鳴をあげてしまった。男の人は驚いたのか、一瞬肩をビクリとさせた。
20代後半くらいだろうか。背は高く肩幅があり、やっぱりアラビア風な衣装を着ている。ミルクチョコレートみたいに艶やかな褐色の肌に、額を隠す黒い髪。瞳は透き通るエメラルド色。美しい身体の上で輝く金色の装飾品。隠しきれない高貴なオーラ。
漫画から飛び出してきたかのような、エキゾチックなイケメン!
誰がなんと言おうとイケメン。ザ・イケメン様がすぐそこにいた。
「こ…………」
こんにちは、と言いかけて口をつぐむ。このどう見ても日本人ではないイケメン様、日本語は通じるのかしら。ここは無難に英語でご挨拶した方がいいかしら? ボ……ボンジュールの方がいいかしら? 異世界って何語しゃべるのかしら?!
ひとり脳内で混乱を極めていると、イケメン様の唇が開き、動いた。
「……お前は誰だ?」
きたッッ!! 日本語だ!!
言葉が通じる安堵感に気が抜けた。ひとまず名乗ろう。
「総務課の中川です!」
つい社畜式ご挨拶をしてしまった私に、イケメン様は一瞬の間のあと、目を細めてニヤリ。
「……よし。俺の妻に迎えよう」
「え?? なんで??」
「お前はそのためにここへ来た」
「い、いいえ……???」
スピーディな展開にもほどがある。ただでさえ訳の分からない状況なのに、出会って数秒のイケメンからプロポーズ(?)されるなんて。いくらイケメンでもイケメンすぎる。
「あ……あの、実は私、なぜ自分がここにいるかわからないんです。まず、ここはどこでしょう?」
「……神殿だ」
「神殿??……って、聞いたことあるような……どこかの国にあった建物でしたっけ」
「ここはすでに我が国バビルの支配下だ」
「バビル……??」
「バビル」
知らん。
知らないけどなににしろ、ここは東京からとんでもなく遠い場所で、そんな場所に突然、私は身ひとつで来てしまった。それだけは確かなようだった。
「……とりあえず降りるか」
「?……きゃっ」
イケメン様が近づいてきて、たくましい腕にひょいと体を持ち上げられた。人生初のお姫様抱っこ、26歳。
イケメン様はそのまま、地上へと続く長い長い階段を降り始める。建物の下には無数の人が並んでいるのが見える。あの人たちはだれだろう。というかこのイケメンはだれだろう?!
……わからないが、プロポーズ(?)するくらいだしすぐに殺されたりはしないだろう。今は大人しくこの人に着いていったほうがよさそうだ。というか、それ意外に選択肢がない。
「しっかりつかまってろよ」
「は……はい」
言われたとおり首に腕を回し、しがみつく。美しいお肌が間近にあってドキドキしてしまう。しかも御身体から品のいい香りまで放たれている。イケメンってすごい。密かに胸を高鳴らせていると――
「陛下!そちらは?!」
下から男の人が急いで駆け上がってきて、イケメン様の足元でひざをついた。
それはイケメン様より少し年上くらいの、短い金髪に黒い瞳が凛々しい男の人。顔に大きな切り傷の痕があり、体格も服装も見るからに戦士!将軍!といった風貌、これまた新手のイケメンだ。
その人は腰にぶら下げた剣らしきものに手をかけ、私を見上げ睨んでくる。殺気がすごくて、思わずイケメン様の首に回していた腕に力を込めた。
「……ムト。将軍のお前がそんな顔をするとこれが怖がる」
イケメン様の言葉に思わずテンションが上がる。ほらね!!やっぱり将軍だった!!
金髪切り傷のこの人はムト将軍というらしい。
「……失礼しました。陛下、こちらのお方は?」
「光に包まれ現れた。神からの贈り物だ。俺の妻にする」
ムト将軍は目を丸くする。
私も一緒に丸くする。
「なんと……陛下、こんな不審な格好の女が、神の贈り物……?」
「見慣れない格好だよな。まさに神の連れてきた女だ」
「…………」
目を見開いたまま黙り込むムト将軍。
気持ちはわかります、将軍。
私にも意味がわかりません。神??
イケメン陛下は再び階段を降り始め、ムト将軍も眉をひそめながらそれに続く。少しでも私が変な動きをしたら切りかかってくるつもりなのだろう。怖。
それにしても……「陛下」とは。
こちらのイケメン様は、いったい何者なのだろう?
「あ、あの」
「ん?」
「陛下……のお名前を伺っても……?」
すると横からムト将軍が、
「強き王、神々に愛されし王、世界の王、偉大なるバビル王・ラビ陛下でいらっしゃる」
ご丁寧に教えてくれた。イケメン陛下はたいへん長い肩書きをお持ちでいらっしゃるようだ。
「ラビ……陛下」
「そうだ。夫になる王の名だ、よく覚えておけよ」
そう言ってニヤリと笑う、ラビ陛下。
イケメンの微笑みって心臓に悪いと心底思う。
だんだん地上が近づいてきた。下で並んでいた人たちはみな降りてくる王を見上げ、なにやらザワザワし始めた。
「王よ……先ほどの光は? その女性はまさか神が……」
誰かが声を張り上げた。その問いにラビ陛下は、私を抱え階段を降りながら答える。
「……そうだ。我は神より贈り物を授かった!」
その答えに人々が一斉に歓声をあげはじめた。
――陛下!!陛下!!陛下!!
空気を震わす陛下コールの中、ラビ陛下は階段の途中で立ち止まり、私をそっと下ろした。その数段下でムト将軍も立ち止まる。
これから何が起こるのだろう。不安で陛下を見上げると、黒い髪の向こうで輝くエメラルドの瞳が、まっすぐ優しく見下ろしてきた。
「ソームカ出身の……ナカガワと言ったか」
「あ……名字はナカガワ、名前はノアです」
「そうか。ノアの方が呼びやすいな」
ラビ陛下はそうつぶやいて頷いて、私の腰を抱いた。そして人々の方を向き、右手をあげた。
人々が黙る。陛下は声を張り上げる。
「皆に告ぐ!たった今、戦勝の褒美に神より贈り物を賜った。我バビル王・ラビは、神より賜りしこのノアを妻とする!」
「おおおおおーーー!!!」
堂々と婚姻宣言をなさるラビ陛下と、より一層大きな歓声でそれに呼応する人々。
それに、ちょっと下から睨んでくるムト将軍。
私は何が何だか、ぼうっと立ちすくむ。
展開が早すぎてついていけない。
そんな中、思い出されるのはもちろん、あのことだ。
「……あ、いけない」
「なんだ?」
「係長に修正するよう頼まれていた資料、直すの忘れてました……」
「カカリチョー?」
「係長……」
……ということで、私はこれからこのバビル王の妻になるそうです。大丈夫でしょうか。