幸せなごはん
「ボクサー崩れの男に五月お嬢さんが襲われました。そこの大山アニーくんがたまたま通りかかり、撃退してくれました」
指宿の言葉に水星丁良は眉をしかめた。
「この子どもが……?」
「そいつは見た目はチビっ子ですが、許可証持ちです」
「許可証というと……」
「ええ。それです」
指宿がうなずき、丁良はさらに眉をしかめる。
視線を浴びてアニーは照れくさそうにロレインの背中に隠れた。
「外出する時は気をつけてください」
指宿が言う。
「ちょうど同じ小学校ですので、五月さんと大根くんにはこのアニーを護衛につけます」
「今回のレジャーランドの件を妨害する目的なんですよね? 相手は中国マフィアとか?」
「はっきりはわかっていません。組織的なものなのか、あるいは一個人によるものなのか……」
「一個人だって?」
丁良が鼻で笑った。
「おい、指宿。いくら俺が恨みを買いやすい人間だからといって、一人の中国人から命を狙われる覚えはないぞ」
「ふん……。おそらくは誰かから依頼を受けたプロの殺し屋の仕事だと俺は踏んでるぞ、丁良」
「まぁ……。おまえも俺のことを、できればお縄にかけたいと思ってるんだよな?」
「あの……。いきなり丁寧語じゃなくなりましたけど──」
傍らで見ていたロレインが五月に聞く。
「お父さんと刑事さん、お知り合いなんですか?」
「幼なじみなの。小学校の頃からの腐れ縁よ。あたしが小さい頃はよく家に遊びに来てたわ」
指宿がポケットからタバコを取り出し、ここでは吸えないと気づいてすぐにしまう。そして丁良に言った。
「……おまえ、色々とヤバいことやってるよな? おまえは一人の身じゃねーんだぞ? 五月と大根のことも考えてやれ」
「ご忠告恩に着るよ」
丁良が適当に礼を言い、二人の婦人警官のほうを見た。
「……それで、私が外出する時にはあの御婦人が護衛をしてくれるのかい?」
婦人警官たちが姿勢正しく立ちながら、顔を赤くした。水星丁良の思わぬイケメンっぷりに今にもキャーキャー黄色い声を出しそうな様子だった。
「あぁ……」
指宿が声をひそめて言う。
「でもおまえ、手を出すなよ?」
「笑わせるな。妻がいなくなって寂しいのは確かだが、そこまで愛に飢えてはおらん」
「そうかい」
指宿はタバコが吸いたくて仕方がないという様子で、ウズウズしながら背を向けた。
「じゃ、俺は戻る。くれぐれも気をつけてくれ」
「ああ、ありがとう」
出て行く指宿を見送りながら、丁良が言う。
「べつに俺のバックを使えば問題ないところをご丁寧に、余計なことをしやがって」
「聞こえたぞ」
指宿が振り返った。
「バックって……、マル暴 (暴力団)かよ? いい加減にしとけ」
「はは……。冗談を言っただけだ」
「言っとくが、相手を舐めるなよ? 相手は異能力の持ち主だ。ほぼ超能力者みてーなもんだぞ。まぁ……」
指宿は再び背を向け、玄関を出て行きながら、言った。
「そこのチビも似たようなもんだがな」
夜になり、食堂に六人で座り、夕食をとった。
長いテーブルの上座に丁良が座り、五月、大根がその両隣に座る。
婦人警官が二人、少し離れて席に着き、アニーとロレインは丁良と遠くに向かい合う形で座った。
それぞれに飲み終えたスープの皿を給仕が片付ける。
「私たちまでご馳走になってしまってすみませぇん」
婦人警官たちが黄色い声で丁良に礼を言う。
「こんな……給仕さん付きのお食事なんて、初めてですぅ」
「何が出るかなっ?」
アニーが行儀よく席についてワクワクしている。
「肉まん出るかなっ?」
ロレインはなんだか不服そうな顔をして、しかし姿勢よく席に座っていた。
給仕が料理を運んできた。皿がそれぞれの前に置かれるが、ステンレスの蓋で中身が見えない。
給仕が蓋を取ると、お洒落な白身魚のムニエルが現れ、アニーが「ニャー!」と奇声をあげた。
「魚だっ!」
五月が呆れたように声をかける。
「……あんた、いっつもどんなもの食べてるの? 舌平目のムニエルごときで奇声あげちゃって──」
「いっつもは草ばっかりだぞっ」
「草って……、ほうれん草とか?」
「草だっ」
フォークとスプーンを上手に使ってムニエルを口に放り込むと、ニカッと笑う。
「そのへんに生えてる草っ! 魚もたまにだが、フナとかボラとかだぞ」
そしてじわーっと感動したようにとろけた顔になった。
「なんだこれ、うまーっ!」
ロレインは上品に、貴族のようにナイフとフォークを動かして、清楚な口の中へムニエルを入れると、にっこりと笑った。
「おいしいかっ? ロレイン」
アニーが聞く。
「懐かしいわ」
遠くを見つめるように、ロレインが答えた。
「昔はあれほど嫌ってたのに……久しぶりだと美味しく感じるものね」
「やっぱりあんた、どっかのお嬢様なの?」
五月が聞く。
「なんていうか貴族っぽいし」
「昔のことですよっ」
ロレインはにっこりと微笑んだ。
「今はただの仕事人ですからっ」
給仕が次の料理を持ってきた。
蓋が開き、皿の上の料理を見てアニーが絶叫した。
「に、肉だーーーっ!」
「はは……」
丁良が遠くの席で苦笑する。
「鴨のローストだよ。後でもっとがっつりした肉料理が出てくる。……もしかして精進料理でも毎日食べてたのかい?」
「草と、虫と、海藻ばっかりだったぞっ」
鴨のローストを頬張りながら、アニーがむせび泣く。
「ハンバーガーさえ食わせてもらえなかった!」
「ふふ……」
ロレインが嬉しそうに微笑む。
「アニー、幸せそう。幸せなお食事ね」