水星家
水星丁良は地域トップの建設会社を経営する社長である。
その人間的魅力とコネの力で、一代にして会社を大きくし、遂には今度地元に誘致される巨大レジャーランドの建設を一手に引き受けることになった。
裏ではかなり汚いこともしていると噂されているが、娘の五月も息子の大根も、そんなことはまったく知らなかった。
「わぁお!」
玄関を入るなり、アニーは螺旋階段を勢いよく駆け昇った。
その後から五月が叱りつける。
「こらっ! ちょっとは遠慮しなさいよね」
まるで五月のほうが客人で、アニーのほうがこの家の子ども──あるいは飼い猫のような、そんな光景だった。
「おおきい家だなっ!」
二階の廊下の手すりからひょこっとアニーが顔を出し、目を輝かせた。
「ロレインの家よりはちっちゃいけどなっ」
「ロレインって? 誰?」
まだ面識のない大根が首をひねる。
「あの子、どこかのお嬢様?」
五月がアニーに聞く。
「確かに品のある子だったけど」
「あっ! そうだっ!」
二階からぴょんと飛び降りてくると、アニーがスマートフォンを取り出した。
「スミカに電話しとかないとだっ」
「住処……?」
今度は五月が首をひねる。
「あんた、どこで暮らしてるの?」
それには答えず、アニーが電話をかける。
呼び出し3回で出た相手の声が、少し離れたところにいても五月の耳にはっきりと聞こえてきた。
『アニー? 何してる? 早く帰ってこいっ!』
女の子のような、声変わりしていない男の子のような、甲高い声だった。電話越しにでもはっきり聞こえるほどの大声だ。
「スミカ。俺、オメガレッドの家に泊まるぞ」
『はあ!? オメガレッドだと!? そんなバケモノの家なんかで遊んでないで早く帰ってこいっ! 仕事はいくらでもあるんだぞっ! 薪割りから、道場の掃除から──』
「ロレインも一緒に泊まるぞっ。しばらく帰らん」
『何言ってんだーーっ!? おまえらが帰って来ないと、ボクが師範代にこき使われ──』
「そんじゃなっ。ピッ」
口で電話を切る音を言いながら、アニーが相手の声を消した。
五月が聞く。
「今の、誰?」
「いとこのスミカだっ」
「スミカって……名前? 女の子?」
「どっちかわからん」
めんどくさいので五月は会話を打ち切った。
「……あんたの部屋に案内するわ」
「おうっ!? 俺の部屋があるのかっ!?」
「そりゃお客さんだもの。……っていうか、用心棒だっけ」
玄関から近い部屋を貸し与えろと指宿捜査官に言われていた。ちょうど使用人の控え室が玄関から近い場所にあるので、そこへ案内する。
「家に入ってすぐの部屋だなっ」
「ここなら誰かが家に侵入して来ても、全方向に駆けつけられるわ」
木製の軽い扉を開くと、8畳の和室だった。ゴチャゴチャと物が置いてあり、物置も兼ねているようだ。
「釣り竿だっ!」
壁に立てかけてある『ままかつ』の釣り竿を手に取ってアニーが興奮する。
「こんなものがあるとは……さすがはオメガレッドの家だなっ」
ピウ、ピウと風切り音を立てて釣り竿を振り回す。
「だからオメガレッドって何なのよ……」
五月がため息を吐く。
「とりあえずここにあるものは何でも自由に使ってくれていいわ。布団もあるし──」
「お茶もあるなっ!」
座卓の上に置かれた湯沸かしポットと湯飲みをいちいち持ち上げて、アニーがはしゃぐ。
「お茶が飲み放題だっ! キャホー!」
「ところであんた……」
座布団の上に正座すると、五月が聞いた。
「本当に殺し屋なの? 殺人許可証って、本物?」
「ああっ。ポリスメンも知ってただろっ?」
「物騒な子だったのね……。あんたのクラスメイトたちにもこれで距離を置かれちゃうんじゃない? せっかく仲良くなったみたいだったのに」
傍らで大根が黙ってうつむいた。
「仕方ないっ。これ、殺し屋のさだめっ」
アニーがそう言って、大根に聞いた。
「俺のこと、怖いかっ?」
「え……」
大根が顔を上げた。
アニーを見る。
ちっとも怖くは見えなかった。無邪気で、あかるくて、ちっちゃくて、まるで仲良くしてくれる人間にはけっして爪は出さない優しい猫みたいだった。
「いいや」
笑って、首を横に振る。
「みんなもびっくりしたただけで、変わらず仲良くしてくれると思うよ。……アニーちゃん、正義の味方って感じだもん」
「そうかっ!」
アニーが喜んだ。
「そうか、そうかっ! よし一緒に遊ぶぞっ!」
ドアがノックされ、入ってきたメイドが五月に報せた。
「お嬢様、警察の方がお見えです」
入ってきたのは指宿だった。婦人警官を二人連れている。五月を見ると適当に頭を下げ、言った。
「今日からこの二人を警備につける。この家のセキュリティーが厳重なのは知ってるが、念のためだ。まぁ……」
アニーのほうをチラリと見た。
「そこのチビがついてれば必要はないんだろうけどな」
後からチャイムが鳴った。
メイドが玄関のドアを開けると、ぱあっと嬉しそうな微笑みを浮かべてロレインが入ってきた。
「これからこちらにお世話になれると聞いて──」
「ロレインっ!」
アニーが一瞬で駆け寄った。
「家だぞっ! 家で寝られるぞっ!」
「ええ、アニー。もう、あの寒くて固い道場の床で寝なくていいのねっ」
「家っていいよな!」
「家っていいよね!」
「……おまえ、今までどんな生活してたんだ」
指宿が呆れたように言う。
「まるで飼い主にありついた野良猫だな。……あと、そっちのお嬢さんは──」
「あっ。飼いうさぎですっ」
ロレインがにっこり微笑んだ。
「よろしくお願いします」
「安心しろ、オメガレッド」
アニーもニカッと微笑んだ。
「俺とロレインが揃えば最強だっ。必ずおまえを守ってやるっ」
「旦那様がお帰りです」
メイドが言った。
玄関のドアを開け、入って来たのはまだ若い、五月によく似た美しい顔をした細身の男だった。
「水星さん、お邪魔してます」
指宿が挨拶すると、ほんとうに邪魔そうな目を一瞬向けてから、男が愛想笑いを浮かべる。
「おおっ」
アニーが口から漏らした。
「あいつ、リストに載ってるやつだ」
「こら、赤猫」
五月が後ろから釘を刺した。
「パパを殺そうとかしたら、あたしの鞭が火を吹くわよ」
「話は聞いています」
パパが口を開いた。テノール歌手のような美しい声だった。
「五月が暴漢に襲われたそうですね」