力試し
「懐かしいな……」
大山澄香は金網に囲まれたリングを眺め、呟いた。
「6年振りなのに、ちっとも変わっていない」
メタルハライドの白い照明の下、裏カクカイのリングの上では、熱い闘いが繰り広げられている。ムエタイの戦士とプロレスラーが互いに血だらけになって技の応酬をしていた。
「スミくん、お願い」
澄香の後ろからロレインが言った。
「アニーが肉まんに目が眩んだら、止めてあげて」
「話をしに行くだけだっ! 服を引っ張るなっ!」
アニーは赤い空手着をロレインに掴まれながら、ジタバタと手足を動かしている。
少し向こうに出店している肉まんの屋台を眺め、澄香が言った。
「ラン・メイファンか……。ボクも少し聞きたいことがある。行ってみよう」
「肉まん、買うのかっ!?」
アニーが喜ぶ。
澄香が背中で答える。
「買わないよ、父さんに叱られたいの?」
綿の抜けたぬいぐるみのように元気をなくしたアニーをロレインが引っ張っていった。
「……おっ?」
やって来る澄香を見ると、メイファンが目を光らせた。
「久しぶりじゃないか、大山スミカ。なかなかまた強くなったようだな?」
「やぁ、ラン・メイファン」
澄香は笑顔で挨拶をすると、早速聞いた。
「聞くけど、キミのところに新しい弟子が入ってない?」
「あぁ、素晴らしいのが入ったぞ。知っているのか?」
「もしかして……黒ぶちメガネをかけた、陰気な感じの、なんというか高圧的な──?」
「そいつだ」
「貴様の知り合いなのか?」
「学校の先輩なんだ。名前は天神……なんとか?」
「光だ」
「もう……改造したのか?」
「既に改造済み、現在調整中だ。もう少ししたらここに出場させて試すつもりだ」
「その時はボクを対戦相手に指名してくれ!」
澄香は拳を握りしめた。
「カレはよくない思想を抱いている! カレが化物になったらボクが叩き潰すと宣言してあるんだ!」
「フッ……」
メイファンは鼻で笑った。
「貴様ごときに、アレが倒せるとでも? ……やめておけ、死ぬぞ?」
「ボクだって成長している! あの頃の1分しか動けなかったボクとは違う!」
その時、マイケルがマイクで飛び入り参加者を募った。
「ボクが出る!」
澄香がすかさず手を挙げた。
「対戦相手は……」
「よし、やるかっ!」
アニーがぴょんと跳ね、手を挙げる。
「いや、アニーにボクは負けたことがないだろ。……ロレイン!」
「えっ?」
ロレインがびっくりして澄香を見た。
「対戦相手にキミを指名する! いいか?」
「いいの、スミくん?」
冗談を聞くようにロレインが微笑む。
「反対に──私には勝てたことないでしょ?」
「だからこそだ。ボクがどれだけ成長したか、見せてやる!」
それぞれ更衣室へ向かう澄香とロレインを見送りながら、小馬鹿にするようにメイファンが言った。
「フン……。アニー、貴様、スミカに勝てたことがないのだな」
「俺は攻撃するしか能がないからなっ」
アニーは恥ずかしがることもなく、笑う。
「攻撃ならスミカのほうが強かったっ! 1分間だけとはいえっ!」
「なるほど……。それでロレインが天敵だったというわけか」
「そうだっ。ロレインは逆に守りが得意だからなっ」
アニーが面白いものを思い出すような目をして言う。
「うさぎさんに手こずってるうちに1分経って、ヘロヘロになったスミカに笑顔でロレインがキック入れてたぞっ」
「さてそれをどう克服したのか……」
メイファンは屋台に両腕を乗せ、その上にアゴを乗せると、牙を剥いて笑った。
「見ものだな」
マイケルがマイクパフォーマンスをする。
「赤コーナー、美少女か、イケメンか? イケメンだーっ! 真っ白な空手着に身を包んだ空手界の王子、大山澄香ーーっ!」
「青コーナーはプラチナブロンドの美少女だ! オイオイ、なんて美しい対決だよーッ! フリルのついた純白の体操着姿がイカす! サバットの達人、ロレイン・カミューーっ!」
「よろしく、スミくん」
ロレインがリングの上に立ち、微笑む。
「ここ、ゲームセンターより楽しいよね。前からリングに立ちたかったんだぁ〜。指名してくれて、ありがとね!」
「押忍」
それだけ言い、一礼をすると、澄香は構えた。
ゴングが鳴った。
「くまさんっ!」
いきなりロレインがくまさんを前に出現させ、身を守る。
本物の熊よりは少し小さく、体つきもヒョロい。
「うさぎさんだけじゃなくなったのか」
澄香はズンズン前へ歩くと、くまさんの足元を蹴りで掬う。
「……しかし、これなら本物の熊さんのほうが手強いな」
下段蹴り一発でくまさんはリングに沈み、泣き顔をさらして消えた。
「ねこさんっ!」
続けてファンシーなねこが出現する。身長は約1メートル80センチだ。
「どうしてこんなにファンシーなんだ」
澄香がアゴの下を撫でると、ねこはたちまち戦意を喪失し、リングの上でゴロゴロしたかと思うと液体になって溶けた。
「たぬきさんっ!」
リングの下からつくしのように、ヒョロヒョロのたぬきが生えてきた。
「キモいっ!」
澄香の回し蹴り一発で消えてなくなった。
ロレインが泣いた。
「くまさんっ! ねこさんっ! たぬきさーんっ!」
「早くアレを出せ」
ジリジリと、澄香が間合いを詰めながら言う。
「アレには一度も体力を削り取られなかったことがないんだ」
ロレインの顔に緊張が浮かぶ。
このままもしも最後の盾まで破られてしまったら、自分には防ぐ術がない。
しかし、直接闘えば、澄香の猛攻には適うはずもない──
召還するしかなかった。無敵の盾を──
「うさぎさんっ!」
「やぁ、スミカくん。久しぶりだね」
ズォッという音を立てて、身長約2メートル50センチのヒョロ長いうさぎの紳士が立ち上がった。
「私はロレたんの盾だ。ロレたんを倒したいなら、この私を倒して進むがい──」
「うおおおおっ! 大山流・天地爆裂!」
澄香はうさぎさんを下から蹴り上げると、少しだけ浮き上がったその巨体を追うように跳躍し、脳天から股間までを切り裂くように、踵落としを喰らわせた。
うさぎさんが叫ぶ。
「ぬ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
重い音を立ててリングに沈んだうさぎさんの姿を見て、ロレインが泣きながら謝った。
「うさぎさん……! いっつもごめんなさい!」
リングの外でメイファンが言った。
「もう試合開始から2分近く経っているぞ。……あいつ、動けるのか?」
「いつもならここでとっくにヘロヘロになってるところだが……」
アニーがニカッと笑い、メイファンが奢ってくれた肉まんを頬張りながら、澄香を褒め讃えた。
「成長したな、スミカっ」
「まだもう一撃、ボクは大山流の秘技を使える」
澄香はまだじゅうぶんに体力を残していた。
「降参しろ、ロレイン」
「負けました!」
ロレインがあっさり手を挙げた。
「どうだっ! ラン・メイファン!」
リングの上から澄香が吠える。
「これでも相手にもならないなどと思うか!?」
「なるほどな……。面白い」
メイファンはニヤリと笑った。
「わかった。ヒカルの緒戦の相手には貴様を指名してやろう」




