ロレインのきもち
「豚肉……タマネギ……タケノコ……そして小麦粉の匂いがする」
帰って来たアニーとロレインを正座させた前で、大山師範代は厳しく言った。
「まったく……。この間叱ったばかりだというのに……。今日はロレインまで──」
「罰は受けます」
ロレインは反省を顔に浮かべて言った。
「……なぜ、おまえらはルールを守れんのだ」
師範代がため息を吐く。
「一体何を食べたんだ?」
「肉まんだっ」
アニーが思い出し笑いをしながら、正直に答えた。
「うまかったぞっ! いつも草ばかり食ってるから、余計になっ!」
「あなた……」
横から妻のアイリスが口を挟む。
「この子たち、食べざかりなのよ。たまには美味しいものを食べたいの、わかるわ。どうか許してあげて」
「私の指示した献立はまずいというのか?」
冷静な口調で師範代が妻のほうを向く。
「まぁ、味を楽しむものではないかもしれない。しかし、栄養とスキルアップを兼ねた食事メニューなのだ。毎日これだけを口にしていれば、確実に強くなる」
「でもほら。若い子が好きなものって、あるでしょう?」
「そういうものは大抵、添加物にまみれている。そんなものを口にしていたら人間の芯が腐ってしまう」
「今夜はごはん抜きで構いません」
ロレインが頭を下げた。
「それと道場の床磨きをいつも以上にやります。反省していますので──」
「俺はいやだぞっ!」
アニーが正座を崩し、子どものように床に仰向けになった。
「うまいもの食いたいっ! うまいもの食って何が悪いっ!?」
師範代は顔色を変えずに、口だけを動かした。
「よし……。では罰を言い渡す」
ロレインがかしこまる。
アニーが駄々をこねながら、頭から猫の耳を立てる。
師範代は、言った。
「今回は許そう」
「……えっ?」
「やったーーーっ!」
アニーが笑顔で飛び上がった。
「ど、どうしてですか?」
ロレインがうろたえながら聞く。
「肉と野菜と小麦粉の匂いはする……しかし──」
師範代が感心するように言った。
「添加物の匂いは一切しない。食材の匂いも健康な豚肉に無農薬の野菜──すべて厳選されたものだと見た。素晴らしい料理人のところで買い食いをしたようだな」
「メイファン……!」
「メイファンすげーっ!」
「ただし次は許さないぞ? 買い食い自体は悪いことだ」
「……はい」
「メイファンすげーっ!」
「たまには外食でも行くか」
「えっ!?」
「ほんとかっ!? なんだ? ステーキか? ハンバーグかっ!?」
「私の知り合いに自然食のレストランをやっている者がいる。私も久しぶりにお会いしたいし、明日の晩はそこへ食べに行こう」
「やった!」
ロレインが顔を輝かせた。
「自然食って……なんだ?」
アニーはわからない顔をしてから、すぐにニカッと笑う。
「まぁ、草じゃなかったらなんでもいーなっ! ありがとう、師範代! お礼に裏の稼業も手伝おうかっ?」
「そっちは手伝わなくてよいと言ってあるだろう。さぁ、食事の前の床拭きをしなさい」
「はい!」
「ほーい」
アニーとロレインに道場のだだっ広い床拭きを言いつけると、師範代は奥の部屋へ行った。
そこで師範代は裏の稼業をやっているのだ。
「あなた──」
妻のアイリスが手伝いをしながら、言う。
「注文が25件入っているわ。発送の準備をお願い」
「ウム」
広い倉庫のような部屋を埋めるように積まれた段ボール箱の中から、師範代は電子レンジの箱を手に取った。
「今週は電子レンジがよく売れるな。20%オフにしたのが効いたな」
大山道場の裏の稼業はネット通販であった。
家具から家電製品、健康食品まで、さまざまなものを取り扱っている。
空手道場の師範代として、こんな仕事を裏でしていることなど、恥ずかしくてけっして誰にも知られたくないと思っていた。
「なぁ、ロレインっ」
すごいスピードで床を雑巾で拭きながら、アニーが聞いた。
「シローのこと、嫌いになったのかっ?」
「好きよ」
ロレインは丁寧に床を拭きながら、そっけなく答えた。
「大好き」
「じゃ、なんで今日、あそこで応援しなかった? ロレインの応援があったらシロー、勝ってたかもだぞっ?」
「わかってほしかったんだもん」
ロレインは床を拭く手を休めると、愛しいひとの顔を思い浮かべるように窓の外の月を見た。
「私は彼に、あんな姿を望んでなんかいないって」
「おっ!」
アニーも窓の外の月を見て、声をあげる。
「満月だなっ!」
「かっこいい男性なんて見飽きてるほどに見て来たわ……」
ロレインはアニーと並んで月を眺めながら、呟いた。
「シロたんはあのままがいいの。あのままのシロたんを、私は大好きなの」




