温泉
復興後の世界に存在しないものがあった。それは温泉である。
地中に眠る二体の怪獣を掘り当ててしまわないよう、日本の法律で禁止されているのだ。
温泉を掘り当てるには地中を1,000メートル以上掘り進む必要がある。探査機を使って温泉を探査することは出来るが、それで怪獣の存在を同時に探知することは出来ない。うっかり眠る怪獣たちを起こしてしまわないよう、厳しく法律で取り締まられているのであった。
「日帰り温泉が俺は好きだっ!」
ロレインと花子と並んで登校しながら、アニーは懐かしそうに言った。その頭の上にはポワポワと、露天風呂の絵が浮かんでいる。
「温泉なんてもう忘れちゃったよ」
花子がこだわりなど何もなさそうに言う。
「ところでアニーちゃん。今日は丸太引きずって登校しないの?」
「昨日、校門の脇に置いてきたっ。花子と一緒に帰るのにアレを引きずっては帰れんからなっ」
「あ……。なんかごめんね?」
「いいんだっ。正直アレ疲れるからなっ」
「でもどうしてあそこまでの修行をするの?」
「怪獣が復活した時のためだっ」
アニーは拳を握りしめ、言った。
「今の俺ではあいつらに勝てんっ! もっともっと強くなるんだ」
「うーん……」
花子はよく知らないことを確認したくて、アニーに聞いた。
「正直さ、私、よく知らないんだよね。怪獣って何なの? そいつらが一度世界を滅ぼしたんだよね? めっちゃ怖いんですけど……」
「俺の親父とロレインのおとーさんだっ」
「へ?」
花子の目が点になる。
「怪獣の正体が……アニーちゃんのお父さんと……ロレイン先輩のお父さん……?」
ロレインのほうを見ると、真面目な顔でうんうんとうなずいていた。冗談ではなさそうだ。
「温泉を取り戻すため……そして世界に『あんなおとーさんでごめんなさい』と謝るため、俺はクソ親父とロレインとこのおっちゃんを倒さねばならないっ」
「でもアニー……」
ロレインが言った。
「地中深くに呑まれて──あのひとたち、まだ生きてるのかしら」
「生きてるぞっ! あんなバケモノどもが死ぬもんかっ!」
「そっか……。そうだね」
ロレインがなんだか嬉しそうに微笑む。
「生きてて……くれてるよね」
「ちょ……、ちょっと待って!」
花子は頭が混乱した。
「ロレイン先輩のお父さんがもし生きてたら、アニーちゃんがやっつけちゃうってこと? それでいいの、先輩は?」
「あんなひとでも実の親だもの……。私には殺せない」
ロレインが寂しそうに答えた。
「だからアニーに殺してもらうの」
「何より温泉だっ!」
アニーが声に力を込めた。
「この世に温泉を取り戻すため、あいつらを掘り起こし、勝つための力を身につけなければならないっ!」
花子がオロオロする。
「ほ……、掘り起こすの? お……温泉を掘るのは法律で禁止だよぅ……。捕まっちゃうよぅ……」
「ムッ……?」
アニーが前方に何かを見つけた。
「あれは……っ?」
前方に停まっていた黒い車のドアが開き、中から姿を現した陰気そうな男に三人の視線が集中する。
「やぁ、大山アニーくん」
黒ぶちメガネをくいっと上げながら、男が声をかけてきた。
「ここを通るだろうと思って待っていたよ」
天神光だった。前に会ったコンビニの駐車場に車を停め、アニーたちが来るのを待っていたようだ。
「……誰?」
花子が小声で聞いた。
「この間このコンビニで会っただけのひとです」
ロレインが答えた。
「メイファンには会えたかっ?」
アニーが笑顔で聞く。
「会えなかったんだ……。それでね、アニーくんに今日、帰りに一緒にあの『裏カクカイ』に付き合ってもらえないかと思ってね」
「いいぞっ」
「そう言わずに……って了承早いな」
「俺も久しぶりにあそこ行きたいからなっ」
「ありがとう。じゃあ、帰りにここで待ってる。お礼に肉まんでもおごるよ」
「ほ、本当かっ!?」
「こらこらアニー」
ロレインが横から叱る。
「また師範代に怒られちゃうよ?」
「師範代の決めたルールなんてクソ食らえだっ」
アニーが子どものように飛び跳ねる。
「ルールは破るためにあるんだぞっ!」
光がロレインと花子にも言う。
「そちらのお友達にもおごるよ。なんでも好きなものを……」
「わっ……、私はいいですっ!」
全力でロレインが拒否した。
「私もべつに……。っていうかアニーちゃんがひたすら心配だ」
花子が心からアニーを心配した。
「助かるよ。アニーくんが一緒なら、例の中国人にも会えそうな気がするんだ」
「会えるぞっ」
アニーがバンザイするように手を広げる。
「ところでどうして兄ちゃんはメイファンに会いたいんだ? 改造してほしいのか?」
「強くなりたい。力が欲しいんだ」
「なんのためだっ?」
光はメガネを指でくいっと上げると、レンズに映る景色で目の色を隠しながら、答えた。
「粛清したいやつがいるんだ」




