青汁と薬草と煮鮒
「偉いっ!」
師範代がアニーを褒めた。
「え……」
アニーが気の抜けた表情になる。
「まぁ……!」
ロレインが口に手を当て、喜んだ。
「正義のためにふるう鉄拳! それでこそ健全な精神の宿る格闘家だ!」
師範代が褒める。しかし顔には青筋が浮かび、どう見ても怒っている。どうやらそれは悪しき強盗に対する怒りのようだった。
「そういうことなら少しは罰を軽くしよう。本来ならば善行とは無償にてただひたすらに善の心から行うべきもの。礼など受け取ってはいかんのだがな」
「押忍」
アニーがぺこりと礼をする。
「じゃ、アニーにも今夜、フナを……」
ロレインが身を乗り出す。
「いや、アニーは今夜、食事抜きだ。ただしミミズは勘弁してやる」
アニーが泣いた。
どうやらミミズだけでも食べられるものがあったほうがよかったようだ。
「かわいそうですよー……」
おばあちゃんが美味しそうに熱い青汁を啜りながら言う。
「食べ盛りでしょ? あたしに免じて、この子にも晩ご飯、食べさせてあげてもらえませんかねぇ……」
「ムッ……!?」
師範代がおばあちゃんのほうを見て、感心したように声を漏らした。
「そんなに美味しそうに青汁を飲む人を見たのは初めてだ……。お口に合いましたかな?」
「いいえ〜。しっかりふつうの味覚をしておりますよ〜」
おばあちゃんはニッコリ笑う。
「でも良薬は口に苦しといいますからねぇ。お体にはとっても良いんだろうと思えば、美味しくも思えてきます」
「素晴らしい!」
師範代が感動したように声を上げた。
「わかりました! 素晴らしいあなたのお心に免じてアニーを許しましょう」
アニーが無言の笑顔で万歳をした。
「ただし今回だけだぞ? これからは善行は無償でするのだ。報酬を求めての力の行使はただの『暴力』。私がおまえたちに教えているのは清く正しい心をもつ立派な人間になるための『格闘技』なのだ。わかってるな?」
「はい、師範代」
アニーが座る姿勢を正し、うなずく。
「わかっています、師範代」
ロレインも正座でうなずいた。
花子はホッとすると、再び部屋の中を見回した。
とても古いが、手入れが行き届いているのでボロボロとまではいかない。その手入れをアニーとロレインがやらされているとは思いもしなかったが、だだっ広くも清潔な空間には好印象をもった。清く正しい感じがした。
「私もこちらの道場で空手、習ってもいいですか?」
突然すごいことを花子が言い出したので、アニーとロレインが恐怖するようにそっちを振り向いた。
「私もアニーちゃんみたいに強くなりたい。力があったら今日みたいに強盗退治もできるもんね」
妻のアイリスが申し訳なさそうに笑う。
「ごめんなさいね、門下生は募集してないんですよ」
「え……」
花子がつい、穿ったことを聞いてしまう。
「じゃ、どうやってお金を稼いでるんですか?」
「これっ。花子ちゃん」
おばあちゃんがたしなめ、フォローした。
「それは……あれですよねぇ? 講演会だとか、お外へ出掛けての指導とか、されてるんですよね」
「ええ……、まぁ……」
「ほんとうのこと言おうかっ?」
アニーが笑いを浮かべ、ここぞと口を開いた。
「師範代の仕事、何してるかバラしてやろうかっ?」
師範代がアニーをじっとりと見つめる。
「バラされたくなかったら今夜、俺にもフナを食わせろっ!」
「おまえ……私を脅迫するのか」
花子とおばあちゃんがオロオロする。
「花子っ! ばあちゃんっ! 師範代の裏の仕事はなっ……」
アイリスがアニーの首根っこを掴み、畳に顔面をめり込ませてその口を止めた。
「ホホホ……。この子ったら、やっぱり今夜はミミズを食べさせますわ」
花子がおばあちゃんに小声で言う。
「これ……、虐待なんじゃ……」
「お見苦しいところを見せてしまってすみません」
師範代が頭を下げた。
「これが我が家の教育方針なんです。清く正しい心を育てるためには体罰も厭わない。今の時代の考え方にそぐわないことは理解しております……というか、私はこの子たちの実の親ではないので、道場の教育方針なんですがね」
おばあちゃんがコクコクとうなずいた。
「あー……。そういえば師範代ということは、道場主さんの代理ということですよね?」
「道場主は私の兄で、アニーの父親です。現在は世界中を飛び回っており、留守にしております」
「死んだだろっ!」
アニーが畳にめり込んだ顔を上げ、強く主張した。
「地球に呑まれて死んだっ! クソ親父はもういないっ!」
花子とおばあちゃんが同情するような顔でアニーを見た。
「いや……、兄者はどこかで生きている」
師範代が信じる顔で言い切った。
「あれほどめちゃくちゃな男なのだ。きっと何事もなかったようにどこかで生きていて、以前のように世界中を飛び回り、己の鍛錬を続けているはずだ」
「そんなの嫌だっ!」
アニーが声を張り上げた。
「死んでてくれっ! クソ親父!」
花子とおばあちゃんが困ったように顔を見合わせ、言った。
「じゃ……、じゃあ私たちはこれで……。お忙しいところお邪魔しました」
門のところまで見送りに来たアニーとロレインを振り返り、花子が言う。
「それじゃ、また明日、学校でね」
「おうっ。肉まん、また食おうなっ」
「だめだよ、アニーちゃん。また罰を受けちゃうよ」
「大丈夫だっ」
アニーは元気に笑った。
「そのうち師範代の鼻をごまかす技を身につけてみせるぞっ」
「それにしてもあなたたち……、大変ねぇ」
おばあちゃんが気の毒そうに言った。
「いいえ。私の実家と比べたら天国です」
ロレインが微笑み、答えた。
「父は豪華な食事をこれでもかってぐらいに食べさせて、私をゴリラのようなムキムキにしようとしていましたから……」
何と答えていいのかわからず、花子とおばあちゃんは黙り込んだ。
「それに……普段質素に暮らしていると、些細なことにでも幸せを感じられるものですよっ」
ロレインがまたにっこりと微笑んだ。
「何より師範代も奥様も、ああ見えて根はとっても優しいんです」




