必要ないルール
天神光は19歳。雄州大学の二年生である。
いかにも陰キャなその見た目とは裏腹に、彼は結構なリア充であった。頭が良く、父親が大病院の院長なこともあり、女性から意外なほどにモテる。
何より彼が女性を惹きつけるのは、その身体に染みついた危険なオーラであった。
「ねーねー、ぴかぴー」
助手席からピンク色の髪の毛の女の子が、甘えた声で光に話しかけた。
「今度例のパーティーに連れて行ってよぉ〜。あたしも例のやつ、キメてみたいな」
「また今度連れて行ってやるよ」
ハンドルを握る天神光はメガネのレンズを街の明かりで光らせながら、答える。
「それより面白いことを知ったんだ。今はそれに夢中さ」
「面白いことって何?」
ピンク髪がワクワクした表情で身を乗り出した。
「人間を改造できる中国人の女がいるって都市伝説があるんだけどね」
光がメガネのレンズに光を走らせながら言う。
「どうやら本当らしいんだ。その女を探したい」
車の前にいきなり警察官が飛び出してきた。
ピンク髪の女が声をあげる。
「あっ! 何? 危ない!」
光は慌ててブレーキを踏み、停まった。
運転席の窓を開けると警察官がニコニコしながら言う。
「ここ一時停止ですよ? 停まりませんでしたよね?」
そこは見晴らしのいい、車通りも少ない交差点だった。警察官は角を曲がった左側の柱の陰に隠れ、取り締まりをしていたようだ。
光は不機嫌な顔をして警察官に答える。
「こんなところ見晴らしがいいのになぜ停まらなければならないんですか」
「でも私が柱の陰にいること気づかなかったでしょ? 歩行者や自転車が物陰から飛び出してきたら危ないですよ」
警察官はあくまでもニコニコしながら言う。
「くだらんルールだ」
光は怒りだした。
「僕はちゃんと気をつけていた! あなたが飛び出してきてもちゃんと停まれたでしょう? むしろあんなタイミングでわざと飛び出してくるあなたのほうが危ないでしょう!」
「すみませんね」
警察官が笑う。
「みなさん守ってらっしゃるルールですんで……。免許証拝見してもよろしいですか」
「ルールはバカのためにあるものだ!」
光は昼間コンビニで高校生の女の子が言っていたことをそのまま言った。
「バカは気をつけもせずにここを飛び出すから一時停止を守らせる必要がある! でも僕はバカではないから、ちゃんと気をつけている! 何が問題だというんだ!」
「みなさん守ってらっしゃるんですよ。免許証をお願いします」
仕方なさそうに光は免許証を見せると、警察官は青い切符を切り、違反金の払い方等を説明してから、ようやく光を解放した。
「それじゃ、お気をつけて」
再び車を走らせはじめた光の横からピンク髪の女が口を尖らせ言う。
「ぴかぴー、交通ルールはちゃんと守らないとだめよ? おまわりさんの言う通りだよ」
「くだらん……」
光のメガネのレンズに殺気が浮かんでいた。
「僕はバカとは違う。守るべきものは交通ルールではなく、安全だ。僕は16歳から兄さんの車を運転しているが、事故など起こしたことがない」
「16歳からって……」
女が呆れたように笑う。
「だめじゃん。無免許じゃん」
「ニュースになるようなバカな16歳と僕は違っていたんだよ。頭がいいから免許などなくても無謀運転なんてしなかったんだ」
ピンク髪の女が、まるで王子様だと思っていたものがカエルになったような顔をして、車から降りたそうにしているのを見て、光が続けて言う。
「さっきの交差点、見晴らしよかったろ? 停まる必要なんてあると思うかい?」
「そりゃ……、ルールなんだから」
「たぶんだが、以前にあそこをスピードを落とすことさえせずに飛び出して、事故を起こしたバカがいたんだよ。それであそこに停止線が引かれた。バカがいるせいで日本にはあまりの多くの停止線や信号が設置されている。そのせいで日本の交通はとてもノロノロになった」
「うーん……。まぁ、確かに……」
「知ってるかい? 知能指数の高い者ほど無駄なルールは守らない。自分の頭で考えられるから、バカのためのルールに従う必要はないんだ。さっきの交差点でいちいち一時停止するなんて、なぜそんなバカみたいなことをしないといけないんだ」
光が車を停めた。
国道沿いの駐車スペースだった。周りには工場ぐらいしか見えない。
ピンク髪の女が少し怯えながら聞く。
「な……、なぜここで停めるの?」
「聞いたんだ、この近くに『裏カクカイ』という場所がある」
光は運転席のドアを開けながら、言った。
「そこに例の中国人女が現れることがあるらしいんだ。行ってみよう」
看板も何もない鉄のドアを開けると石の階段が続いていた。二人でそれを降りて行くとまたドアがあり、その前にスキンヘッドの男が座っている。
「招待状は?」
スキンヘッドの男が手を差し出す。
光は赤毛の女子高生からもらっていたチケットのようなものをポケットから取り出した。
「2名様、ご案内」
光がドアを開けると、白く眩しい光が溢れ出した。
「うおーっ?」
ピンク髪の女が興奮した声を出す。
「何、ここ。面白そう!」
広い室内の中央に金網が張られ、その中に設えられたリングの上では、獣のような男と少林寺拳法の男が闘っているところだった。それを取り囲んで騒ぐ観客たちは200人はいるように見える。部屋のぐるりには屋台も出ていて、ポップコーンやら焼きそばやらを売っているようだった。
光は女を連れて歩きながら、黒いチャイナドレスの女を探した。
その女は『強くなりたいと願う者』を感知する能力があると言っていた。
『強くなりたい、力が欲しい』
そう頭の中で呟きながら歩き回る。
しかし黒いチャイナドレスの女は見当たらず、むこうから姿を現してくれることもなかった。
リングの上の試合に勝敗がついた。獣のような男が血まみれで担架に乗せられ、黒子に運び出されていった。
「いないようだ……」
光は出口に向かって歩き出した。
「出直そう」
「ちょっとー! あそこで肉まん買っていこうよー! 美味しそうだよ!」
ピンク髪の女のアピールをくだらなそうに無視し、光は出口のドアへと歩いていく。
肉まんを売る屋台には、白いチャイナドレス姿の白い肌の女性が座り、笑うようなタレ目を線にして居眠りしていた。




