出陣
アニーにまたひとつ好物ができた。
猫用の『ちゅ〜ちゅ』を食べてみたらとても口に合ったのだ。
しかし今、ロレインのことが心配で『ちゅ〜ちゅ』どころではなかった。水星家の与えられた自室で、一応『ちゅ〜ちゅ』は口にくわえながら、『待っていろ』とメイファンに言われた通りに待機状態を守っていた。
「ちゅう、ちゅう……」
おやつを啜りながら己の無力と無聊を慰める。
隣にいつもいた金髪の相棒がいないことがたまらなかった。
「ちゅう……、ちゅうっ!」
四肢をバタバタさせて仰向けになり、暴れだした。
「機は熟したぞ、アニー」
いつの間にか部屋の隅に立っていたメイファンが言った。
「ロレインの居場所、わかったのかっ!?」
アニーが飛び起きる。
「それは随分前からわかっていた」
「なら早く教えろっ! 意地悪!」
「準備がいたのだ。確実に面白くするための、な」
「面白さなんてどうでもいいっ! 早く助けに行かないと、ロレインが結婚……!」
「どうした? 急に夢見るように笑い出して?」
「けっこん……。結婚って……いいよな! うへへ……」
「無理やり父親に結婚させられるのだぞ? 貴様はあのクソ親父に『このダメ男と結婚しろ』とか言われたら喜ぶのか?」
「早く助けに行こうっ!」
部屋を飛び出ると、ドアの前で五月が立ち聞きしていた。腕を組みながら悔しそうに呟く。
「……あたしも行きたいけど……足手まといになるのよね?」
メイファンがうなずいた。
「そうだな」
アニーもうなずいた。
「サツキはここでスミカに守られていてくれっ」
何も言えなかった。
言われる通りに自室にこもった。
鞭でベッドの上のスマートフォンを取ると、暇つぶしのゲームを始めた。
外に出るとメイファンが巨大な鷹に姿を変える。アニーはその上に乗ると、頼もしそうに言った。
「俺とおまえが二人いれば百人力だっ」
飛び立つなり、メイファンが言った。
「もう一人とこの先で合流する」
「もう一人……? 誰とだっ?」
「私の新しい弟子だ。見た目キモいから驚くなよ?」
「キモいのかっ!?」
丘の上にそれは立っていた。
ナナフシのように細長い六本の手足を持つ、背の高い、背中にトンボの羽根を生やした、しかし顔には見覚えのある男だった。それがぬぼーっとこちらを見つめながら立っている。
「シローじゃないかっ!」
メイファンの背中からそれを発見し、アニーが興奮した。
「かっこよくなったな!」
「アニー!」
右京四郎は笑った。
「来てくれたんだね! さぁ、ロレインを助けに行こう!」
「ついて来い」
メイファンが言うと、右京四郎が羽根を動かして飛んだ。物凄いスピードで後をついて来る。アニーは大喜びしながら記念にそれをスマホで撮影した。
▣ ▣ ▣ ▣
カミュ家の別荘では結婚式の準備が進められていた。
隣接して建てられた白い教会には参列者が既に集まっている。ロレインは拘束具の上にウェディング・ドレスを着せられ、席に縛りつけられている。後は新郎御一行と牧師の到着を待つだけとなっていた。
アンドレ・カミュ氏は白いスーツに身を包み、娘を嫁に出す父親の感傷の涙を浮かべながら、ビュッフェ・スタイルの食事をフライングで始めていた。
チキンを噛みちぎりながら使用人に聞く。
「水星家に刺客は送っといたか?」
「はっ。暗殺のプロを向かわせました」
「今夜、水星一家は皆殺しや」
涙を拭きながらチキンを頬張る。
「こっちはあとはゴリアーテ一家の御到着を待つだけやな。はるばるシチリアから来られるんや。失礼のないようにな。あぁ? 牧師なんぞどうでもええ。遅れたらブチ殺したれ。ワイが代わりに牧師役やったるわ」
さるぐつわをされたロレインが何やらモゴモゴ言った。
「なんや? 愛娘がなんか言いよるな」
アンドレ氏は春巻をパリパリと食べながら、使用人に命じた。
「父に対して感動的な、感謝の言葉でも言いたいのかもしれん。さるぐつわ、外したってくれや」
さるぐつわを外されるなり、ロレインが言った。
「アニーが来てくれるわ」
「なんやて?」
「きっとアニーが助けに来てくれる! あの子はこの世の希望なんだから!」
わっはっは、とアンドレ氏が笑う。
その側でJPが悪寒に震えて言う。
「あの子どもは苦手です。もしもやって来たら、私では手に負えません」
「アニー・大山……。バスタードんとこのガキか……」
アンドレは鼻で笑いながら醤油せんべいを噛み砕いた。
「バカの娘なんぞ敵やないわ! それにロレーヌよ。おまえが闘って互角のヤツに、ワイが負けると思うんか?」
使用人が遠くから言った。
「ゴリアーテ様御一行、お越しです」
「おお! 来られたか!」
アンドレ氏が立ち上がる。
「粗相のないよう、お通ししろ」
ゴリアーテ家からやって来たのは新郎のジュリアン、その父親のゴリアン、母親のゴリアーヌの三人であった。姿を現すなりそれぞれにムキムキの筋肉を披露しながら笑う。
「遠いところはるばる、ようおいでんさった」
アンドレ氏が握手で迎えた。
「まったくですな。こんな極東の島国で挙式をするとは……アンドレ殿もさすがは田舎者だ」
使用人が銃を構えようとするのを手で制し、アンドレ氏は力こぶをゴリアン氏に見せつける。
「ハハハ! いかに娘の嫁ぎ先でシチリア・マフィアの親分さんといえ、無礼な物言いは許しませんぞっ」
「ロレインちゃん!」
ゴリラそのものの顔をした新郎ジュリアンが、席に縛りつけられているロレインを見つけ、嬉しそうに笑い、ウホウホと手を振った。
「いいね、その顔! いい傷入ったね! あとは体格ムキムキになればキミも僕らの仲間だ」
「あたしのようになりな!」
ゴリアーテ家はイタリア系だが、母ゴリアーヌはカミュ家と同じフランス系だ。そのぶっとい腕で金色の煙管を振りかざしながら、ロレインに言った。
「うちの嫁になるならゴリラ並みでないとね!」
「アニー……早く来て」
ロレインは震えながら、小さな声で祈った。
「私を自由の世界へ連れ戻して」




