大山バスタード
「お……親父が──」
アニーは臭いみかんを嗅いだ猫のように、ガクガクブルブルと震えだした。
「クソ親父が生きてるってー!?」
「ウム。コイツの言うことが本当ならばだが、な」
メイファンは拷問したてで恍惚の表情を浮かべている黒子の頭を撫でながら、言った。
「……まぁ、しかし、あの状況で嘘はつけんだろう」
「なんでしっかり殺しといてくれなかったーっ!?」
「……すまん。プロとして失格だな。謝る」
「ね……、ねぇ……」
雑巾臭い口をすすぎ終わった五月が、横から聞く。
「アニーのお父さんって、そんなに怖いひとなの?」
「怖いひとじゃないっ!」
アニーが泣きながら答えた。
「怖いけどっ……! それよりもっ……!」
「ウム。アニーの父親は『大山バスタード』といってな」
メイファンが深刻な顔で言った。
「あれはこの世を滅ぼす魔王だ。極悪人だ」
「あら。おじさまはいいひとよ」
ロレインが真顔でフォローした。
「私には優しかったわ」
「おじさんはボクの師匠だぞ」
澄香もフォローした。
「生きてたなんて嬉しいな」
「俺にとっては鬼だ! 悪魔だっ!」
アニーがブルブル震える。
「とんでもない極悪人だ。あれがこの世にいてはいかん」
メイファンが首をふるふると振る。
「一体どれが本当なのよ……?」
五月は考えるのをやめた。
「でも……。じゃあ、あたしのパパの仕事を妨害しようとしてるのは、アニーのお父さんってこと?」
アニーがまた震える。
「う……。この仕事、降りたくなってきた」
メイファンが牙を剥いて笑う。
「そういうことなら私も手を貸そう。今度は間違いなくとどめを刺してやる」
ロレインは微笑んだ。
「そういうことなら心配ないね! 私、彼氏とサイクリングに行ってきてもいい?」
澄香はまっすぐな姿勢をさらに正した。
「そういうことなら挨拶に伺わねば……。おじさんに会えるの楽しみだ!」
五月はとても混乱した。
しかしどうやらメイファンも護衛についてくれるらしいとわかり、安心もした。ついさっきリングの上で見た、この幼女の力は、バカげてるほどに凄いと知った。すぐに後ろから臭い雑巾を嗅がされて気を失いそうになってしまったが。
「アニーちゃん」
意識を取り戻した大根がアニーの前で頭を下げた。
「さっきは助かったよ。アニーちゃんがいなかったら僕、どうなってたか……」
「気にするなっ」
アニーがようやく笑った。
「それにでーこんを助けたのは俺じゃなくてメイファンだっ」
「肉まん、おごらせてよ。3個でいい?」
「本当かっ!?」
「毎度あり」
メイファンが屋台についた。
メイファンに1,500円を払い、紙袋に包まれた肉まんを3個、アニーに渡す。
「うまいっ!」
かぶりつくなりアニーがとろけそうな笑顔になった。
「さすがは本場の肉まんだなっ!」
「おっ、あれ、うまそう!」
アニーとメイファンを呆然と眺めていた観客たちが騒ぎだした。
「こっちにも2つくれ!」
「あたしにもちょうだい!」
「拙者にも10個くださいでござる!」
「毎度あり」
メイファンは17歳の姿で、全裸の上にエプロンをし、黙々と仕事をはじめた。
「あのー……」
マイケルがマイクに向かって力ない声を出す。
「試合は……?」
メイファンが答えた。
「肉まんが売れはじめたのだ。それどころではない」
アニーも笑顔で答えた。
「肉まん食えたから、もういいんだっ」
「なんだかなぁ……」
五月は呆れながら、肉まんを齧った。
「ほん……うまっ!」
▣ ▣ ▣ ▣
「犯人はラン・メイファンじゃなかったって!?」
指宿捜査官がメイファンに言った。
「……ってか、本人に聞いてどうすんだ、俺」
水星邸にアニー、メイファン、ロレイン、澄香が集まり、婦人警官2人と指宿、主人の水星丁良を相手に事の顛末を説明すると、飼い猫のフレディーが階段を降りてきて、あくびをした。
「……というか、なぜ犯人が私だと決めつけてたんだ」
メイファンがぶすっとした顔で言う。
「だっておまえしかいないと思ってたんだよ、警察の者全員がな」
「なんという冤罪だ。警察というのはなんといういい加減な組織なのだ」
「いや……おまえ、自分が社会的に信用されてないことぐらいわかっとけ。アニーの殺人許可リストにでかでかと載ってるぐらいなんだからよ」
「いぶしすぎっ!」
アニーが指宿の名前を呼んだ。
「指宿な」
「その殺人許可リストにクソ親父がいないっ!」
「死んだことになってたからな」
「載せてくれっ!」
アニーの目が燃えている。
「あいつはめっちゃ強いけどっ! メイファンが一緒に闘ってくれれば殺せるっ! 今度こそほんとうに、俺の手であいつを殺すっ!」
「どうして?」
ロレインが平和に微笑みながらアニーに聞く。
「あんな優しいおじさまのことをどうしてそんなに憎むの?」
「そうだぞ、アニー」
澄香もうなずいた。
「バスタードさんは立派なひとだ。ボクの師匠だぞ。それ以上悪く言うとこのボクが許さん」
「大山バスタード……」
指宿が写真を見ながら呟いた。
「世界最強の格闘家……。有名人で、とても立派な人物だったと聞く。一年前、当時三歳だった殺し屋ラン・メイファンに暗殺……いや正々堂々とタイマンで闘ったのか。メイファンが水爆に変身し、バラバラに吹っ飛ばしたと聞いていたが……」
「あれで生きていたとは意外だ」
メイファンが鋭い目をして言った。
「……が、あのめちゃくちゃな男ならそういうこともあるかもな」
アニーが声を張り上げた。
「とりあえず……。水星家のひとたちは、俺とメイファン、ロレインと澄香、そして婦人警官さん、6人でがっちり守るっ!」
「いや、聞いてたか?」
澄香が食ってかかる。
「ボクはおじさんのことを尊敬してるんだからな!」
「犯人がおじさまなら心配はいらないわ」
ロレインがふわりと駆け出した。
「私、彼氏とデートに行ってくる」
ふぅ……とため息を吐き、五月が呟いた。
「どうなるの、これ……」




