〇日目「エビ揉め」3
100日毎日小説チャレンジ、三日目です。
深夜投稿が平常運転になりつつあるのに、このまま仕事日に突入するのが不安です。よろしくお願いします。
「ほう。発売日に『お着替え』ですか……大したものですわね」
「ま。俺のアバターは首すげ替えで素体は対応してたし、朝の時間にちょちょちょっと着せて速攻アップロードよ」
「それでも流石だよ。僕だったら眠いわ、仕事前でテンションだだ下がりだわで、絶対無理だし」
「カキランさんも難しいですわ。まず衣装対応からしないといけないので」
「うにてぃで?」
「もちろんお金の力ですわ~~。衣装製作者さんの顔をこうペシペシと」
カキランはエイト・ジョーの腰程度しかない小さな体をダイナミックに動かして二人の顔を往復ビンタし、そのまま顔を寄せて囁いた。
「それにしても『あの新作』のお披露目とは……そちもエロよのう、ですわ~~」
「おーよ。エロは人類を救うからな」
「……お前に恥じらいはないのかよ」
「おいおい、今更だろ兄弟。そういうエイトだって」
肩を組みながら含みを持たせるジョーに若干嫌がる表情を見せたエイト。だが《VRCh@》での思い出がいくつか蘇り、無言で肯定する羽目になるのだった。
「カキランさんも折角なら生で見たかったんですけど。あいにく今日はイベントの日で」
「そっかー。ならしょうがないかー」
「気になってたので残念ですわ~~」
《VRCh@》はユーザーが公開したワールドや使っているアバターを楽しむのがメインコンテンツで、RPGのようにストーリーやクエストがもたらされることはない。その代わりユーザーが主体となって人を集めて企画し、様々なイベントが定期的に開催されていた。
二人は、カキランがそういうイベントの虜になっているのをよく知っている。
「カキランちゃん、相変わらずイベント行きまくりだね」
「ふふん。エイトさんも是非参加するですわ。素敵な人がいっぱいで楽しいですわよ~~」
「いやー、僕は……歳のせいか新しい事を始めるのはちょっと気が重くて。ほら、この衣装もちゃんと着れてないし」
言われてエイトの、大きすぎて服を貫通した胸を「むむむ」と眺めるカキラン。
「確か、着てみたものの爆乳非対応だった……と言ってましたわね。でも失敗は誰にでもある事ですし、次からは調整できる衣装を探すだけ。それに大事なのは楽しむ事ですわ~~」
「楽しむ……」
「そうですわ。エイトさんも可愛い衣装をいっぱい着こなしてたくさんイベントに参加したらきっと楽しいですわ~~。何も怖くないですわよ~~」
「カキラン氏、良いこと言ってるっぽいけどよー。沼に沈む道連れを増やそうとしてねーか?」
「みんなで親指立てて沈めば何も怖くありませんわ!」
そう力説するオタク仲間にジョーは遠慮なく笑って話を戻した。
「ま。ともかく『新作』の方は後で写真送るからよ」
「ありがたいですわ~~。キャストさんにプレゼントするときの参考にさせていただきますわね」
「なんなら使ってもいいぞ」
「……。何のことですわ~~?」
衆目に配慮してすっとぼけているカキランに、エイトは、
「ところでカキランちゃんが行くイベントってなんて所?」
「それは――そうですわ。せっかくですからご本人に説明してもらいましょう」
「ご本人?」
カキランは走って近くの焚火まで行き、ある人を連れて来た。
白と黒。デコルテと太ももを大きく露出させた緩いファッション。
小悪魔を思わせる悪戯好きの表情に、顔のついた髪飾りがチャームポイント。
立ち振る舞いからして他の人達とは何か一味違う。そう感じさせるどこか妖艶な佇まいの美少女が一人。
「《ポカポカ温泉『まっぴるま』》の大人気キャスト、アン・ズーだよー! 以後よろしくぅ!!!」
「よろしく~!!!」
「よ、よろしく」
ノリノリで返すジョーに対し、若さに気圧されながら挨拶するエイト。
そして気付いた。
男の本能か、それとも大人の直感か。あるいは人並み以上に《VRCh@》に入り浸っているが故の経験則で、エイトは彼女の愛らしい声質や挙動から無意識の内に「間違いない」と判断してしまう。
彼女はこのワールドで唯一の女性だと。
エイトは生来の怠惰ではあるが、奇人変人の住む《VRCh@》でもこれといって問題行動を起こさない事から周囲には模範的《VRCh@er》だと思われている。そのため、彼自身には相手の声や性別で区別したり対応を変えるつもりは全くない。友人相手に心の壁を取り払うことはあっても、他の人達には等しく正しくを心がけていた。
なのだが。
それでもどうしようもなく彼はアンを特別に意識してしまう。
答えは単純。
苦手なのだ、女性が。
この世に生を享けて三十七年。九里エイトは、人生の九十九・九九パーセント異性と関わってこなかったがために、女の子との関わり方を知らないのだ。
そんな男の隙を小悪魔少女は見逃さない。
瞬歩の速度で距離を詰めに詰め、指一本分の近さにまで急接近。
「ひぇ」
「あれれー? おっかしいぞー??? お兄さんどうしたのかなー? 緊張してるぅ???」
「どう、どうもして」
「ふーん?」
「ちょ、ちょっと、近くないですか、ね……?」
「ええー!? イベントとかではいつもこんな感じだよー???」
そう言いつつアンはそのままエイトに触れた。
顔を、頬を。大切などろ団子を育てるように、丹念に撫でまわしていく。
『なでる』とは《VRCh@》の一種の文化、コミュニケーションの一環である。特にイベントキャスト。接客業に近い彼女達の頂点ともなればスキルの一つとして極め、第六の五感《V感》を植え付ける事も可能というのは界隈では有名な話であった。
さて、ここはVRゲーム・《VRCh@》。リアルな世界に見えても寒くはないし、匂いもしない。当然触られても何も感じるはずがないのだが、不思議とエイトは繊細な手つきで触れられた辺りの鳥肌が立つのを感じ始めていた。
勿論触覚ではない。
まさに今、エイトの身に《V感》が芽生えたのだ。
「ふぇえええ……」
その場で腰を抜かし、結果的にアンの両手から逃れるエイト。
面白いおもちゃを見つけたようににんまりと屈んで追い込むアン。
結局エイトはアンに一分間たっぷり愛でられ続け、口を開けたまま固まる事しかできなかった。
「さすがは数多のぶいちゃ民――《VRCh@er》の俗称ですわ――を沼に沈めて帰さない《魔性の爆弾魔》、アン・ズーですわ……! 羨ましい……!」
「実際に沈められてる本人が言うと説得力がちげーな……」
「私はまだ沈み切ってないですわよ?」
「いや説得力ねーし、どう考えても全身どっぷりぶいちゃ漬けだろ……――ちなみに『ぶいちゃ』は《VRCh@》の俗称な――。毎月キャストにプレゼントまでしてる人が何言ってんだよ」
「カキランさんは別に貢いでるのではなく、ただ色んなものを頂いたお返しに送らさせて頂いてるだけですわ~~」
「そういえばなんだが……あの人のどの辺が『爆弾魔』なんだ?」
「あれですわ」
やがてアンはにっこり微笑んで、エイトに大きなハート型のクッションを手渡した。
何だろう、と呑気に疑問符を浮かべている間に導火線の火が辿り着いてエイトは爆死する。いわゆる『ギミック』と呼ばれる、アバターを改変して付け加えたアイテムや機能の一つだ。
「ふー。いい仕事したわー」
「さすがの腕前ですわ~~。ところでアンちゃん、もう九時ですけど大丈夫ですわ?」
「あ。いっけなーい、もうこんな時間! イベントの準備に行かなきゃ! じゃ! カキランちゃんとお兄さん達、まったね~! 《ポカポカ温泉『まっぴるま』》を~~よろしくぅ!!! あでゅ~~~~!!!!!!」
そう言って可憐な小悪魔は嵐のように言葉を巻くしたてて別のワールドへ移動した。
「あー……大丈夫かー?」
白煙が晴れ、悪友は気遣いながら黒焦げの窪みの『染み』へと声をかける。
「『女性』って本当に実装されてたんだな……」
突っ込み所しかない感想で笑いの渦を起こしながら、アン・ズー襲来は一時幕を閉じた。
しばらくしてエイトも調子を取り戻し、平穏が訪れる。
代わり映えのない友人達。ありふれた雑談をする在り来たりな流れ。
話題はSNSでみたイラストの共有や、期待の新作ゲーム。時には配信者の笑える切り抜き鑑賞会を始めたり、武器を手に和気藹々とモンスターを切り刻んでレベリングしたり、あるいはアバターから長い耳を生やして千切り合ったり。
しかし誰しも自分の予定があり、現実があり、
「カキランさんもそろそろイベント参加に備えて失礼しますわ~~」
「お疲れ様ー」
「またねーカキランちゃん」
いくつかのイベントの時間が近づいてきた事もあってか、示し合わせたかのように周囲から一人また一人と姿を消していく。カキランも焚火を片付けると手を振って帰っていった。
そして気が付くと森の中に明かりは一か所だけ残る。
厳かに、誰かが口を開く。
「もう他には誰もいないみたい」
「おっけー。今プラベにしたわ」
「じゃあ、そろそろ始めよう」
数人はおもむろに右手親指を触れ合わせて、合言葉を唱える。
「《解放》!」
カキランちゃんとアン・ズーさんにはモデルがいます。(本人に似てるとは言ってない)