〇日目「エビ揉め」2
100日毎日小説チャレンジ、二日目です。
鬱蒼と草木が生い茂る森。
空も見えない大自然の中で、場違いなミニスカート姿の九里エイトは不釣り合いに小さなコウモリの翼を懸命に羽ばたかせながら足を動かす。
口からは白い吐息、それと麺をすする音。
寒空とは裏腹にしっかり暖房が効いていて凍える事はないが、それでも不思議と寒そうに片手は豊満な胸を抱きしめていた。
もう片方の華奢な素手で一分程、冬でも枯れる事を知らない数百色の緑を迷いなく掻き分けて進んでいくと、やがてぼんやりと暖光揺らめく目的地が葉越しに見えてきた。
さて。
明らかにハイキングに向かない女装も。
衣装のように見せて生きた動きをさせる二枚の飛膜も。
料理もなしに喉から響く奇怪な音も。
野外にも関わらず何故か暖房が効いている怪奇現象も。
読者に置かれては不審がっても仕方ないこれらの説明は、比喩ではない。
居酒屋の暖簾を潜るように枝をかわし、エイトは焚火を囲んでいる冒険者達の元へ声をかける。
「こんばんわー」
「あ。こんばんわー」
「お疲れ様でーす」
「御邪魔してますー」
九里エイト。またの名をユーザーネーム《8IGHT》は今、バーチャルワールドにいた。
パソコンがあれば誰でも始める事ができるフリーのVRゲーム《VRCh@》。通称・ぶいちゃは、人間、動物、空想上の種族など――時には生物の壁を通り抜けて無数の無機物まで――好きなアバターの姿に変身し、様々なワールドに行く事ができる非日常体験ゲームだ。
ぶいちゃでは男性が女性アバターを使う事も、あるいはその逆も珍しくない。そのためエイトもいつも通りお気に入りの美少女アバターに袖を通して、友人たちのいるワールドに訪れていた。もちろんワールドに合わせて室温を一桁に下げるなんて事もせず、快適に。ついでに夕食も並行して。
もっとも、とっくに年を越しているのにハロウィン衣装を着続け、しかも胸が服を貫通しているのを意に介していないズボラユーザーは好奇の目で見られてしまうのだが。
エイトはそんな視線も慣れたもので、気にする様子もなく辺りを見回す。
彼が辿り着いた開けたスペースには十数人の多種多様な人間及び動物が辿り着いていた。点在する焚火は五ケ所で、それぞれ小枝をくべたりマシュマロを焼きながら話に花を咲かせたり単に寝ていたり、はたまた現実の仕事をしたり。各々好き勝手に過ごしている。なおアバターのタイプで圧倒的に多いのは美少女。次に美女と幼女。派手な男性が一人。後は動物と謎の生物が二人だ。
間もなくエイトの耳に特徴的なロリボイスが聞こえてきて、エイトはキーボードを操作して駆け寄った。
「よう。ジョー」
「ん? お、《8IGHT》じゃーん。仕事お疲れさん」
周りの人達にも挨拶をしつつ輪に入るエイトは、
「ずずずずずずずっ。ずずうううううううううううううううう。──っぷ」
「ふふっ、おい! なんだ、やっと晩飯か? 何喰ってんだよ」
「カプヌー」
「シーフード?」
「いや醤油」
「いいねえ。エ〇揉め♪ 〇ビ揉めエ〇~を~――♪」
「もうその流れはやったんだよ」
「はえーよ! まあ聞け。俺も無限リピートして覚えたんだよ」
ジョーと呼ばれた、見る者に季節感を与える振袖を着た少女。
愛らしい声と豪快なコミュニケーションのハーモニーを奏でる彼女は、アニメのように肉体とリンクする事もない現実のバーチャルゲームとはいえ、鋭いツッコミを入れながら食事中のエイトの背中を容赦なく叩いては甘い声で即席コンサートを催した。
その声と愛らしい彼女専用アバターもあってか、ジョーは一ユーザーでありながら密かにファンが多いとエイトは耳にした事がある。現に、彼女に何人かの《VRCh@er》――《VRCh@》のプレイヤーの事――が魅了され、新参者が得物を抜きながら嫉妬と殺意をブレンドした視線を隣のコスプレ少女(成人男性)に送っていた。だが、付き合いの長い彼は知っている。ジョーが両生類、つまりは女声で話す男性であることを。
なので気心の知れた悪友と他愛のない会話を楽しんでいるつもりはあっても、人目を引く美貌の女の子と話しているつもりは、美少女アバター慣れした異性愛者のエイトには毛ほどもなかった。
「ところでDMで送った動画、もう見たか?」
「帰ってきたばっかりなのに見てる訳ねーって」
「ま。それもそーか」
話を聞きながらエイトは手首の時計に視線を向けてバーチャル空間にブラウザを開く。確認してみるといつも通りのバーチャルライバーの新作動画だった。配信者の姿を中心に『100日チャレンジ』と書かれたロゴが目を引くサムネイルで、
「それマジすごいから。本人のSNSの方も後で見てくれよ」
興奮気味に語るジョー。彼はエイトと同じくバーチャルライバーの動画やライブ配信を見る趣味を持っており、こうして定期的にお勧め動画を押し付けられていた。最も『強火』のライバーオタクの甘々採点を信用していないエイトは同じ趣味の割に「ふーん」と興味なさげなのだが、著名なライバーという事もあって内心「後で見るか」と動画をブラウザの隅に残した。
「ていうかさ。アレ、後で見るか?」
「ずずずずっ?」
「そっちじゃねーよ。タイムラインで話題になってる『新作のアレ』……うひ♡」
口角を釣り上げながらの囁き声、下品な笑みも添えて。
聞き耳を立てて色めき立つ一部に、エイトはASMRボイスを出せば売れそうだなと思ってしまう。
「どうなんだ? 見たいか? ん?」
「まだ早いだろ。ここで出すなよ」
勿論みるけど、と小さく付け加えるのは忘れない。エイトにとっては話題に出すまでもない話だったのだが、ジョーも自慢したくてしょうがなかったのだろう。とはいえ彼の反応を見るに、楽しみにするだけの価値がありそうだと感じたエイトは悟られないように期待を膨らませた。
「何の話ですわ?」
闇夜から落ち着いた声が響く。茂みから現れたのは松明を持った四頭身アバターだった。
見知った顔にエイトは立ち上がって名前を呼ぶ。
「カキランちゃん!」
「こんばんわ~ですわ~」
「こんばんわ~! 今日も可愛いね~~」
「ありがとですわ~~」
「ん~~ヨチヨチヨチヨチ……」
淡い色合いの、花の花弁を彷彿とさせるロングヘアーをエイトに撫でられてご満悦のカキラン。
ジョーと同じくカキランも専用のアバターの持ち主で、オリジナルキャラクターを再現したアバターは『お団子頭』を模した二つの蕾は触られるとゼリーのようにぷるぷると揺れ出す。クリエイターの頬を札束で叩いて作って貰ったという噂は身内では有名だ。
エイトにとってカキランは相互フォローしている仲であり、またエイトが《VRCh@》にハマったきっかけになった人物でもあった。そのため師匠のように思っているカキランの事をエイトは敬意を持って『カキランちゃん』と呼んでいた。
ちなみに勿論彼も成人男性である。
《VRCh@》ではよく美少女アバターと話して目の保養にしているが、その実、エイトには女性の知人は皆無なのだ。
タイトルに(2/4)とありますが、4分割で収まるのかは謎です。会話が盛り上がりすぎる。
・補足
わたしの名前は罰ゲームで変えています