第14話 浮気への誘い その1
それから数週間は、落ち着いた日々が続いた。
昼休みだけ、別々に教室を出て、校舎裏の秘密の場所で春葉との密会をする。
一緒にお昼ご飯を食べて、ときにはいちゃいちゃしたりもする。
でも教室に戻ると近しくはなく、ただの知り合い程度の会話しかしない。春葉の都合でできない。
なんとももどかしく、じれる様なお付き合いなんだが、俺の一存ではどうしようもない。
放課後の部活では、夏月の助手を頑張った。夏月は数人のカップルを成立させ、俺も手伝ったと言えるだけの貢献ができたと自負している。
その間、夏月は俺に手を出してこなかった。俺と普通に会話をし、時には揶揄い、たまにご褒美の頬へのキスはあるのだが、真正面から浮気だと言えるような濃厚な関係には踏み込んでこなかった。
が、夏月とは確実に距離が近づいたし、互いの知らない部分が見えてくるようにもなって、親友以上恋人未満の関係になったと言っていいだろうと思う。
◇◇◇◇◇◇
そんなある日の昼休み。校舎裏の森の中での昼食中に、春葉がポツリとつぶやいた。
「ごめんね、こんなで」
「え?」
俺はその嘆息にちょっと驚いて、春葉の顔をのぞきこんでしまった。
「ごめんね。隠れてこそこそしかできないで。私、冬也君のこと本当に好きで、みんなに自慢して、みんなの前でいちゃいちゃしたいくらいなんだけど、家にバレるとどうしようもなくなっちゃうから……」
春葉の表情は重い声とともにどんどん沈んでいくようで、俺は慌てて否定した。
「そんなことないって。俺は昼休みだけでもこんな素敵な彼女とご一緒できて、十分満足してるし。春葉が謝る事なんてぜんぜんないから」
「ありがと。でもね」
春葉が、うつむいていた顔を俺に向ける。
「私、こんなだけど、冬也君のことは本気で好きだから、冬也君に愛想を尽かされるまであきらめるつもりは全くないんだ」
「愛想なんて尽かさないって。俺も春葉のこと、本気で好きだから。心配することないって。最初に春葉に断られたとき、もうダメかなって思ったけど、夏月の噂を聞いてどうしても頼んでみたくなったくらいだから」
「夏月かぁ……」
「そう。夏月ならなんとかしてくれるって思って。実際夏月はすごくて、俺は夏月にはすごく感謝してて……」
「…………」
「あ……」
言ってから「しまった」と思った。春葉との会話中に他の女性の名前を出してしまい、あまつさえ褒めたたえてしまった。春葉はいい気がしないだろうと思って、慌ててフォローする。
「いや、夏月はぜんぜん関係なくて。関係ないっていうか、俺と春葉を取り持ってくれたキューピッドとして感謝してるってだけで……」
「う、うん。そうだよね。夏月には感謝しなくちゃいけないよね。私と冬也君がいまこうしていられるのも夏月のおかげなんだし……」
春葉の声が小さくなっていき、俺たちの間に沈黙が落ちる。二人に間に、微妙な雰囲気が流れる。それを打ち消すように、俺ははしゃいでみせる。
「お。このタコさんウィンナー、美味しい。春葉、あーん」
「え? う、うん。あーん」
俺はタコさんウィンナーを春葉の口に入れて、春葉がむぐむぐと咀嚼する。そんな感じで、いつもの昼休みの一緒のお弁当タイムが終わり……。
「じゃあ、ごちそうさまの頬へのキス」
俺が積極的に春葉に顔を近づけて、春葉もうんと目をつむる。二人でお互いの繋がりを確認する様に、春葉の頬に唇を接触させてから、教室に別れて戻るのだった。
◇◇◇◇◇◇
さらに時は流れ、放課後になった。
部室に部長はいなくて、今日はキューピッド活動もなし。コーヒーを沸かしている俺の後ろで、夏月は上着を脱いでソファに仰向けになってミスマープルを読んでいる。
その夏月の問いかけが、背後から突然耳に届いた。
「どう?」
「どうって、何が?」
俺が振り返らずに聞き返すと、夏月が続けてきた。
「春葉との関係。上手くいってる?」
「…………」
言葉に詰まってから、これではいけないと思い直す。ああうん上手くいってるとお茶を濁して目の前のコーヒーに意識を戻し、波立っている心中に落ち着け落ち着けと言い聞かせる。
と――。
気付かない間に背後にまで忍んできていた夏月に後ろから抱き付かれて、全身がビクッと跳ね上がった。背に押し付けられている胸の感触が生々しい。
「これは嘘の匂い、ね」
顔を埋めている夏月の熱い息が、俺の背をくすぐる。
「私、二人のキューピッドだから責任を感じるんだけど、春葉とはいま微妙な関係」
「…………」
図星を突かれて何も答えられない俺に、夏月が続けてくる。
「私、わかるの、恋のキューピッドだから」
そう囁いてくる夏月と俺の前では、ほったらかしのヤカンがぴゅーと湯気を立てている。
「春葉を責めることはできないとはわかってる。でも、隠れての昼休みだけで、表立っては他人のフリというのは、思ったよりもストレスに感じているところ」
夏月が、俺の心中を読み当てるように言葉にしてきて、そのセリフに俺は震える。
「春葉のことを好きには違いないんだけど、同時にそれが苦しくもあるというのが今の冬也の正直なところ」
俺は、その脳内に入り込んでくる囁きに必死であらがう。
「だからって、夏月とはなんでもないからな。確かに春葉とは今ちょっとすれ違ってるかもだが、俺は春葉のことが本気で好きなんだ!」
俺は振り返って夏月と対峙する。
「そうね。それは否定しない。でも……」
「でも、なんだ?」
俺が気色ばむと、夏月が薄い笑みを浮かべて言い放ったのだ。
「私、前よりずっと冬也の中に入り込んでるって自覚してるんだけど、どう?」
図星だった。
夏月と部室で過ごす時間の方が、春葉と過ごす昼休みより長いのは否定できない。
夏月との部活動で、夏月のキューピッド活動を手伝うのが楽しみに変わっているのも否定できない。
さらに言うと、春葉とのすれ違いのストレスを、夏月との逢瀬で解消している部分があると認めざるを得ない。
だが……。でも……。
必死に春葉の笑顔を浮かべて、目の前の夏月を振り払う。
「ゆっくり考えて。私から無理やり浮気を強要することはもうしない。でも、冬也が望むなら……」
そう言い残して、夏月は部室を出てゆく。後には、夏月のカラダの感触、セリフの余韻に震える俺が……残されるだけだった。