ep78 決行(Doppler effect)
鈍い音が響き、堅牢なる門が開いていく。その隙間からは獣達が腕を伸ばし、首を突っ込み、脚で掻いてこじ開けようとしている。見ようによっては、門が開くのを手伝っているようにも見えるし、言いようによっては、吟遊詩人が謳う詩の中の一節。地獄の亡者共が現界せんと蠢いているようにも言い換えられるかもしれない。
アルテ率いる猛者達は、少しの隙間からでも侵入を試みようとしている獣達に対し、既に一方的な攻撃を繰り返し行っていた。
――斯くして門は開いていく。隙間が拡がる度にその数は増していく――
「もう、見てられないでちッ!!」
「――わたくしが望む形へ万能なる秩序よ護れ――」
完全に門が拡がりきる前に業を煮やしたヘスティが、門の内側から外側にかけて権能を行使し、獣達の本能を抑え込んでいった。それを皮切りに猛者達の攻撃はより一層激しさを増し、遂には一匹たりとも侵入を許す事なく完全に扉が開いたのである――
「ディア殿、今だッ!」
「はいッアルテさんッ!ディア、いっきまぁすッ!」
アルテの掛け声と共に、ディアは右足首からつま先に力を入れ踏み込んでいく。客が乗っている普段の踏み込みとは違う、瞬時の踏み込みである。
斯くしてアクセルペダルが急激に押し込まれ、動力は瞬く間に爆発的な回転エネルギーをタイヤへと伝達する――
――ぎゃるんッ
ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃッ
ぎゅぎゅぎゅぎゅるんッ――
「者共!ディア殿に続き、門が閉じるまで死守せよッ!その後、散開し獣共を万事殲滅せよッ!!」
――どおぉぉぉぉぉぉんッ
ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃッ
どごおぉぉぉぉぉぉぉんッ――
ランデスが履いているタイヤは、瞬時に加わった膨大な回転エネルギーをそのグリップ力で抑え込めず、地面との間に盛大な摩擦音を掻き鳴らし、車体を左右に揺らしながら門から外へ……それこそ砲門から弾丸が放たれるように盛大な破裂音と共に射出されたのである。
「何これ?!前が何も見えない!獣さん達多過ぎですッ!ランデスくんのセンサーも獣さんの数が多過ぎて、画面全てが真っ赤だし……。こうなったら、ひたすら真っ直ぐ走り抜けますッ!」
ランデスを駆るディアは、門を出た瞬間から視界を完全に奪われる程の獣の壁に阻まれたが、それを踏み付け、薙ぎ払い、破壊しながら先へ先へと疾走り続けていく。
フロントガラスには獣達の血肉がこびり付き、それをワイパーで擦り落としても尚、次から次へと血の雨は止むことを知らず、赤々と染め上げていく。
兎に角前へ、少しでも速く、更に遠くへ、ディアのつま先は先程からランデスに対して全開の指示しか出していない。目の前に立ちはだかり行く手を阻むモノ達を、膨大な運動エネルギーで全て粉砕し、悉く破壊し、ランデスは更に加速していく。
ディアの視界は全方位見渡す限り既に真っ赤に染まっている。更にはセンサーが映し出す画面も真っ赤。濃く薄く様々な赤のグラデーションがひたすらに続く、尋常ならざる世界をディアはランデスと共に駆け抜けていった。
後方では爆発音が鳴り響いている。恐らく、作戦通りに門は閉まり、猛者達は各自戦闘を開始したのだろう。最初の爆発音から時を待たずして、昨日同様のノイズと盛大な爆発音がサラウンド効果でディアの元へと微かに響いて来ていた。
だが、昨日と異なるのはドップラー効果によってノイズが引き伸ばされ微かに入って来るノイズですら、直ぐに耳障りではなくなっていく点だろうか……。
「ディアさま、ランデスくんさま……どうか、どうかご無事で……」
砦は完全に閉門し、衛生兵と共に砦内で待機するヘスティは両の掌を合わせて握り、静かに祈りを捧げていた。
既にアルテの依頼通り、いつディアが帰って来てもいいように、門の周辺には権能を解放して敷き詰めてある。暫くの間は、その一帯では獣達は大人しくなるだろう。しかしながら、その数はやはり減っていない。
砦を覆う結界には数多の獣達がひしめき蠢いている。ここに来てからの景色は日数が経っても一向に変わらない。昼間であっても夜のように暗いのは依然として変わらないのである。
その事がより一層、ヘスティの心に暗い陰を落としている。よってヘスティの気分が晴れる事は暫くないのかもしれない。だからこそ今は一刻でも早くディアとランデスが無事に帰って来て欲しいと願うだけであった……。




