ep513 モチーフ(The pig)
――異変はジワジワと、そして確実に蝕んでいく。その一方で喰まれた事実は、喩えその身が囓られていたとしても気付く事はない――
――己が身体の一部を失い、生活に支障をきたとしたとしても、元からそうであったかのような錯覚に囚われ、少しでも動く事が可能な間は疑問を持つ事すらないだろう。
また己が身体の全てが完全に失くなるその瞬間に於いても不安や恐怖、はたまた絶望に浸る事も皆無なまでに無気力に、且つ無慈悲に全てが泡沫の如く、余韻も残さず塵芥に成り果てる――
――これは飽くまでも、人の身体をモチーフにしたアナロジーでしかないが、「メー」は「魔の酒場亭」という“システム”を手始めに、アーレを起点として侵食を開始し、このままいけば数年も掛からずに「箱庭」全てを書き換える事になるのは明白だろう――
「もう、あたしゃなぁんも出来ないさね。雇用契約書も「魔の酒場亭」すら全部握られちまった。まったく、なんでこんな事になっちまったのかねぇ……本当に一見さんが持ってくるのは厄介事が多いが、今回ばっかりはとびっきりだねぇ……はぁ……」
「おかみ」はこの時既に万策尽きていた。だが辛うじて「メー」に抗えていたのは、イシュタルと関わらない限りは、「おかみ」の持つ抵抗力が「メー」に因る改竄の範疇外にいさせたからだ。
だが、守ろうとすればする程、抗えば抗う程に「おかみ」はその大きな壁に絶望を抱かざるを得なかった。何故ならば、「高位高次元生命体」と「神族」の違い、それは天と地ほどにも掛け離れた乖離があるからと言えるだろう――
「神族」はその身に“概念”を宿し、「人間」達の願いから生まれる。しかし「高位高次元生命体」はその「神族」である「創造神」から創り出された「神族」の紛い者に過ぎない。そして「権能」を使えるとしてもそれもまた「概念」の模倣に過ぎない。
※「箱庭」を創造したのはロキであるが、「箱庭」を発展させたのはロプトであり、その“システム”を構築したのもまたロプトである。よって「創造神」としてロプトが君臨していた……が、そもそもロキもロプトも同一神である
そして「メー」は、「智識の王冠」と呼ばれこそすれど本来は、その「神族」そのものである“概念”を統治する「宝具」である。
だからこそ「メー」からすれば、「高位高次元生命体」などは赤子の手を捻るも同然の存在と言えるだろう。その結果、「メー」による侵攻は着々と進んでいた。
※ロプトが創り上げた“システム”であれば、攻略に時間は掛かる。……が、「魔の酒場亭」は「おかみ」が創り上げた“システム”である。だからこそ「おかみ」も含めて攻略は容易だ。しかしその一方で、ロプトが構築した“システム”であったとしても攻略は可能と言える。それは「メー」の“概念強度”がロプトのソレよりも勝っているからである
拠って「おかみ」が、イシュタルを従業員に迎えてからものの数日で「メー」は完全に掌握し、この世界に新たな「神族」を生み出そうとした。
しかし、イシュタルはその事実を知らない。
「メー」はイシュタルの内でイシュタルに知られる事無く、秘密裏に全てを掌握していったからだ。そして何故にそのような事を画策しているのかすらも“謎”としか言いようがない――
イシュタルはあれからも毎日のようにしくじりを続けている。因って極度の運動音痴が齎した惨劇は今も続いているが、「おかみ」を始めとした他の従業員がその惨劇を止める事は出来ない。
そしてその惨劇の対象になる客達は、傍観者の立場からすると「可哀想」と言わざるを得ないのだが、最後には幸せそうな顔で帰っていく。
それは偏に、新たな性癖に目覚めたからではない。まぁ中にはそういった者達もいる可能性を敢えて否定はしないが、否定はしないのだが、むしろそういった客しかいないとか……は言わないのだが、まぁ、そういう事である。
要するにイシュタルに関わると、全てが「メー」の餌食となるからだ。抵抗力のある「高位高次元生命体」ですらその侵食に抗えないのだから、「人間」では歯が立たない。立つはずもない。
従って惨劇の被害者達は、外から見れば内面最悪のイシュタルによって新たな性癖に目覚めさせられた哀れな“ブタ”と言わざるを得ないが、その実、「メー」によって書き換えられ上書きされ、イシュタルを頂点に崇め奉る信徒へと変貌させられたと言っても過言ではない。
強いて言うならば「粛清ビーム」の案件になるかもしれないが、それはそれ。これはこれ。
しかし重ね重ね言うが、イシュタル自身に自覚はない。だからこそイシュタルが付け上がらないハズもない。
そしてその一方で、「魔の酒場亭」は損害を広げていく。こうして最悪とも言える「負のスパイラル」は完成し、イシュタルの信徒は増長し、アーレに新たな「神族」を生み出す土壌は醸成し、空が赤黒く孕もうとも誰一人として疑念に思わない現状が完成したのである――




