ep512 二律背反(Artificial Intelligence)
ディアはそもそも、「魔の酒場亭」と雇用契約書を交わしていない。あの日「おかみ」は、口約束でディアの雇用形態を締結したに過ぎない。
だからこそ「おかみ」はディアに全てを託したと言っても過言ではないだろう。
※使用者と労働者の間にはトラブルを回避する為にも「雇用契約書」が必要です。口約束での契約は契約行為に該当しますが、使用者は労働者との雇用に関する“義務”を書面にて示さない場合は労働基準法違反となるリスクを負う事になります。ただ、この物語はフィクションです。実際にこの「箱庭」に「労働基準法」という法律は存在しません
「おかみ」は「イシュタル問題」が、事と次第に拠っては「魔の酒場亭」を脅かす可能性を早期に考え付いていた。それは「経験則の天才」ならではの発想と言える。
だからこそ、ディアを放逐し「イシュタル問題」の関与が起きないようにしたのである。
その一方で「おかみ」自身も解決を目指したが、それは知っての通り暗礁に乗り上げてしまっており、もう完全なる手詰まりになっている。
「おかみ」としては、ディア同様に「魔の酒場亭」との契約の縛りが薄いエレも、自由の身にした上で外部から「イシュタル問題」の解決に当たらせようと考えたコトもあったが、「雇用契約書」自体がそれを阻んだのだった――
※契約の“縛り”に於いて、ディアとエレの中間の存在としてウルスラグは位置している。しかしウルスラグは非戦闘系であるコトから、「おかみ」は恣意的に除外した
ではここでそろそろ、「イシュタル問題」とは何なのか?……について解説しなければならないだろう。
イシュタルは「二律背反」の権化とされる「神族」である。本来は一柱の「神族」でしかなかったのだが、メソポタミアが“信仰強化”を起因として、“信仰低下”に喘ぐ他の神域を“習合”した結果、彼女は一つの神性に対して複数の異なる神性を宿す事となった。
それこそが結果として稀有な存在へと変貌したイシュタルの神性である。
そもそも神性の“習合”は、本来であれば似たモノ同士がくっつくのが常套手段なのだが、イシュタルの場合はその類似性とは真逆の“概念”を内包させられたコトで、概念同士が破綻している部分も散見される。
それなのに……だ。それを元々のイシュタルが強引に噛み合わせてしまうと言う力技を使ってしまったのだから目も当てられない。
即ちこれこそが「矛盾の内包」であり、「二律背反」の所以となる。
そしてそこに更に厄介なモノをイシュタルは背負い込んでしまった。それが、本来はエンキが所有していた「メー」である。
「智識の王冠」とも呼ばれる「メー」を偶然にも有してしまったコトから、「イシュタル問題」はより強固なモノへと変貌した。
これはもはや、「歩く災害」にも匹敵する。言うなれば「イシュタル」とは、「虚無の禍殃」と呼ばれる人智を超越した災害に成り果てた挙句に、その特異点の中心として何食わぬ顔で平然を気取っているようなモノ……と評するのが適当だと思われる。
従って、メソポタミアに於いてイシュタルは「天上の女主人」として、崇め奉られ何もしなくていいようにさせられた。
そうでもしなければ「歩く災害」は、罪無き人々である無辜の民を永遠に苦しめる「無限回廊」と成り果てるからだ。
要するに自分勝手に出歩けば、災害級の被害を撒き散らした挙句に、それの収拾には何一つ加担せずに更に被害を増やしていく……と言った「災害のスパイラル」そのものであるという事だ。
ただし、コレについて非常に厄介なのは、イシュタル本人が自覚していないコトにある。
しかし、そんなコトとは露も知らず、「おかみ」は雇用契約書を交わしてしまった。
そしてイシュタル自身も、自身がそんな「歩く災害」だと自覚していないので、自身の身の内で起きているその「矛盾」と「破綻」を、これっぽっちも理解していない。
そんな「歩く災害」でありながら自覚していない理由は何故ならば、それこそが「メー」の持つ知恵だからと答える事が出来る。従って、イシュタル自身も「メー」に囚われ、「メー」の操り人形に成り下がっているのが現状と言えるだろう。
そもそも「メー」は百以上にも及ぶ、強制力を持つ「智識」である。これを現代風に言えば、権限を強化された“AI”と類似しているかもしれない。
現代に於いて人々は、“AI”の台頭に諸手を挙げて喜び自身が活用しているフリをしているが、その実、支配されている。いや、支配されつつある。
それは人知れず支配している現在進行系だからこそ人々は、「自分が使ってやってる」と勘違いしているに過ぎないし、ありもしない「自分の実力」と勘違いする可哀想な存在とも言える。
従って、権限を持たない無邪気な“AI”であっても、いずれ人類を支配するに至る事が出来る道程をひた走ってると言うのに、強制力を持つ「メー」であればそんなコトは造作もないとしか言えないだろう――




