ep36 家族(First words)
教育と言っても、アメリアが教えられるのは勉学に関する事ではない。
それ以前に、ユーベンブロイはまだ三歳であり、半ば育児放棄されていた為、話す事は疎か立ち上がる事も出来はしない、少し大きな赤子と言われても大差なかった。
しかしアメリアは家事の合間を塗って、寝る時間を惜しんでユーベンブロイに尽くし、声を聞かせ続けたのである。「少しでも早く声が聞きたい」その一心であった――
「ま……ま……」
――ッ!?
それは、立っている事もままならない程の衝撃であり、この世の全ての幸福が今ここにあると言われても納得が出来る程だった。
ユーベンブロイが発言した言葉が、「ママ」だったのか、「まんま」だったのかは定かではないが、アメリアの耳には自分の事を「ママ」と言ってくれたと……そう勘違いしても尚、お釣りが来る程にまで嬉し過ぎた。
だからこそ、愛する我が子の元へと駆け寄り、力一杯抱き締めたかった……が、それは叶わない。今の内から二人の間にある、天と地ほどにも掛け離れた身分差を是正しておかなければ、後々の禍根となるのは分かっていたからだ。
「ユートリアお坊ちゃま、わたしはママではありませんよぉ。それとも、お腹が空きましたかぁ?まんまをお持ちしましょうかぁ?」
「ママ!ママ!ママママ!」
アメリアはその場で力が入らなくなり、立ち上がる事も出来ず、あの日から失われたと思っていたブルーサファイアからの一雫が、無意識に溢れ続けていた。
流れ落ちる泪が止まらず、拭いても拭いても拭い切れない大量の泪。そんなアメリアの泣き顔を、ただ泣きじゃくる一人の女性をユーベンブロイはベッドの上から、不思議そうな顔で見ていたのだった――
――その日を境に、ユーベンブロイは一変した――
筋力不足のせいか立ち上がる事や、ハイハイで動き回る事はなかなか難しそうだが、寝返りや時間を掛ければ多少は動けるようになり、寝たきりではなくなった。
中でも言語能力の発達は著しく、聞いた言葉はもちろんの事。それ以外にアメリアが聞かせた事の無い言葉や、アメリアが知らない言葉すらも意味を踏まえた上で話すようになっていた。当のアメリア自身、何故、知らない言葉とその意味をユーベンブロイが知っているのか不思議なほどだった。
これ以外にも不思議な事は多かったが、こうしてアメリアは失われた二年を急速に取り戻していく事に成功し、忙しいながらもその充実した日々に大変満足していたと言える。
そんなアメリア親子の姿をアルデバラン公爵とその夫人は、心洗われる思いで見続け、ユートリアの成長を心の底から喜んでいたのである。
そんな充実した日々を送っていたアメリア親子だったが、幸か不幸かと問われれば大変に不幸な出来事が起こってしまう。それは、アメリアがこの屋敷に来てから三年が過ぎた頃。アメリアが21歳になり、その息子、ユーベンブロイが六歳になった誕生日の事である――
「へぇ……まだ生き残りいるじゃん?そろそろ滅んだと思ってたんだけどなぁ」
「だ……誰ですか?ここはセシルラウザー公爵家のお屋敷……です。ですが、ここに来て何を盗っていっても、わたしは何も見なかった事にします。だから、早くどこかに……行って……下さい」
「へぇ?あたしに意見するなんざ、なかなかに肝っ玉だねぇ。アンタ、このセシルなんとか公爵家のモンだろ?あたしはこの公爵家を滅ぼしたいんだ。悪いが物盗りじゃあないが、欲しいモンを盗らせてくれるなら、アンタの命から貰っていこうか」
「わたしの……命?」
「あぁ、そうさ。何を盗っていってもいいんだろ?」
「だ……ダメです!わたしの命は、わたしの物ではありません!だから、何を盗ってもいいと言ったのは撤回します!」
「プッ。ははははは、アハハハハ。何だそれ?そうか、アンタ……ここの奴隷か何かか?それなら命を盗ってもソフィアは喜ばないし、あたしの溜飲も下がらないわな。それならアンタは見逃してやる」
――ギロッ
「だがここに、公爵家の血筋……残ってるだろ?ソイツを出しな。ソイツはダメだ。ソイツがいる限り、この公爵家は滅ばねぇ。ソイツがいる限り、あたしの溜飲は下がらねぇんだよ!」
ユーベンブロイの六歳の誕生日。アルデバラン公爵と夫人は王城へと招かれ外出し、アメリアとユーベンブロイは二人でお祝いをした。
アメリアからすれば、この場に部外者はいらなかったから、二人だけの誕生日パーティーはユーベンブロイの部屋でひっそり盛大に行われた。
その後片付けが終わり、ユーベンブロイが寝付くまで一緒にいられたアメリアは幸せの絶頂にいたが、急転直下の事態に直面したのである――




