ep35 家事(Servant's pleasure)
「なに……これ……」
アメリアはユーベンブロイの部屋で感動の再会を果たすつもりだった。
あれから二年の月日が流れ、母親の顔を覚えていないかもしれないが、「その成長をありありと感じられる程にまで大きくなった我が子を見る事が出来る」……そんな期待があり、逸る気持ちを抑えつつ、いずれ公爵家を継ぐ立場になる我が子と、使用人のままで居続ける自分との身分差を弁えながらも、扉をノックすると共に声を掛け、ひっそりと開けた。
その胸中を察するなら、どんな言葉を発するのか?産まれたての赤ん坊の時のようにまだまだ甘えん坊なのか?など、様々なワクワクドキドキの宝石箱を開けるような心境だったに違いない。
が……。
扉を開けたアメリアが見たものは、グチャグチャに汚れ、不衛生なベッドに寝かされた我が子であり、身長もそこまで大きくなってはおらず、扉を開けるまでに夢見た幻想は完膚無きまでに打ち砕かれたと言っても過言ではなかった――
現状でアメリアがこの屋敷に来るまで使用人はいなかった。最後までこの屋敷に残った老執事は数カ月前にこの世を去っている。それからはこの家の家事に纏わる一切の舵取りを年老いた公爵夫人が行っていたのだ。
今まで……生家である伯爵家で産まれてからこの方、更にはこの公爵家に嫁いでからも尚、料理は疎か家事の一つもした事がない。育児は疎か母乳すらあげた事がない公爵夫人が全ての家事一切合切の舵取りをする事など不可能だった。
産まれた時から貧村で暮らし、任された仕事を熟し、母親の手伝いをしながら家事を覚え、兄弟達の面倒を見てきたアメリアとは文字通り住む世界が違う。本来であれば関わる事すら憚られる程の身分差がそこにある。
しかしそれも、身の回りの世話をしてくれる使用人がいればこそ。使用人が誰一人いなければ、お金があっても食事の一つも作れず、味気の無い質素な食事を余儀なくされるひもじい生活にままならない。使用人が誰一人いなければ、広大な敷地の至る所で雑草が幅を利かせ虫が入り込み、埃が溜まり薄汚れた屋敷を綺麗にする事もままならない。
貴族文化の頂点に君臨するとも言える公爵家でありながら、使用人がいなくなれば豪華絢爛な屋敷も鳴りを潜め、人が住んでいながらも廃墟と同義になるのである――
よって、ユーベンブロイが置かれた環境は途轍もなく劣悪なモノであり、感動の再会は疎か、栄養失調で成長も著しく遅れて、今にも死に掛けているような我が子を見たアメリアは、絶句すると同時に固く心に誓ったのだった。
「ユーベンブロイの為にも、この屋敷をわたし一人で、人が住める環境にしてみせる」と……。
――ここから、アメリアの快進撃が始まる――
まず手始めに料理。栄養のある物を我が子に食べさせる為、許可と金を預かり、町に出て食材を買い集め、家庭料理の範疇で腕を振るった。もちろん、豪華絢爛な食事など食べた事も料理の修行をした事もないアメリアにとっては、作るのが困難だというのは当然の事。そこまで才能に恵まれているわけではない。
しかし久方振りのまともな食事に老夫婦は涙ながらに喜び、無我夢中で頬張っていたが、栄養失調で胃腸が弱っていた我が子は、満足に食べられず吐き戻していた。しかし、少しずつでも食べさせる事で、状態は良化していった。
次に掃除。広大な敷地のこの屋敷を一人で大掃除するのは流石に骨が折れた。しかし、衛生面が悪ければ我が子が病気になる可能性がある。その為に優先順位を付け、我が子の部屋は重点的に。また、関わりがありそうな廊下や風呂場などの場所も徹底的に。オマケとして周辺の部屋はそこそこに。自分が割り当てられた部屋は後回し……の割り合いで手を付けていった。
屋敷は三日もすれば廃墟ではなくなり、一週間もすれば見違える程になった。
続いて洗濯。溜まりに溜まった洗濯物は一日で片を付けた。次に我が子の肌身に触れる物は新調し、清潔感を取り戻させた。次いでに主である老夫婦の寝室も綺麗にしておいた。
最後に庭の手入れ。これも骨が折れた。そこで、アルデバラン公爵から許可を取り、雑草畑はそのまま開墾し畑へと変貌を遂げた。雑草生い茂る枯れた植物園などは暫く放置とした。
この屋敷で数百人に及ぶ使用人達が勤め、維持し続けていた頃の様子には程遠いが、アメリアが使用人として雇われ、二ヶ月が立つ頃には「完全なる廃墟」から、「下級貴族の屋敷」くらいまでは回復したのである。
これでやっとアメリアは我が子の教育へと取り掛かる事が出来るようになったのだった――




