第01話 あいつ……絶対に神様じゃなくて悪魔だろ!! その1
真っ暗な水の底から浮かび上がるような感覚。
少しずつ意識が覚醒し、重かった頭の中がゆっくりと軽くなってゆく。
このまま動きたくない、眠いんだから放っておいてくれという怠惰な気持ち。
それをなんとかかんとか押しのけ、ピクピクと痙攣する瞼をあげると……そこに広がるのは真っ白な天井だった。
「おお……おお(ここ……どこ)?」
異世界から『日本』に送り返された俺が最初に見た光景は、
『こちらにむかって突っ込んで来るトラックの泥と錆で薄汚れたバンパー』
そう。声しか聞いたことのないクソ野郎に強制転移させられた俺。
向こうに呼び出された時そのままの状況――つまり、交通事故に巻き込まれた瞬間に戻されたのである。
いや、マジでふざけんなよあいつ!?
……てかさ。
俺だけじゃなく、異世界に呼び出された他のみんな。
全員が大なり小なり『死にそうになっている状況』で向こうに転移させられたって話だったんだけど?
「おおおあえああああんえお(どこの誰かわからんけど)」
これ、使い倒すだけ使い倒しておいて、用が済んだら皆殺しにしようって魂胆だったってことだよな?
なるほど、俺はそいつの思惑通り事故死しちゃったと。
つまりここは死後の世界……って感じでもないんだよな。
天井に蛍光灯が点ってるし。
とりあえず手足を動かそうとするが、全身を何かで固定でもされているのか微動だに出来ず。
というか顔? 口? にもマウスピースみたいなのを咥えさせられてるし、鼻に透明なお椀みたいなのを被せられてるし。
「あんあおえ?(なんだコレ?)」
もしかして……勇者の次は改造人間にされかけてるのか!?
「あえお! あえおおっあー!!(止めろ! 止めろショ○カー!!)」
……茶番はこれくらいにして。
目だけを動かし、キョロキョロと辺りを伺う。
白い天井と白い壁。
白いシーツに白いカーテン。
自分の体から伸びる数本の管。
ベッドの左側に並べられている、なにやら大仰な機械。
「……ああ、おおあんあええおおおえんあおあ(まぁ、どう考えても病院だよな)」
高速道路を逆走するトラックと正面衝突した俺と両親である。
もし、あれだけの事故で『生きていたら』入院していない方がおかしいだろう。
異世界にはない、でも見慣れた電化製品。
防音が行き届いているのか、外の音はそれほど聞こえてこないが、窓の向こうには背の高いビルや色とりどりの看板も見わたせる。
転移直後の交通事故で、何かを考える時間すら無かったけど。
……俺、ちゃんと日本に帰ってきたんだな。
そう頭が理解したとたん、ふいに胸の奥から何かがじんわりとこみ上げてくる。
異世界では考えなかった、思い出さないようにと封印していた感情。
それは懐かしさとも、痛みともつかない、言葉にならないもので。
「……おおん……おあん……(……おとん……おかん……)」
十年間、向こうでは誰に話すこともなかった両親のこと。
異世界で生き抜くため、忘れたふりをしていた二人のこと。
だけど今、こうして元の世界に戻ってきて。
おかんの優しい声。
おとんのゴツゴツした手。
三人で食べた、最後の夕飯の匂いまでが鮮明によみがえってくる。
「……おおん……おあん……」
何度目かにそう繰り返した時。
こちらからは壁の影になっていて見えない病室の扉が、小さな音を立てて開いた。
* * *
思春期に中年から少年に戻る。いや、二十五歳はまだ中年じゃねぇわ!
壊れかけのレイデ……ではなく、崩れかけの木造アパートの前にそっと佇む俺。
いや、さっきまで病院に入院してたはずの人間が、どうしてそんな場所にいるんだよ!!
……もちろん病院を追い出されたからなんだけどさ。
いやね? 病院というか、主治医の斎藤先生は、
「確かに傷は塞がっていますし、きれいに治ってるように見えますが!
あれだけの大怪我を負った人間の体力がそんなに早く回復するわけが無いでしょう!!
少なくともひと月……いえ、半月!
もう少し様子を診てからでないと退院など認められません!!」
って、華奢なその体を盾にして、必死に俺のことを庇ってくれたんだよ?
『まだ退院なんてさせてたまるかっ!!』て。
だけど俺の親戚というか、父方の爺さんがさ。
「はぁ? あんたが勝手に使ったポーションで、こいつは完治したんだろうが!
怪我もない、病気でもない人間を退院させて何が悪い!?
それともあれか?
この病院は元気な人間を閉じ込めて金をせしめる悪徳商法で稼いでるのか!?」
などと口から泡を飛ばしながら、場所も弁えずに喚き散らす喚き散らす……。
普通の人間なら、そんな○○○○に関わりたくなんてないよな?
少なくとも俺だったら関わるどころか近づきたくも……ああ、こいつ俺の自称身内だったわ。
それでも最後まで、地味系マスク美人で涼しい目元をした斎藤先生は最後まで反対してくれたんだけどな?
「つべこべ言わずとっとと退院の手続きをしろ!!
どうしても入院させつづけたいなら勝手にすればいいがな!!
もちろん金は一切払わんからな!!」
「ええ、ええ、分かってますとも!!
あなたみたいな人間には一円たりとも出していただかなくて結構です!!
むしろ養子縁組でもなんでもして、これからはユウくんと母一人子一人暮らしていく所存ですので!!」
クソ爺との言い争いがどんどんヒートアップしていく斎藤先生。
とうとう二人揃って看護師さんに羽交い締めにされる始末で……。
さすがに、それ以上迷惑はかけられないじゃん?
落ち着いたらすぐに挨拶に来ますと、しかたなく爺さんに従い、そのまま退院手続きをして目出度く退院……することになったは良いものの。
貧血なのか、それともベッドに寝てばかりいたことによる筋力低下なのか。
フラフラの身体を爺さんに車へ押し込まれ。
こちらで経過した日にち的には十日ほど、俺的には十年ぶりに帰ってきた懐かしの我が家――
「いや、ここどこだよ!?」
……ではなく、先程も出てきた『崩れかけの木造アパート』というわけである。
いや、『というわけである』じゃねぇよ!
どういうことなのか、まったく意味がわからねぇよ!!




