第00話 幕間 とある医師と患者の家族。
ここは大阪にある『皇子病院』の面談室。
救急外来に運び込まれた三人の患者さん——正月休みで家族旅行にでも向かう途中だったのだろう彼ら。
詳細は不明だが、無線連絡では交通事故に巻き込まれたらしいのだが……。
「……今はこのようなところで、ご家族の方とお話をしている余裕など無いのですが?」
六十手前といったところか?
運ばれてきた家族の身内だという岸田という男と無駄としか思えない話し合い。
私の経験では、身内の誰かが事故に遭ったと聞けば、駆けつけてきた家族は顔面蒼白で取り乱し、それでも、少しでも患者の状態を聞き出そうと、医者に問いかけてくるものなのだが……。
それなのに、この岸田という男、血色のいい赤ら顔で、どこか薄ら笑いさえ浮かべている。
……というかこの男、患者が運び込まれて十分とかからず病院に来たんだけど?
事故現場の見聞に訪れていた警官がその場で家族に連絡を入れた……あまり現実的では無いわよね?
もしそうだとしても、怪我人が運び込まれる病院を警官が知っていようはずもないでしょうし。
現場に居たのかしら一緒に救急車に乗って来るだろうし……。
「まぁまぁ先生、そんなに焦っては治せるものも治せんでしょう。
それで、息子夫婦と孫はどういう状況なんです?」
まるで人を煽るような、非常識な物言いに思わず声を荒げそうになるが、太ももを抓りながらグッと我慢する。
「……残念ですが、ご夫婦の方は病院に搬送された時点ですでに手の施しようがありませんでした。
お孫さんもすでに自発呼吸ができない状態で。
このまま手術をしても助かる可能性はかなり低いと言わざるをえません」
だからこれ以上私の邪魔をするなと、コメカミに血管を浮かべながらも。
きつい言葉にならないよう、気をつけながら必要なことだけを伝える。
十五歳の少年——岸田にとっては孫の命が、いままさに生き死にの天秤に掛かっているのだ。
普通なら医師にしがみつき、「なんとしてでも助けてください!!」と、縋り付くような場面のはずなのだが……この男は短くため息を吐いたあと口元を歪めただけ。
……というかこいつ、今笑ったわよね?
「そうかそうか」
その言葉には悲しみも焦りもなく。
むしろ、どこか安堵すら感じさせるような声音だった。
思わずマスクの下で『ギリッ』と歯ぎしり、目元を厳しくして睨みつけるてしまう。
「……ですが、まだ治療出来る可能性はあります」
私のそんな一言で、岸田の表情があからさまに曇った。
「幸いにも、この病院にはダンジョン産の『二型ポーション』が二つ、予備として確保されています」
重症患者への最終手段であるポーション治療。
強力な効果を持つダンジョン産の品には、持ち出される数にも限りがあり高額な品でもある。
それでも、十五歳という未来ある少年の命を救うためなら——
「はっ、そんな何百万もするような、保険の効かないモノを使うなど……あんた、正気か?」
先ほどまでの冷静さが嘘のように、怒りをあらわにする岸田。
確かに値の張る薬ではあるが、人の命に代えられるものではないでしょうが!?
「何にしても、そんな高額なモノを使う必要はない!
そもそも儂はどんな延命治療も無用だと伝えに来たんだからな!!」
……この男は一体何を言っているのかしら?
今死にかけてるのは、苦しんでいるのはあんたの孫でしょう!?
「なっ……お孫さんはまだ十五歳なんですよ!?
その治療を拒否するなんて、あなたは一体何を考えているんですか!
二型ポーションがこの病院にあったこと自体が奇跡みたいなものなんですよ!?
今なら後遺症もなく助けられる可能性があるというのに!」
我慢できず、声を荒らげて怒鳴ってしまう。
そんな私を見た岸田は再び薄笑いを浮かべ、吐き捨てるように言葉を続ける。
「だから必要ないと言っている!
そもそもうちは『原典の会』に入っているからな!
ポーションなんていう、得体のしれない薬を使うなど以ての外だ!」
原典の会——ダンジョンでテロ行為に近いことまでやっていると噂の、胡散臭い新興宗教。
そんな連中を言い訳に使うなんて、ほんっとうに常識の無いジジイね!
「何を馬鹿げたことを……繰り返しますけど、お孫さんの命が掛かっているんですよ!?」
「そんなこと儂の知ったことか!
死ぬならそれが、儂らに逆らったあいつらの運命——いや、天罰だろうが!
そもそもあんた、金儲けのために数百万も掛かる治療を押し売りする気か!?
ははっ、そんなに使いたいなら、あんたが勝手に自腹を切って使えばいいだろう!!」
——プツン。
私の中で何かがキレた。
椅子? それとも机?
それらを持ち上げ、眼の前の男が泣いて謝るまで殴り続けたくなる衝動、怒りをグッと飲み込み、医師としての責務、自分のプライドに従って言葉を返す。
「……わかりました。ではそうさせていただきます。
あとで苦情など言われませんように。
ああ、私の胸ポケットにささってるこれ、録音器なんですけど知ってました?
ついでにあちらの天井……カメラも見えますよね?
もしもの際には、録音・録画したこの会話を証拠として警察に提出しますので」
……嘘である。
胸に差してるのはただのボールペン、あのカメラにしても録画機能はあるが音までは拾っていない。
でも、そんなことを知る由もない男は。
「はぁ!? お前、何を勝手なことをしてやがる! それは盗撮だろう!」
慌てて立ち上がり、白衣に掴みかかろうと踏み出す。
……良し、これで正当防衛が成立ね。
岸田の足を払い、そのまま床に転がす。
これでも学生時代は——まぁ、今はどうでもいいわね。
そのまま勢いと怒りに任せ、面談室のドアを乱暴に叩きつけ……ドアクローザーに阻まれてゆっくりと閉まっていく扉。
……ああもうっ!
イライラするわねっ!!
「おい! お前、本気か!?
儂は絶対にびた一文ださんからな!?」
背後から怒鳴り声が響いてくるが、あの男のことなどもうどうだっていい。
ふふふっ……独身アラサー医師の経済力を舐めるないでよね!?
 




