5話
夕暮れの渋谷、一番背の高いビルの側面に西陽が当たってギラギラと輝いている。渋谷の方に向かう坂道には谷底へと歩く人々で溢れかえってきていた。飲食店の看板にも火が灯り、これから始まる夜を街が準備しているようだった。私と大隈リサ子は、その人の流れに逆流し渋谷の住宅街の方へと歩いていく。
住宅街に入ると街灯が煌々と輝き、すでに夜の様相だった。遠くの方で微かに電車が線路を擦る音が聞こえてくる。まるで静かな森林の中に入っていくようだった。その先にある危険を直感的に感じた大隈リサ子は歩きながらも私に近寄りやっと声を出した。
「ねえ……、ねえ! どうするのよ?」
不安を隠せない様子だ。私は歩く速さを緩めなかった。
「……君は、殺されかけた」
「それはわかってる! なんでこっちに逃げるの? どんどん人がいなくなっていくし……」
「君を狙った奴らは素人だった。その気配はこっちに感じられない」
「車とかないの? そのほうが目立たないじゃない」
「今はこのままがいい、検問されたら厄介だから」
「検問って、そんなに早く……」
私は立ち止まり、ポケットからニット帽を取り出し大隈リサ子に渡した。
「念の為です。それに車は事故っちゃうかもしれないし」
「なにそれ…… で、なにこれ?」
「ちょっとでも、あなたがあなたであることを誤魔化せたら……」
大隈リサ子はニット帽をため息混じりに受け取り、その匂いを嗅いだ。
「うーん」
「え?」
「臭いのは嫌だから…… うん、これならいいや」
私は可愛らしい仕草に笑ってしまった。ニット帽を被りながらつられるように笑った大隈リサ子は、あの時のリコの表情に戻ったように見えた。無邪気で素直な感情表現をする15歳の頃の彼女に。
「なに?」
「なにが?」
「今、笑うところ?」
「すみません」
私は「行きましょう」と促し、街とは反対の住宅街の暗い方へと歩き出す。住宅の森の中だ。すれ違う人もいなくなっていった。都会の中の幻のような場所。とある家からは砂糖と醤油を使った煮込み料理の甘い香りが漂いってきた。こんな暗く静寂な住宅街でも、住んでる人がいるんだと実感させられる。
「私狙われてるんだよね?」
「残念ながら。……銃口は君に向いていた」
「そうなんだ…… で、これから私はどうすればいいの」
「まずは、自然に歩かないといけないですね」
「いま、変?」
「……変ではないです。むしろ自然です」
「なら、いいね。私たちは兄弟? 家族? 恋人? どんな関係に見えるんだろう」
「客観的に会社の同僚のような2人になってますね。……こんな事態なのにすごいですね」
「なんで?」
「だいたい守られたいから身を私の後ろにおいて、隠れるように歩きます。あなたにはそれがない。堂々と歩けている」
「確かにね。自然に歩けるって言うのはね…… 役者として基本だから」
少し誇らしげに鼻をすする大隈リサ子からは、信用に似た安心の色が感じられる。
「なるほど」
「私の中の設定では、お友達なんだけどもうちょっとで、恋人同士になるかもしれない2人で、あなたは照れ屋さんで、私を直視できないでいる人。だとどう?」
「……なるほど」
「……細かすぎ?」
私は一瞬、あの時の冬の匂いを感じた。
「いや……理にかなっている」
「でしょ?」
その瞬間、2つ向こうの交差点に苛立ちと緊張感にあふれた気配を感じた。すぐさま後方を確認し同じく殺気に近い緊張感の気配を感じた。
挟まれた!
大隈リサ子の手をとり、目の前のマンションの入り口に駐車しているワンボックスカーの影に隠れた。「え?なに?」「このまま」と彼女にしゃがんで隠れることを促し、ポケットから奪った拳銃のマガジンを抜いた。弾は5発。スライドを少し引き装填されている弾を目視し安全装置を解除した。消音器のネジの緩みもない。ゆっくり深呼吸をし、息を殺し集中力を高める。その緊張感を発している男は、顔を動かさず、目線だけで周りの状況を注視して歩いてくる。ポケットに手を突っ込み少し前屈みな姿勢。やつのポケットには拳銃が入っていると確信するが、その男は足早に通り過ぎていった。私たちには気づけなかったようだ。
「あの人が ……アレなの?」
「アレです」
「アレって殺し屋的な?」
「しーっ ……もう1人います」
数秒後、別の男が独特な緊張感を放って、我々の隠れたマンションの方へ歩みを緩めず向かってきた。顔を出すとこちらも見つかってしまう距離感で、男の顔も確認できない。なぜ私たちの位置がわかるのか疑問だったが、澱みなく歩く男はどんどん近づいてくる。プロはターゲットに対し躊躇しないが、こんなふうに正面から距離を積めるのは稀だ。まるで無防備に突っ込んでくる狂戦士のようだ。死を恐れない立ち振る舞いは、戦場では生き残ることは困難だ。しかし、ホテルに襲撃してきた男たちを大違いの緊張感だ。私は握っている銃のトリガーに指を添える。背後にいる大隈リサ子も恐怖からか、強い緊張が伝わる。あと3歩、2歩、1歩、視界に男が入った瞬間、マンションの照明が男の顔を照らした。そして、その男は私たちの前を通り過ぎ、そのままマンションの中に入ろうとする。その男は見知った人物だった。
「……朝宮さん!」
「え?」
驚き慄き振り返ったその男は、作業療法士の朝宮だった。
「今村さん? どうして!?」
朝宮は驚きからか語気を強めた。
しかし、彼を覆うこの殺気に似た緊張感は一体なんだろう。戦場にも似た男がいた気がする……
いま、私の記憶の扉がかすかに開いた。
昔、同じ小隊で口数の少ない男だった。彼から発する緊張感は、朝宮のそれと同じようで鈍く怒りと恐怖が同居しているような複雑な感覚だった。記憶はそこまでのようだ。生き残っているのか、戦死したのか思い出せない。
それよりも今をなんとかしないといけない。
「すみません! 助けてください」
私の単刀直入な言葉に虚をつかれ、一気に緊張感が抜けて行った。
「どう言うことですか? っていうかなんでこんなとこにいるんですか?」
「スミマセン。私たちを追ってきた人と勘違いして」
「追ってきた? なにそれ、本当にボディガードしてるんですか?? というかまた家がわからなくなったんですか? いやいやなんで俺の家知ってるんですか?」
「偶然なんですが…… ちょっと待ってください」
私は車の影に隠れている大隈リサ子へ向かって。
「スミマセン大隈さん、来ていただけますか?」
大隈リサ子は、ゆるりと姿を現した。
「あの、こちら ……私の作業療法士の朝宮さんです」
「どうも」
大隈リサ子は女優のオーラを完全に消し、俯き気味のまま会釈する。
「本当にボディーガードやってるんですね……」
朝宮は彼女をチラリとみると、首を傾げる。大隈リサ子だと気づかれてしまったか?
朝宮はため息混じりで「一大事ってことですか? 後でちゃんと説明してくださいよ」とあっさりと受け入れ、オートロックを解除してマンションの中に案内してくれた。
エレベーターを出て薄暗い廊下の一番奥にある305号室。部屋の前で私と大隈リサ子で待ちぼうけ。中からはクローゼットを乱暴に開け閉めしたり、掃除機の音が聞こえる。リサ子は廊下の隙間から見える夜空に月を発見し「だからかぁ……」と呟いた。
「なにか見えますか?」
「ううん、満月だから……」
満月は統計によると、犯罪率が上がるのだそうだ。月は海の満ち引きに影響を与える。知らず知らずのうち、私たちは月からエネルギーを受けている。狼男やあの有名なバトル漫画も満月がトリガーだった。
「そうですね。シンドイ1日でしたね」
笑みを微かに浮かべた彼女は、月に照らされ輪郭が浮かび上がってくる。彼女の美しさに私は言葉を失った。
ガチャッ
「お待たせ。入っていいですよ」
大隈リサ子を先に部屋へと促すと、彼女は少し不思議そうな表情で私をみていた。「ねえ」「なんですか?」「いや、今はいい」リズムよく言葉を交わし、朝宮の部屋に入って行った。彼女からは僅かに緊張に似た色を感じた。私は周りの目を警戒し、部屋の中に入りゆっくりと扉を閉めた。
彼女は何か私の事に気づいたのだろうか……?
数分後、満月夜空に朝宮の声が響く。
「うっそっ!!!」
読んでいただいて、
本当にありがとうございます!
少し、投稿の間を空けます。
少し書き溜めて、再投稿しようと思っていますので、
恐縮ですが気長にお待ちくださいね。
<次回予告>
荘介とリサ子は地方の海の綺麗な街に潜伏する!
逃避行で見出される荘介の本当の能力とは?
なぜ、彼女は狙われるのか?
そこには、国際的で大きな犯罪組織の影が……
そして、荘介の記憶喪失の真相へと繋がり始める!
鍵となる記憶の扉は開かれるのか??