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4話

 テレビの中の高校の制服を着た少女が、隣を歩く同級生であろう旧日本軍の軍服を着た少年につぶやく。

「寂しくなるね。もっとたくさんおしゃべりしたかったな」

 少年は「うん」とつぶやくだけ。なにか言いたそうな顔で、少女をみつめる。少女は少年の目線に気づかない。その2人が歩く川の土手は、夕日で赤く染まっている。

 

 私は朝食をとっていた。なんとなくつけたテレビから流れてくるドラマを見ながら。食パンの上に乗せたハムエッグを半分にたたみほおばったとき。テレビからは大人の女性の声が滑らかに流れる「私たちはもう二度と会えないことに気づいていた。彼が待ち受ける運命を知っていたら、勇気を出して私は言えたのだろうか? もっと一緒に同じ時を過ごしたかった……」

 固まりきらなかった黄身が破けてトーストのお尻から流れ落ちた。ポタポタと卵の黄身が白い皿を汚していく。時計は8時25分をまわったところだ。テレビからは美しいトリングスが流れてくる。

 今日で第15回目の放送の朝ドラを見ていると、私は一番直近の記憶を思い出した。つまり20年前になってしまうが、リコを家まで送った真冬の道のことである。リコはあの時15歳だったから、もう35歳か…… 今はどこで何をやっているんだろうか。

 いつの間にリビングに来ていたルカが、私の黄昏を一刀両断する。

「あ〜 もったいない。卵の黄身に一番栄養があるのに」

 私はパンの耳をちぎって皿のにばらまかれた卵の黄身を拭って食べてみせる。

「こうする予定でした」

「うふふっ 予定? そんなこと予定する? 普通」

 ルカはケラケラと笑った。

「朝ドラ見てるの? あーこの2人は別れちゃうんだ。この男の子はパールハーバーで一番最初に爆撃をする人になるんだよね。日本政府がアメリカに宣戦布告したと信じて攻撃したのに、実はそうじゃなかったことを後から聞いて大きく傷付いちゃうんだ」

 戦争というのは被害者という意味を曖昧にさせる。

 

 テレビ画面の少女は悲しい笑顔で少年と別れ、別々に歩き出したところで、場面が変わった。白い病棟の庭で白衣を着た大人の女性が、片足のない入院服を着た患者をベンチに座らせる。あの少女が成長した後の場面だろうか、カメラがその彼女のアップを捉えた瞬間、私の喉の奥に鳥肌がたったような感じでピリピリと痺れた。白い息、突き刺さるような寒さ、甘いコーヒーの香り、あの時の記憶が脳の中で乱反射する。

 テレビに映ったその顔は、大人に成長したリコだった。


 「ああ、大隈リサ子ですね。ハルカさん。次の依頼人が彼女です」


 私の背後から宮澤堂の声は低く響く。私は彼が背後にきていたことはもっと早くに気づいていた。宮澤がまとっている独特の緊張感は私の気持ちをざわざわと落ち着かせてくれない。しかし、私は大隈リサ子という固有名詞に驚きを隠せなかった。

「……依頼人?」

「ソウさん、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」

 宮澤から私を気遣ってくれる色を感じる。

 ルカは私の不安を察してくれたのか、ゆっくりと説明してくれた。

「私たちは、非正規の警備会社なの。経営は両親がやっているけど今はいないの。でも依頼だけは来るから、困っている人たちのためにやっていかないといけないの。……そういうこと聞きたかったんでしょ?」

「そうだけど……」

「でも、その反応みると、なにか思い出したってことじゃないんすか? 宗さん」

「うん、実にプライベートな記憶なんだけど……」

「え? 思い出した? どんなこと??」

 リコは好奇心を隠せない色を発しながら私の肩を触る。

「大熊リサ子は僕の…… 私の元教え子。19歳の時、塾の講師をやってたときの生徒なんです」


 この後、ゴシップの記者のようにルカが私と大熊リサ子の関係性を詳しく聞いてきたが、ただの教え子だと言い張った。


 今日の午後、その大熊リサ子との仕事の面会にルカと宮澤は渋谷にあるホテルへと出向くことになっていた。ルカは私に「同行するか?」と尋ねたが、同行する理由がないと言って断った。しかし、ルカは私の社会復帰を目指してこの仕事をやってもらいたい意志を伝えてきた。だからこの仕事をやるべきだと。「あなたの才能が必要なの」と、先の追跡者を退けた一件で、私の危機回避能力がこの仕事に向いていると力説された。私は大熊リサ子の待つホテルに同行することとなってしまった。しかし、彼女はまだ12歳だ。あんな風に大人のプライドをくすぐるセリフをよく言えるもんだ。どんな修羅場を掻い潜ってきたのだろう?

 

 渋谷の東急井の頭線の駅に併設する高級ホテルのスイートルーム。大熊リサ子の所属する小さな芸能事務所社長の鈴木が待っていた。わたしたちが到着したとたんに、彼から出た最初に出た言葉が。

「え? お子さんも一緒なんですか?」

 と宮澤に向かって話しかける。

「いえ、こちら、うちの社長のアシュリーです」

 ルカは物おじしない態度で。「最初はよく言われるんですけどね〜」と鈴木の不安感を煽った。

「それは失礼しました! しかし、大丈夫ですか?」

「私は物心がついた時から父の仕事に付き添ってきました。日本でいう義務教育は受けていませんが、父からは身辺警護のノウハウとその経営の極意を叩きこまれています」

 鈴木は堂々と答える12歳の少女の圧力に押される格好となった。

「なーんて言ったら信じますか?」

 とルカは緊張を一気に解き、ふふふと笑った。

 鈴木はどんな対応していいのかわからず「い、いや……」苦笑いを絞り出す。

 すると間髪入れずに宮澤は「社長挨拶はこの辺で」と完全にマウントを取ったルカをたしなめた。

「今日は大熊リサ子さんと面会の約束のはずですが」

「いま、寝室で仮眠しているところです。ちょっとお待ちください」

 鈴木はスイートルームの奥にあるベッドルームに入っていった。

 リコは一際大きなソファに座ると、あまりの柔らかさに「うわっ」と声を上げる。

 宮澤はその横に立って大熊リサ子を待つ。

 私はというと、部屋に入ったところで壁に寄りかかるように立った。少し緊張しているようで壁伝いに鼓動を感じるほどだ。動揺している自分に苦笑いをする。

 ルカはその様子が気になったようで、暖かな色を放ち微笑んだ。私は軽く咳払いをして、大きく息を吸った。ベッドルームから声が聞こえる。

「う〜ん、ごめん寝ちゃってた、もう来てるの?」

 するとベッドルームの窓越しにうっすらと緊張感が漏れてくる。私は少し緊張していた。20年ぶりの再会となるからだ。どんな顔して会えばいいかずっと考えてはいたが、答えが全く出ない。ましてや失われた20年で大隈リサ子とコンタクトを取っていた可能性もある。正解がわからない。果たして彼女は私に気づくのだろうか? すると、ベッドルームからショートカットの女性がベッドルームから出てくる。彼女から緊張の色は感じられない、その後ろから出てくる鈴木が醸し出していたものだった。ショートカットの女性は、緩いパンツに体のラインがはっきりわかるTシャツ姿で、手に持っていた黒縁のメガネをかけた。ルカに対峙するように、ゆっくりとソファーに座った。

 「初めまして、大隈リサ子です、あ、ちょっとすみません」

 机の上に置いてあったペットボトルの水を、細い指で軽快に開けてゴキュゴキュと飲んだ。

 20年ぶりの大隈リサ子。リコと呼んでいたあの頃の雰囲気からは、想像できないほど変わって見えた。身長が伸び、スレンダーな体型になっていて、何より、あの頃の彼女から発せられていたピュアな空気を全く感じさせない。自然体ではあるが、澱みない口調が、汚い言葉で精神的な攻撃を受けても物怖じしない覚悟のような、心に屈強な鎧を着ているようなメンタルを感じさせる。ペットボトルの半分くらい水を飲んだ彼女は、蓋を閉めながら大きく息を吐き、ルカの前に座った。

「ふう、社長さんかわいいですね。私の悩み聞いてください」

 少し人懐っこい大隈リサ子の口調は、あの頃のままのようだ。

 ルカに対しての不信感は微塵も感じなかった。

 ルカもそれが当然のように話し始める。

「その前に、なんでボディガードが必要なのか詳しく教えてください」

「えっと、それは動機を聞きたいってことですか?」

「そうです。それが一番大事なんです。わたしたちは依頼人の命を守ると同時に、命をかけています。当たり前なんですけど、私たちはあなたを守る価値があるのか? それを見定めないといけないんです」

 大隈リサ子の横で聞いていた鈴木が口を挟む。

「ちょっと、それは話が違います。我々はちゃんと対価を支払うことになっていますよ。そこは受けてもらわないといけない」

「お金で雇いたいんなら、セコムとか警察とかに頼めばいいじゃないですか? なぜ私たちみたいな潜りの会社に頼みたいんですか?」

「さっきからあなたの対応は私たちクライアントに対して、ちょっとアレですよ。……横柄だ。こっちは正当な手続きを踏んで依頼してるんだ」

 鈴木は一気に赤く怒りの色を帯びてくる。

 すると、それと呼応する様にルカから怒りの色が漏れてくる。しかし、それを抑えようともして理性の色で中和もしようとしている。

「鈴木さん、ハッキリ言って私たちは独占企業です。だから客を選べるんです。良いですか? あなたがたの世界のような、金や権力を持っている一部の人が偉いんだとしたら、私たちはソレなんです。依頼を受けるとは一言も言ってませんよね? お願いしたのはそちら。受けるかどうか決めるのはこっちです。そのためにどうして私たちが必要なのかを聞いてるんです」

 鈴木は何か答えようとするが、大隈リサ子に「鈴木さん」と制される。

「そうですね。動機っていうと難しいんだけど、状況を話します。私はいまドラマの撮影をしながら、3ヶ月後の映画の撮影に向けていろいろ準備しているんです。まあ、アクションの映画なんですが……  詳細は後ほど

ですけど、そのトレーニングで不可解な事故が起こって、命の危険を感じているんです」

「具体的にどういう?」

 宮澤が会話に介入してきた。はっきりとした口調は一瞬周りの時間をゆるめる。彼が持っている世界に引き込もうとする渦がそこに生まれた。

 私は宮澤の核心をつく不思議な声をどこか心地よく感じた。

「あ、そうですね…… 例えば、私が体にワイヤーを仕込んで10メートルくらいの高さから飛び降りる練習をしていたんですが、私が飛ぶ直前に、ワイヤーが切れたんです。飛ぶ直前だったので助かったのですが、もし飛んでいたら……」

 不思議だ。大隈リサ子からは薄くて不安な色が一定の間隔で出現する。

 私が違和感を覚えた瞬間。

「それは、怖かったですね。そのワイヤーは誰かに工作されたものだと?」

 宮澤は実直に話を聞いているが、どこか警戒している感覚が漏れている。

「はい、その日は解散になったんですが、後日ワイヤーに切り傷が数箇所入っていたという報告がありました」

「うん、それ以外になにかあったんですか?」

「実はその日、アクションを担当していた1人のスタッフが行方不明になっているんです。最近入ったばかりの人で、だれもその人の素性がわからなくて」

「そのスタッフが怪しいんですね」

 鈴木が割り込んできて。

「最近、車で行動している時、同じバイクを何回も見かけるんです。明らかに尾行している雰囲気で、いろんなルートで大熊の自宅に帰るようになって、ただでさえ忙しいのに、気の休まる時間が少なくなってきていているんです」

「なるほど、よくできていますね」

「そうなんですよ…… え?」

 鈴木は虚をつかれたように会話を止めた。宮澤は大きく息を吸い、何か言おうとする雰囲気を作る。

「……よくできている嘘ですね」

 鈴木は焦りを隠せず、何を言ってるんですか!と続けるが、大隈リサ子が強い口調で再び鈴木を制す。

「あーもう、ごめんなさいね。やっぱりバレちゃった?」

「アクションのスタッフは行方不明にはなってませんよね? やめた人はいますけど、その人は白ですよね。彼はどことも繋がっていないし、一般人でしたよ」

「もう既に調べていたんですね」

「彼はすでに北海道の実家に帰っていて、あなたのことを尾行することはできないはずです」

「そうでしたか…… 知りませんでした」

「何よりも、アクションの練習現場でそんな事故なんてなかったですよね?」

「もう、そこまで裏が取れてたんですね。もーまいったまいった」

「で…… あなたの現場マネージャーは、あのプライバシーの隠匿で有名なK病院に入院しているんですか?」

 大隈リサ子は、1つも顔色を変えず、ゆらりと話しはじめる。

「彼女は、私の身代わりになって怪我を負いました。多分、原因は父が関係しているんだと思うんです」

 急に私は強い違和感を覚えた、大隈リサ子の先にある窓ガラスの向こう側、強い緊張に支配された誰かがいた。

 私が「危ない!」と叫んだ瞬間。


 パーン!


 ホテルの窓ガラスが急に砕け散った。黒い物体が絨毯の上を転がる。宮澤はルカを抱え、私へとアイコンタクトを交わし隣の部屋に飛び込んだ。

 「伏せろ!」

 私はモタモタしている鈴木の膝を蹴り、転んだ彼を腹ばいにさせた。そして、大隈リサ子を抱えるように黒い物体から一番遠いソファの裏に隠れた。ドーン!と轟音が鳴り響き、衝撃波が襲ってくる。大隈リサ子の顔は恐怖で血の気が引いていて、起こった状況を受け入れられないようだった。「しっかりしろ!」と怒鳴りつけた瞬間、部屋の入り口から、目出し帽を被り拳銃を構えた者たちが侵入してくる。私は砕け散った椅子の足の破片を拾い侵入者との距離を咄嗟に詰める。侵入者が構えるサイレンサーのついたオートマチックの拳銃を掌底で突き上げ、タックルして仰向けに転ばせると、椅子の足で思い切り顔面に殴打した。悶絶している最中に拳銃を奪った。瞬間の出来事に少し混乱している残り2人の侵入者の膝を撃ち抜き、糸の切れた人形のように叫び声をあげてその場に転がった。

 「ソウさん! 彼女と行って!」

 と宮澤が叫び、私は残り2人から銃を取り上げ、宮澤に投げ渡した。

 宮澤は、銃を受け取った瞬間、慣れた手つきでマガジンを確認し、銃を構える。侵入者たちとは違い、隙のない構えだ。

「ルカは大丈夫だ!」

 宮澤はそう言うとベッドルームにあった、大隈リサ子のモノであろうスニーカーを投げた。それを受け取ると私は、立ちすくんでいた大隈リサ子の手を引く。

「え? え? どうするの?」

「まず、靴を履いてください」

 震える手を押さえながら、彼女はスニーカーの紐を結ぶ。

「履いたけど……」

「行きます、ついてきて!」

 私は大隈リサ子の手を引いてスイートルームの玄関に早足で向かった。

 その時、ベッドルームの方を振り向くと、銃を構えた宮澤の後ろ。隠れるように立っていたルカは何か言いたそうだったが、モタモタしている余裕はなく、私たちはスイートルームを脱出した。



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