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灯台下暮らし  作者: 夜寝眩
19/24

日曜日

誰が起こしに来たわけでも無いのにいつもより早い時間に目が覚めた。

今日は真鍋達と遊びに行く予定だけれど約束の時間まで余裕がある。


暗いリビングに明かりをつける。いつもならこの時間にはすでに明かりがついていて、誰かがいる。慣れない家の雰囲気に落ち着かない気持ちになりながら、僕は冷蔵庫からお茶を取り出しコップに注ぐ。それをソファ前のテーブルに置いて、体をソファに預けた。

ボーっとした頭でお茶を一口飲む。昨日はこうしてソファに座っていた時、隣には誰かがいてくれて、その人が淹れてくれたカフェオレやハーブティを飲んでいた。それに比べると今飲んだ一口は何か物足りない。喉の渇きは癒されるのに、もっと奥の方にある渇きが癒されないような、もどかしさに似た感覚。


ふと思う。

ごく自然で当たり前の事だと思っていたこと。

それが幸せで、大切なものなのだと、大した年月を生きていないのにそう思える。

朝のドタバタ劇や、飲んだカフェオレとハーブティもそれぞれ傍に誰かがいてくれた。その時は面倒だと思えた事でも思い返せば少し面白く、あの瞬間感じた苦みや甘みや香りもはっきり思い出せるほど脳に刻まれている。そんなことを思いながら味気ないお茶を作業的に飲み干した。


朝ごはんは咲姉が昨夜作ってくれたカレーを食べた。一晩寝かせたおいしさなのか何なのか、胃袋と気持ちがいっぱいになった満足感に満たされた。


カレーを食べ終わってソファに座りながらテレビで動画配信サイトを見ていたらあっと言う間に9時になっていた。

普段なら誰かしらが注意して来るので気づくのがだいぶ遅れてしまった。約束の時間までにはまだ余裕があるけれど、まだ食事の後片付けが終わっていない。

ソファに張り付いた体を無理やりはがして、食器類を洗い、テーブルの上を綺麗にした。その後身支度を整えて時間をみれば10時まであと少しというところだ。集合場所の三ノ宮までは30分もあれば余裕で着く。でもここでまたソファでだらだらしていたら時間を見過ごして遅刻しそうな気がした僕は、まだ早いけれど家を出ることにした。


三ノ宮にはやはり、かなり早く着いた。昨日の夜、寝る前にスマホを確認したら真鍋から追加でメッセージが届いていて、集合場所は近くの商業施設の入り口付近だと伝えられていたため、僕はとりあえずその集合場所に向かった。

緑色が特徴の、比較的規模が小さいその建物の前で時間を持て余した僕は、少し中をぶらついてみようと思い中に入った。

郊外にある大規模なショッピングモールとは違い、ビル一棟に色々詰め込んでいるここは個性的な店が多く少し面白い。

とはいえ、特に目的無くぶらぶらと歩きまわるだけで、面積も広くない場所を見て回るのにそんなに時間はかからなかった。

そうして、大した時間つぶしも出来ないまま待ち合わせの入口前に戻り、時間を確認すると約束の時間まで15分程。そろそろ誰かが来てもおかしくないなと思っていたその時だった。


「吉野君、おはよう。早いね」

後ろからの突然の声に驚いて振り返ると、彩音さんが立っていた。

理解が追い付かずに固まっていると彩音さんは不思議そうに首を傾げる。

「・・・おはようございます。彩音さん。・・・ところで早いねとは?」

とりあえず挨拶を返し、理解できなかったことを聞き返した。

そう聞かれた彩音さんは、聞いてないの?という表情をしながら答える。

「今日は君と真鍋君、東君、南君、私と1年のサッカー部マネージャーの小宮さんの6人だよ」

そう言われて昨日の真鍋とのやりとりを思い出す。真鍋は確かに6人と言った。東と南の名前は聞いたけれど後の2人がだれなのかは聞いていない。僕はてっきり残りの2人もサッカー部の1年男子だと思い込んでいた。

「そうなんですね、東と南のことは昨日真鍋から聞いていたんですけど・・・ぼくはてっきりサッカー部の男子がくるのかと思っていました」


「女子が来ると緊張しちゃう?」

からかいが混じっていることが分かる笑顔で彩音さんが聞いてくる。

「緊張というか、予想外の事に驚いているだけですよ。まぁでも彩音さんは先輩ですし、緊張というか、気は使いますね」

安い挑発に乗ってしまった僕が、少し棘のある言い方で返すと、彩音さんは「なるほどなるほど」と頷きながら呟いてなぜか一人で納得している。

「君は気持ちを言葉にするのが下手だねぇ」

見透かしたような物言いに僕は口を閉ざして黙り込む。

彩音さんはクスクス笑いながら、優しい目で僕を見る。どうも僕の周りには僕をからかって楽しもうとする人が多い気がする。

スマホを取り出し時間を確認する。そろそろ集まり出す時間だ。

「そんなに時間を気にして、私と二人は嫌なのかな?」

「そういう訳ではないですけど・・・、そういえば彩音さんは何時くらいからここにいたんですか?」

答えに困る問いかけに話を逸らす。

「三ノ宮に来たのは10時くらいだね、ここに来たのは君が来るちょっと前だよ、それまではこの辺をぶらぶらしてたんだ」

「早いですね、買い物とかですか?」

「んー、買い物は基本外商で済ませるからね、まぁ気に入ったものがあったら買おうと思っていたけど、そういうのは無かったね、もうちょっと時間があればもっと見て回れたんだけど」

外商か、本家にはよく出入りしているのは知っているけど、僕にはあまり馴染が無い。

「そうですか、なら彩音さんが納得するものはなかなか見つけられないかもしれませんね」

「買い物が一番の目的だった訳じゃないよ。こうやって町を見て、人の行動、物やサービスの値段、流行りなんかを見たりするのが一番の目的。私たちって結構特殊でしょ?だからたまにこういうことをしてるんだよ。人と話を合わせられなくなると困る場面があるからね」

そういうことか、と納得してしまう。この人も世間一般とは違う世界で生きている人だ。特殊と表現するのは理解できてしまう。


「彩音さんは九宝院家の跡継ぎなんですか?」

すると彩音さんは手を振りながら「違う違う」と笑う。

「それは兄の役目。私はああいう権力とか利権争いに興味は無いから。逆に兄はそういうのが好きだからねぇ、ぴったりだと思うよ。そういえば明日はうちが開くパーティに吉野家の方が出席するはずだったけど、咲さんは来るのかな」


ふと昨日のことが脳裏をよぎる。

咲姉の諦めにも似た表情と結婚という言葉。

「どうでしょう・・・、おそらく出ると思いますけど、詳しい事は聞いて無いですね・・・」

漠然とした不安を抱えて、うつむきながら答えると彩音さんが僕の顔を覗き込んでくる。

僕は驚き、一歩下がり距離を取る。

「何ですか急に。ビックリするじゃないですか」

「んーん、なにか心配事でもあるのかなぁって思ってさ、何を考えていたの?」

「別に、何も考えてないですよ。咲姉の予定を思い出そうとしていただけです」


「嘘をついているね」

間髪入れずに核心を突く言葉に思わず目を見張る。

「わかりやすいなぁ」

彩音さんは笑いを抑えられないようで、口に手を当てながらクスクス笑っている。

かまをかけられたと気づいて自分の眉間にシワが寄るのが分かった。彩音さんはそんな僕を見て更に笑う。

そんなに僕の顔が面白いか、と彩音さんを見ていると、「おーい」と聞き慣れた声が聞こえてきた。

真鍋がこちらに向かってくる。僕は彩音さんに向いていた意識を近づいてきた真鍋に切り替えて返事を返す。


「遅いよ真鍋」

「5分前だが!?」

そんなやり取りを見た彩音さんはついには声を抑えきれずに笑いだした。なんなんだこの人は。

「で、どうして彩音さんが腹を抱えて笑ってるんだ?」

「知らないよ」

つっけんどんな言いように真鍋は驚いた様子で目を僕と彩音さんとに行き来させている。

「ごめんごめん、おはよう真鍋君」

「おはようございます彩音さん。何がそんなに面白かったんですか?」

「吉野君の反応が面白くてね。わかりやすい性格してるよね」

彩音さんは顔を真鍋に向けながら、チラっとこちらに視線を向けてくる。

「ああ、もう気づきましたか。修は口数が少ない分顔に出やすいんですよね。最初の方は不愛想な奴だなと思っていたこともありましたけど、接していると味が出てくるんですよね、スルメみたいに」

失礼にも程があるだろう。親しき中にも礼儀ありという言葉を真鍋は知らないのか。接していると味が出る?意味が分からない。僕はイカではない。

「ああ、なるほど、っふふ」

何故か納得してまたクスクスと笑いはじめる。目の前の本人を、イカ扱いした挙句に勝手に加工して味わっている人間に問いたい。

目の前でスルメを味わう人間を見て、さてイカは何を思うのだろうかと。

何も思わないか・・・。墨を吐いて逃げるくらいはするだろうが。


僕はため息を一つ吐く。

「・・・真鍋。一つだけ聞きたい。何故、今日、彩音さんが?」

二人で盛り上がっているところ申し訳ないが、本当にこれが謎でしょうがない。

すると彩音さんが笑いを止めて僕を見る。

「まあまあ、そう邪険にしないでよ」

いやいや先に邪険にしたのはあなたですよ?

「そうだぞ修。失礼だぞー」

今の真鍋に礼を説かれたくはない。しかも真鍋は彩音さんを隠れ蓑にして、非難混じりの僕の問を躱している。二重に失礼。

呆れ交じりの視線を真鍋に送っていると彩音さんが先ほどの問に答えてくれる。


「今日は私が真鍋君にお願いしてこういう機会を作ってもらったんだよ。サッカー部の親睦会みたいなものだと思ってくれていいよ。真鍋君は1年の中では活躍している選手だから主力選手のサポートがメインの私と絡む機会も多いんだけど、逆にそれ以外の有望な1年生と接する機会があまりないんだよね。今日一緒に遊ぶ東君と南君は私の注目している一年生なんだけど、彼らの個性や性格を確認しておきたいんだ。そういう理由があることは真鍋君には伝えているけど東君と南君は知らない。真鍋君には黙っていてもらうことにしているし、そこは吉野君にも黙っていて欲しいんだけどいいかな?」

事情があることは理解できた。でも違う疑問が当然出てくる。


「理由は理解できましたけど、何故僕が誘われたんですかね?」

「それも私が頼んだんだよ」

あっけらかんとした言いように僕は目を瞬かせる。

そんな僕を見て、真鍋が真面目な顔をしながら話してくる。

「だまし討ちしたみたいになって修には申し訳ないと思ってるんだ。でも続きを聞いて欲しい。彩音さんは修に興味を持っているんだ。興味っていうのはサッカー部の一員としての可能性の話だ。情報分析担当としてサッカー部に入って欲しいと考えているらしい。そこについては俺もありだと思っている。でも直球で修を誘って断られるのは目に見えていたから、こういう変化球を使わざるを得なかったんだ。すまない」

本気で悪いと思っているのだろう。いつにもなく申し訳なさそうな顔をしている。


「ごめんね吉野君。真鍋君は最初断ったんだよ。友達を騙すようなことはしたくないってね。そこに無理を言ってお願いしたのは私なんだ。こういう手段を取ることも含めて私が提案したの。攻めるなら私を攻めて欲しいな」

狡猾な人だと思った。そんな言い方をされてしまうと攻めようにも攻め辛い。何も言い返せずにいる僕を尻目に彩音さんは話を続ける。

「今日は単に吉野君と接する機会を作ってもらっただけで、どうするか決めるのは吉野君次第。どうかな、今日ちょっと遊ぶついでにサッカー部がどういうものか知ってもらう機会にするっていうのは」

別に今日は予定があったわけでも無いし、断る理由も無いのだけれど、彩音さんの手のひらの上で転がされているような気がして良い気分とは言えない。

やられっぱなしが気に食わない僕が返す言葉を考えていると、彩音さんがすっと僕に近づいてきて耳元で囁いた。


「梨沙さんの事とか知りたくない?君が知らない梨沙さんを私は知っているよ」

たったその一言で僕の思考が停止する。

衝撃と共に茫然とした自分の頭をどうにか動かして考える。

何故、この人が姉の話を持ち出したのか。僕が姉との関係で悩んでいることを知っているのか?真鍋を通じて知った?

頭の中に浮かんだ疑問を視線に乗せて真鍋を見ると、真鍋は不安そうな顔をして僕を見てくる。

「どうしたんだよ修。急に怖いんだが・・・・・彩音さん、修に何を言ったんですか?」

自分でもどんな顔をしているのか分からない。

彩音さんは全く悪気を感じさせない笑みを浮かべながら言う。

「今日付き合ってくれたらご褒美をあげるよって言っただけだよ?」

「ご褒美・・・」

何を思ったのか真鍋が急にそわそわして、咳払いを一つしてから僕に言う。

「修、彩音さんはこういう人なんだよ。結構タチが悪いんだ」

そう言って真鍋は彩音さんとわいわいとしゃべり始める。彩音さんは、タチが悪いとはなんだと真鍋に抗議し、それに対し真鍋は「いやいや俺はもう被害者ですからね、最初そうやって片付けを手伝ったらご褒美と称した特別トレーニングメニューをやらされたこと、まだ忘れてませんから!」

僕を置いて、やんのやんのと仲が良さそうに言い合っている。


二人を視界に入れながら、僕は考える。正直、真鍋が僕のプラベートなことをペラペラと話すとは考えていない。というより考えたくない。友人として信用しているから。

彩音さんは勘が良い。そう思った方が今は都合が良いように思う。そしてその場をコントロールする能力が高い。会話をしているだけで彼女のペースに巻き込まれてしまう。こんな風に無邪気に真鍋と言い合っている姿をみていると深読みして考えることが馬鹿みたいに思えてくる。そもそも僕にはマイナス要素が無い。上手く丸め込まれないか不安もあるけど、“僕の知らない姉”という言葉が思考に絡みついてくる。そんな自分に呆れてしまう。


もうなんでもいいかと諦めた僕は、いまだに言い合っている二人に向かってため息を吐き、スマホを確認する。二人と合流してから結構時間がたっているように思う。スマホの画面をつけると時刻はもう集合時間を過ぎていた。

「真鍋、もう集合時間を過ぎているけど残りの人はまだ来ないの?」

すると言い合っていた真鍋がこちらに振り向いて言う。

「ああ、すまない・・・修には早い集合時間を伝えたんだ。彩音さんの思惑を伝えるのに時間がいると思ってな」

そう言って真鍋は彩音さんに視線を送る。

「で、どうかな吉野君。今日一日私のわがままに付き合ってくれないかな」

どうにも彩音さんペースに乗せられている気がして、釈然としないものを抱えつつ「わかりました」と返事を返すと彩音さんは無邪気な笑顔で「ありがとう」と返してきた。


先ほどの事に加えて、彩音さんは小宮さんについても話してくれた。彩音さんは彼女を自分の後釜にしようと考えているようだ。小宮さんは彩音さんの指示を受けて1年生の中から成長が期待できそうな選手とその特徴や性格など、データの収集を任されているらしい。このことは他の一年には秘密となっているそうだ。こう聞くと真鍋が彩音さんから特別扱いされているようにも見える。気になった僕はそのことを直球で真鍋の目の前で彩音さんに聞いた。すると彩音さんは動揺のひとつも見せずに淡々とした様子で答える。


「私の仕事は監督たちにわかりやすく情報を伝えること。真鍋君はもう監督たちから評価されている選手だからね、何か隠して動く必要もないんだよ。言い方が悪くなるけど、真鍋君を利用した方が効率よく立ち回れるんだよね。今日だって東君と南君がどういう人なのか見極めるだけじゃなくて小宮さんの能力を評価することにも使えるし。わかりやすい言い方をするとちょっとしたスパイ役みたいな感じかな、真鍋君は実直な性格をしているから、こうして私が特別扱いしたところで油断したり、努力を怠るような人じゃないと信じてる。それに、うちのサッカー部はそんなに甘くないからね、能力のない人や結果が出せない人はすぐ外されるよ。もちろん真鍋君にも見返りはあるよ、こういう役を引き受けてもらう代わりに、真鍋君に最適なトレーニングを提案してあげたり、情報を提供したりしてるんだぁ」


彩音さんの話を聞いて、僕は少しの恐怖心を抱いた。

真鍋が実直だと彩音さんは言った。僕もそう思う。だからそんな真鍋をスパイと表現し、あまつさえその真似事をやらせることが出来てしまうことに驚いた。そして、彩音さんが話した後に真鍋を見ると、居心地の悪そうな顔をしている。心の中ではいい気分では無いだろうとすぐわかる。そんな真鍋に気づかない人では無いはずなのにこうして堂々と真鍋をスパイ呼ばわりするその神経が僕には理解し難い。彼女の職分からすれば確かに効率的で合理的なのだろうことは理解できるけれど、人として何かが欠落しているようにも見えるからだ。


ただ、違う見方も出来なくもない。特別扱いしていると認めた上で、サッカー部は甘くないとクギを刺した。そしてスパイと表現することで真鍋とは一定の距離があると暗に伝えたのかもしれない。

いずれにしても彩音さんの深みに危険性が潜んでいるように思う。

とはいえ、知り合ったばかりだ。彼女は僕の事を見透かしているかのような言動をしているけれど、僕には彼女が何を考えて行動しているのか分からない。真鍋のことが気になるものの、今はサッカー部とも関わりがない以上、僕がとやかく言う資格はない。そう思って、少しの違和感と恐怖心を頭の隅に追いやった。


僕に伝えられた集合時間から30分ほどたってから東と南、それから小宮さんが集まった。

東と南は同じクラスだから別に問題ない。問題は小宮さんだ。彼女とは初対面。かつ、先ほど彩音さん達から聞いた“秘密”を一部共有することになる人でもある。自分の演技力に自信が無い僕は小宮さんとどう接するべきか迷っていたけれど、それは杞憂だった。

というのも、まずはお昼ごはんを食べようということで、商業施設の中にあるカフェで軽食を食べながら雑談していたのだけれど、小宮さんは真面目そうな雰囲気を纏う人でありながら、かなり気さくで初対面の僕とも積極的に話そうとしてくれた。それに加えて真鍋や彩音さんが上手く会話を回してくれるものだから、あっという間に友人の距離感まで縮めることができたからだ。


そうして食事を終え、いよいよスポーツ施設とやらに向かうことになったのだが、着いた場所は屋内フットサルコートだった。てっきりいろんなことが楽しめる施設にいくものだと思い込んでいた僕は、真鍋に聞いた。

「真鍋、何故フットサル?」

「え、修嫌だった?」

「嫌じゃないけど、昨日話した内容と今の状況に食い違いがあるように思うんだ。真鍋は昨日チーム分けをするのに偶数じゃないといけないって言ってたよね。でもフットサルは5人でするものでしょ?数がおかしくない?」

5人競技で対戦相手がいるのならそもそも僕は必要ない。そんな疑問に真鍋はさも当然のように言う。

「ああそういう。確かに5人でするものなんだけどな、別に3対3でも出来るだろ?遊びでやるには結構面白いんだ。結構走り回らないといけなくなるけど、ディフェンスとかフォワードとかっていうポジションに縛ることが出来なくなるから皆自由にボール遊びが出来るって訳だ」

真鍋が楽しそうに語る。他の面々の様子を見ても最初から分かっている様子だったので、僕だけが理解していない状況に多少の居心地の悪さを感じた僕は「楽しそうだね」とだけ返し、サッカー部の運動量について行けるか不安を抱えるのだった。


皆動きやすい恰好をしてきていたが、靴はどうしようかと思っているとレンタルできるということだったので自分のサイズに合うシューズを借りてコートに入った。

全員がコートに入ると、誰からともなくパス回しが始まる。小宮さんと彩音さんも慣れた様子でパス回しをしている。二人ともマネージャーというだけでなく実際にこうしてプレイする方も好きなようで楽しそうにしている。

軽く体を温めたところで早速チーム分けをすることになった。東と南それから小宮さんのチームと僕と真鍋、そして彩音さんのチームでのゲームだ。

今日の目的を考えれば当然と言えるけれど、それを知っている僕からするとあまりにも出来過ぎたチーム分けとなった。チームを分けるときも彩音さんがもっともらしい理由をつけてこのチーム分けにした訳だけれど、まるで息をするかのように自然に人を誘導し、一切の疑念を持たせることなく東と南に自分の提案を受け入れさせた彼女に僕は静かに感嘆した。


ゲームは本当に遊びの延長線みたいな感じの雰囲気だった。キーパーがいないため、得点しやすい分、攻守の入れ替わりが激しくバスケットボールのような感じの展開だった。運動量もかなり多い。僕は真鍋に引っ張られるようにしてコートの中を走り回った。彩音さんはゲーム中、終始後方で相手のボールをカットする役割を担っていた。さすがと言うべきか彼女は相手の動きをしっかり読んで先回りしてボールを上手くカットしていく。そして奪ったボールが次々と僕と真鍋に渡って来た。

彩音さんのパスは正確だけど、際どいものが多かった。追いつけはするけれど、かなりしんどい。こちらの力量を知っているかのようにギリギリのところに出されているようで、僕と真鍋は限界一歩手前までこき使われているような感じだった。それでも得点に繋がるため、文句の言いようがなかった。むしろ楽しいと思えてくるからタチが悪い。

ゲームを楽しみ、皆の息が上がり始めた頃、一度休憩を挟むことになった。

真鍋と一緒にベンチに座って息を整えながら周りの様子を見てみると、東と南、小宮さんはコートに足を延ばして座り、疲れた様子を見せている。一方、隣に座っている真鍋にはまだ余裕がありそうだ。彩音さんも息が上がっている様子はない。彼女はミニゲーム中も無駄な動きがほとんど無く、走っている所もそんなに見なかった。彼女はボールを転がすのではなく、僕達を転がして楽しんでいたようだった。いい性格をしている。


そんな彩音さんを少しモヤモヤとした感情を抱きながら見ていると目が合った。すると彩音さんは「じゃあ飲み物でも買ってくるよ。吉野君ついてきて」と言って、僕を荷物持ちに指名し、コートの外に出て行った。突然の事に驚いていると隣に座っていた真鍋が「よろしく」と爽やかな笑みで言ってくるので僕はため息を一つ吐いて彩音さんを追ってコートを出た。


自販機の前での飲み物を選んでいる彩音さんに声をかける。

「どういうつもりです?」

「ふふ、いきなりそうくるかぁ」

彩音さんは微笑を浮かべながら自販機から目を離すことなく、事もなげ言う。

「別に意味なんてないよ。吉野君が私と話がしたいんでしょ?まぁそんなに焦らなくてもちゃんと教えるよ。梨沙さんのこと」

全てを理解しているかのような言葉に続いて、自販機からゴトンと飲み物が落ちる音がする。彩音さんはそれを取り出し、僕と目を合わせながら渡してくる。

「とはいってもこんなお使いをしている時間で済ませることが出来るほど短い話でもないんだよね。とりあえず連絡先だけ交換しとこうか」

そう言って彩音さんがスマホをこちらに向けてくる。僕もそれにならってスマホを取り出す。連絡先を交換し終わると彩音さんは特に何も言うことなく自販機に向き直った。僕が何かを言おうとするのを遮るように、次々吐き出される飲み物を僕に渡して「じゃあ戻ろっか」そう言ってさっさとコートの方に戻って行った。

「え、全部僕が持っていくの?」

有無を言わせない様子にあっけにとられながら、そう呟いた。


休憩を終えてミニゲームを再開した僕達は、コートの使用時間までボール遊びを楽しんだ。

その後、コートの外にある休憩所で休んでいると彩音さんが言う。

「さて、今日はこのくらいにしよっか。みんな疲れただろうし、これからどこかに行くって気分にならないでしょ」

皆はそれぞれ同意を示し、もう少し休んでから解散する流れとなった。


それぞれ乗る電車の路線が違っていたので、いざ解散となると、皆別れの挨拶をして散り散りに電車の駅に向かって歩いて行った。僕と彩音さんを除いて。


示し合わせたかのような展開に胡乱な眼差しで彩音さんを見てみると、彼女は気にした様子もなく微笑を浮かべるのみ。僕にとっても都合が良い状況なだけに、どうやら僕はまだ転がされるらしい。

考えても仕方ない。この人の見えない深みにはまっていくような嫌な感覚がするが、それを首を振って頭から追い出す。


「吉野君。迎えが来るんだけど乗っていかない?」

僕が断るとは微塵も思っていないだろうに、それでも僕に聞いてくるのは、一応の配慮だろうか。僕は短く「はい」とだけ答えた。

少しして、世間では高級車と言われるであろう外国車が目の前の道路に停車する。

運転席から運転手が下りてきて彩音さんと何か話をしているようだ。

運転手と目が合い軽く会釈すると、その人は一礼してから静かに後部座席のドアを開けた。運転手は僕に「どうぞ」と手で合図して来る。それに従って車内に入り助手席側の後部座席に座る。その後に続いて彩音さんが隣に座り、静かにドアが閉められた。その間、僕と彩音さんの間に会話は無く、運転手が車に乗り込み微かなエンジン音とともにゆっくりと車が進み出す。

なんと切り出せば良いのか分からない僕は、頭の中で言葉を転がしていた。

「ねえ、吉野君。明日空いてるかな?」

「はい?」

「約束の事。話すのは明日でいいかなと思ってさ。しばらくご両親も梨沙さんも不在でしょう?真鍋君とも約束は無いみたいだし、唯さんも演奏会を控えてる。だから明日は空いてるかなと思って。良かったら私と一緒に出掛けない?」

何でもない事のように話された内容にゾッとする悪寒が僕を襲った。

「・・・・・あなたはどこまで知っているんですか?真鍋から聞いたんですか?」

思わず真鍋を疑う言葉が口から出た。

「そんなに怖がらないでよ。真鍋君は君の事について何も言わなかったよ。昨日も言ったと思うけど、吉野っていう名前には君が思っている以上の重みがあるんだよ。私がわざわざ調べる必要なんて無くて、吉野家がどう動くのか様子を伺っている人も、聞き耳を立てている人も多い。私はそんな人たちを観察して、少し耳を澄まして聞いていただけ。君はもう少し自分の置かれている状況を理解するべきだねぇ。まあそのあたりも明日私に付き合ってくれたら色々と教えてあげられるかも?」

どうする?と僕に選択を迫ってくる彩音さんに僕はただ頷き返すことしか出来なかった。


その後、車内ではほとんど会話が無かった。今日はどうだった?と彩音さんに聞かれたときも上手く答えられずに濁した言葉を返すことしか出来ず、こちらの心情を察したのか彩音さんはそれ以降何も聞いてくることは無かった。

最寄り駅のロータリーに着いたとき、明日も今日と同じ時間、同じ場所に集合ということだけ端的に彼女から告げられて車を降りた。


何かから逃げるように足早に家に帰り、リビングのソファに体を沈める。運動した疲れよりも車内で気を張っていたことによる疲れの方が勝っていた。


何もない空間を見つめる。

彩音さんと関わるべきではないと僕の直感が告げてくる。あの人と関わると何かがきっと変わってしまう、そんな予感がする。でもいま引くわけにはいかない。結局僕はあの人から何も教えて貰っていない。何も知らないままだ。


明日聞きたい事を整理して頭の中にまとめた僕は、シャワーを浴び、何をするわけでも無く再びリビングのソファに座って目を閉じた。


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