表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯台下暮らし  作者: 夜寝眩
14/24

11

私は朝から唯に顔を合わせづらくて部屋から出る時間をずらして起きた。

リビングにはもう母しかいなくて、テーブルに置かれたコーヒーカップの中身は空になりかけていた。

私に気づいた母に声をかける。

「おはよう、お母さん」

「おはよう咲。良く眠れた?今日は明日からの準備もかねて出掛けようと思っているのだけれど咲も来る?」

家でゆっくりしていてもいいわよ。そう付け足す母が私を気にかけてくれているのだとわかる。

「ううん、私も行く。コーヒーいれるけどお母さんもいる?」

まだ昨日の事が尾を引いてあまりじっとしている気分でもなかったし。

母の返事を待たずに、そのコーヒーカップを持ち上げる。母はありがとうと言い微笑みを絶やさず軽く頷き返事を返す。

「お昼過ぎには出かけるからそのつもりでね。ところで朝食はどうするの?久しぶりに何か作ろうかしら」

基本的に食事を含めて家事のほとんどを植木さんら使用人に任せてはいるものの、母も家事はできる。料理も当然できて、今でこそ植木さんに任せることが多いが、私や唯が幼い頃は母が自ら作ることが多かった。

母の料理はおいしい。小さい頃から慣れ親しんだ味ということもあるだろうけれど、大学生になって友人と食事に行ったり、自分で作るようになったりして改めてそう思うようになった。

「ううん、魅力的な提案だけど、朝はいいよ。それよりお昼ごはん一緒に作らない?」

「あら、そんなことを言うなんて・・・初めてじゃない?なんだか嬉しいわ、咲と一緒に料理だなんて。でも咲、料理は上達したの?」

「まだまだお母さんには及ばないよ。だから教えてもらおうかな、なんて」

どうにも朝食はのどを通らなさそうだったので母の申し出は断ったけれど、母の料理が食べたいと思う。東京にいるときに無性に実家の料理が恋しくなることがある。それはふとした瞬間に思うことで、きっと寂しいのだと思う。そんなとき家の味を再現できればそんな気持ちも和らぐかもしれないと思ってしまう。

「いいわ。でも私は厳しいわよ」

私の言葉に母は嬉しそうにしている。親子の時間というものが今まで無かった訳ではないけれど、私が高等部に上がったあたりから友人達と遊ぶことが増えたり勉強などで自然と減っていった。

厳しくと言うが母に厳しくされたことなんてない。父だってそうだ。私は両親から叱られた記憶がない。あれをしろこれをしろと言われたこともない。両親がいつも言っているのは自分のやりたい事をやりなさいということだけだった。

でも口に出さないだけで両親が私に期待しているのは感じていた。



昔から私は大体の事は出来た。勉強もスポーツも人との関わりも。それが意図せず両親の期待に応えていたのだと思う。両親が何も言わないのは私が両親の思う通りの人間だったからで、直すところがないからだと。でもそれでいいと思っていた。このまま吉野家の長女としての役割を果たしていければいいと。期待される事は良い事で嬉しいことだと思っていた。


世間知らずだったのだろう。東京に出て色々なものを目にした私は世の中がひどく濁っていて、私も濁っていることに気づかされた。でもそんな自分を直視できなくて。このまま吉野家の人間としてやっていけるのか不安になってきて、両親が私に向けているだろう期待も重荷になっていた。

両親は私がやりたい事を見つけてその道を進むと決めたならきっと応援してくれるだろう。でもそれは期待を裏切ることと同義だと思ってしまう。そう考えるとどうしても今の道から逸れることを考えられなくて。

そんな不安と迷いが私の意志と覚悟を脆くさせている感覚がある。



昼食は早めにとることになった。母と一緒にキッチンに立つ。教えてもらうと言いながらメニューはシンプルな和食にした。汁物に焼き魚、和え物。私がメインで調理していて、母は必要な調味料を準備するくらいのものだった。それでもその配分や入れるタイミングを教えて貰ったりして、できたものは母が作るものと一緒のものが出来上がった。

それを一緒に食べていると母が言う。

「味噌汁って家の味が出るっていうけれど、どう?わかるかしら」

本当に違いが出るものだと思う。東京に戻ってもこの味を味わいたいと思う。

「わかるよ、私はこれが好き」

そんな他愛ない会話をしながらゆっくりとしたスピードで食事が進んで行く。

「明日からの予定を改めて説明するのだけれど。私たちは咲を色々な人に紹介しようと思っているの、それは繋がりのある家であったり、企業であったり、政治に関わるものであったり、色々よ」

母はそこで話を区切る。母をまとう空気が変わる。表情はいつもの母なのに。


「咲、正直に答えて欲しいの。あなたは本当に吉野家を継ぐ意思はあるの?」


私は答えられない。


「咲、私たちはあなたが吉野家を継ぐ選択をしてくれることを嬉しく思っているわ。けれどね、それ以上にあなたが幸せに笑っている姿を見ることを何よりも望んでいるのよ。だからもしその気がないなら言って欲しいの。あなたは感情を隠すが上手いから。それは良い所であるけれど悪い所でもあるわ。迷っているならそれでもいい、明日から吉野家がどういう立場にいるのか知ることができるわ。自分で見て、聞いて、決めなさい。まだ時間はあるのだから」

私の意志を尊重しようとしてくれる母に感謝しかない。

「うん、ありがとう母さん」

でも私がその役目を継がないとしたら、誰がその代わりになるのか。想像できない。

でもそんな事は聞けない。聞けば母は私が家を継ぐ意思が弱いと判断するだろう。そうなればきっと心配しなくてもいいと言ってくれる。まだ早い。母が言う通り明日から吉野家とは何か。それをしっかり見てからでいい。

母は私の本心に気づいているのかもしれない。

でもそれ以上何も言うことなく昼食を終えた。


昼頃から母と共に出かけたが、用事といっても関係者に挨拶をするときに持っていく手土産の手配などで、既に注文しているものを確認するのが主な事だった。内容は合っているか、数は合っているか。母が最終的な確認をしていく。付き合いが長くて信用できる店が多く、不手際が起きる可能性は低いけれど母は真剣な顔で店の人とやり取りをしていた。


私は衝撃を受けた。こんな母を見るのは初めてだったから。家で見せる顔とは全く違うもので、別人に見える。

家では笑みを絶やさないような人で優しさに満ち溢れているような人なのに。今の母は冷徹な目をして、少しの不備も見落とさないように鋭い質問を店員に投げかけている。

結局私は、用事を淡々とこなしていく母に圧倒されて、質問一つできずに、その姿を黙って見ていることしか出来なかった


帰りの車中で母が話かけてくる。

「どうだった?これは正直私でなくても出来る事なの。けれどね、私は吉野家当主の妻で、それに見合った責任を負っていると考えているわ。だからこういう裏方の仕事も最後は自分で確認して責任を持つのが役目」


「うん」


「咲、酷なことを言うけれど、あなたがもし家を継ぐというのなら役割を分けなければならないわ。純也さんの仕事と私の役目、両方をあなた一人でこなすは荷が重いでしょう」


「たしかにそうかもしれないね」


「一応確認なのだけど・・・。咲にパートナーはいるの?」


「え・・・」


答えに詰まる。


「役割を分けるということはつまりはそういうことよ。前時代的と思うかもしれないけれど、残念ながらそれが一番合理的なのよ。あなたと唯で役割を分けるということも出来るのかもしれないけれど、それでも選択肢は多くはないわ。家を継ぐのならそういう覚悟も必要よ。そしてその相手は吉野家を背負える器を持った人でなければならない。そこにあなたの好き嫌いという感情を挟む余地は・・・。あまり無いと思っておいたほうが良いわ」

突然突き付けられた現実に私は返す言葉を見つけられない。呆然として母を見ると、冷徹な目で私を見ていた。


そこからは会話はなく家に帰ってきた。


車を降りると、「さあ行きましょう」といつもの家庭的な母の表情で言ってくる。


「植木さんが夕食を準備してくれているわ。咲、そんな顔をしていてはダメよ。お風呂にでも入って切り替えてからダイニングに来なさい」


私は母に力なく返事を返し、言われた通りお風呂に入って湯船に身をゆだねた。

家を継ぐということを私はあまりにも甘く見ていたのではないか。湯に映る自分の顔がひどくゆがんでいる。

半日もしない間に私の意志や覚悟なんてものは崩れ去って。どうすればいいのか分からなくなってしまった。

膝を抱え丸くなり目を閉じる。パートナー。母の言葉が脳裏をよぎり、彼の顔が思い浮かんでしまう。ハッとしたように目を開ける。

まだ大丈夫。まだ大丈夫。そう自分に言い聞かせて感情を奥底にしまい込む。

どれくらい時間がたったのか、少し長湯になってしまった。のぼせたようになってやっと心が凪いでいた。

風呂から上がって洗面台の鏡をみると、いつもの私が映っていた。


ダイニングに行くともう食事の席に父と母が着いていた。父はタブレット端末で仕事の資料に目を通しているようで、そんな父におかえりなさいと言い、私も席に着いた。父は私を見て挨拶を返し、またタブレットに目を向ける。いつもの父だ。でも父も外では家庭で見せる顔とは違う顔をしているのだろうなと思う。

母と目が合う。いつもの母だった。

今まで意識したことが無かったのに、違和感がある。両親が私たちに向ける言葉と行動はどこまでが本当のものなのだろうか。

少しして唯がダイニングにやってきた。唯に見せる私の顔はきっと仮面をかぶっているものなのだろう。でもそれでいい。そうしていれば上手くやれる。


私は食事を終えて部屋にもどり、ソファに深く腰掛け力を抜く。

目の前の壁に掛けてあるテレビは真っ黒なまま私の姿を映している。

実家に帰ってきたとき自室のテレビが大きくなって最新のものに変わっていることに少々驚いた。最初は、最新のテレビはこんななのかと感心していたが、光沢のある黒い画面は、黒い鏡のように世界を反射して見せる。

その鏡が映すモノクロ色の私は、とても空虚に見える。でもこれが本当の私なのかもしれない。

いつからこんなにも色が無くなってしまったのだろうか。

天井を見上げ、力の抜けた左腕はそのままに右手の甲で目を覆う。

自分の気持ちと置かれている状況を受け止めきれない。


食事中の話で、唯が隠していることにはすぐに気がついた。その時、私の中に良くない感情が芽生えたのは自覚している。そんなものはすぐに隠したけれど、母から彼が家に来るかもしれないと伝えられた時はさすがに動揺を隠せなかった。なんとか取り繕った返事ができたけれど、私以上に動揺していたのは唯だった。それはそうだろう。思いを寄せる相手が間近にいるなんて平静でいられるはずがない。私だってそうだ。あのとき唯はきっと私が助け舟を出したと思っているだろうがそれは違う。私は私のために行動しただけで唯を助けようと思っていたわけではない。

彼が来ればきっと何かが壊れてしまう。それは自分なのか、それとも別のものなのか。全部かもしれない。

私はどうするべきなのだろうか。今考えても答えの出ないことをただひたすらに自問を繰り返す。その度に思考の海に深く潜っていく。潜れば潜るほどに光はなくなり、ただ暗闇が広がるだけだった。


どれぐらいそうしていたのか分からないけれど、突然響くドアをノックする音でその海から引き上げられた。

「姉さんちょっといい?」

唯の声が聞こえて我に返る。鏡に映る私はひどい顔をしていた。

「・・・」

返事すらできない状況に沈黙が続く。

「寝ちゃったのかな・・・」

独り言のようにつぶやく声がドアの向こう側から聞こえる。

目をぎゅっと瞑り。目を開けて口角を上げる。モノクロの私が笑っていることを確認してソファから立ち上がってドアに向かう。

「唯?どうしたの?」

ドア越しに会話する。いつもならすぐドアを開けて迎えていたはずなのに。

「あ、姉さん。何かしてた?ちょっと話しようかなって思ってきたんだけど・・・」

尻すぼみになる唯の声に答えるかのように私はゆっくりドアを開けた。


唯と二人でソファに座る。テレビの電源を入れて、動画サイトで自然の景色とゆったりとした音楽が流れる動画を再生する。話がしたいと言いながら話そうとしない唯が何を考えているかはある程度予想はつく。けれど私からそれを聞くのは違う気がしてしばらく二人で景色を眺めていた。

「姉さんこういう動画好きなの?」

ようやく唯が口を開いたと思ったら、意味のない問を投げてくる。

「まあ、好きって言うほどではないけど、こういうの流してると部屋が明るくなる感じがするじゃない?」

「確かにそれはそうだね」

会話が途切れる。一体何をしに来たのか。今の私にはあまり余裕がないというのに。焦れた私は明るい笑みを浮かべて話を進める事にした。

「こうやって二人でいるのもなんか久しぶりな感じがするね」

「うん、本当は昨日来るつもりだったんだけどね」


やっぱりそうか。


「ああ、昨日は驚かせてごめんね。でもさ、見てよこのテレビ!こんなおっきくて綺麗なテレビになってるなんてびっくりしちゃった。浮かれて配信サイトで映画見て号泣だよ」


なんだ私は。


「ああ、最近家のテレビとかいろいろ入れ替えたんだよ、なんの映画見てたの?」

「うーん。綺麗で、でもちょっと悲しい恋の物語」


どうしてこんな態度で唯と接していられる?


「姉さんそういうの見るんだ。もっと明るいやつが好きだと思ってた」

「私もそう思ってたよ。でも見てみると以外と面白くてさ」


そんな事はない。さっきから嘘ばかり。表情も言葉も。


「そういえば姉さんありがとね、さっき食事中にフォローしてくれて」


違う。私は・・・。そう思うけれど言葉にならない。出てくるのは取り繕った都合のいい言葉だけ。


「唯が明らかに動揺してたからさ。修ちゃんと何かあった?」

「何もない。何もないよ」


寂しそうに目を伏せる唯の姿にはっとして、良くないものを頭から追い払う。


「修ちゃんは周りが見えて無いんだからわかりやすくしてあげないと」

「そんなこと言ったって。どうすればいいの」


「水曜日」


私がその言葉を発した瞬間、唯が固まる。

「水曜日、修ちゃんとどこか行くんでしょう?なんとなく分かったよ」

硬直から解放された後、笑ってごまかそうとする唯。

「どこへ行くかは知らないけど、女の子として意識してもらえるようにしないとね。のんびりやってるといつの間にか誰かに取られちゃうかもよ?」

発破をかけるつもりで言った言葉に私自身が少し驚いた。きっとそれは私の気持ちが言葉になってしまったから。


「え?」

「ふふ、焦り過ぎだよ。仮に修ちゃんが別の女の子にアプローチされてもきっと気づかないよ。それでも根気強く相手できる人なかなかいないと思うよ」


再び固まる唯に、私はからかうように笑って誤魔化した。


「それもそうか、あんな鈍感の代名詞みたいな人、相手にできる人なんてそうそういないしね」

「それ唯が言う?」

互いにクスクスと笑い合った後に唯が言う。

「やっぱり姉さんと話してると落ち着くな。ちょっと心配だったんだよね、昨日の姉さんが衝撃すぎてさ、今日も食事の途中ちょっと変な感じしたし。やっぱり何かあった?」


あまり隠してばかりでも怪しまれるなら。


「ちょっとね。将来について考える事が多くて、心の余裕が足りてないの。私も全部は背負えないから。だから何かを捨てて、何かを選び取らなくちゃいけないのよ。それと今向き合っている最中だから。迷ったり悩んだりしているけれど、でもこれは自分で決めなければいけないことだと思うから」

少し突き放したような言い方になってしまった。唯は少し寂しそうな、それでいて困ったような表情をしている。

「そうなんだね・・・。でも、無理はしないでね」

自分ではどうにもできない事だと理解しているのだろう。私もそれ以上何も言わない。自分の中でもまだ決められていないから。


「ごめんね。でもやっぱり自分でちゃんと考えて答えを出したいから・・・。取捨選択の結果、私は皆の期待を裏切ってしまうかもしれない。もしそうなっても唯は私を許してくれる?」


卑怯な聞き方だと思う。いつか自分に言い訳できるように、またこんな保険を掛けて。


「許すも何も、姉さんの人生だもの、姉さんの意志を尊重するよ。お父さんやお母さんもきっとそう。だから姉さんの進みたい道に進んで欲しい。それが私の思いだよ」

唐突な私の問いかけに唯は少し驚いた様子を見せていたけれど、何か決心したかのように真剣に答えてくれた。健気な姿に胸がチクリと痛むけれど、それでも私は唯の言質を取ったことに一つ罪のようなものから逃れられるような気がした。

それからしばらく話をしていたけれど、途中で動画が終わって次の動画が流れ出したことで会話が途切れた。次の動画も綺麗な自然を映したもので、唯と少しその景色を黙って見ていた。すると唯が「いい時間だから」と自分の部屋に帰って行った。


唯をドアの外まで見送った後、私はすぐにテレビの電源を落とす。視界に入ったモノクロは空虚なまま私を見つめていたけれど、相手することなくベッドに入る。眠たくなんてないけれど、これ以上起きていたくもなかった私は遠くにある眠気を手繰り寄せるように目を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ