9
運転手に礼を言って車から降り、学校のロビーに入る。
僕の頭を混乱させた本人は隣で楽しそうにしている。
たまに考えている僕を覗き込んでくるので少しばかりイラっとしてしまうが、そんな僕の表情を見た唯はなぜかますますご機嫌な様子だ。
文句の一つも出そうになるが、先ほど唯から感じた圧のせいで言葉にならないまま引っ込んでいく。
ため息を一つこぼし、自分の下駄箱から上履きを取り出し履き替えた。
「よっす、修」
真鍋が軽く肩を叩きながら明るい笑顔で挨拶してくる。
「おはよう、真鍋」
「今日はいつもより遅くないか?」
「うん、ちょっと寝過ごした。真鍋は朝練?」
「おう、朝練終わったとこだ、今日は吉野と一緒だったのか?」
シャワールームでシャワーを浴びてきたのか、真鍋から石鹸の香りがする。
どうやらシャワールームから教室に向かう途中に通るロビーで僕達が車から降りてくるところ見ていた様だ。
「そうだよ、たまたま道で出くわして乗せてもらったんだ」
へえ、と真鍋が少し驚いた様子で言う。
「やっぱりすごいんだな吉野って。あの車、実際に乗り降りしてる人初めて見たわ」
そう真鍋が言うが、本家が当たり前のように使っているので今までなんとも思っていなかった。
確かに国産のショーファーカーと言えばあの車が最も有名だろうなと僕は思う。そもそも数が走っていないので見かけることも少ないと思う。僕も感覚が麻痺しているのかもしれない。
「おはよう。真鍋君」
女子用スペースで上履きを履き替えた唯が真鍋に気づいて挨拶をすると、真鍋もおはようと返した。
「なんの話をしていたの?」
「ああ、吉野と修が乗ってきた車がすごかったって話をしてたんだ」
唯は何がすごいのか理解できていない様子で首をかしげる。
そんな唯を見て真鍋は苦笑する。
吉野家では当たり前の事も一般的には当たり前ではない事は多い。
真鍋と唯の認識にズレが生じるのも無理もないことだろう。
そのズレがこのやり取りでわかる。その認識のズレが分かるのは、僕が分家であり、本家に比べて一般的な家庭に近い生活をしているからだ。
でも唯は違う。本家と分家では大きな違いがある。
それは家の大きさだけではない。社会的、経済的に果たす本家の役割が大きなもので、社会的接触をする相手も由緒ある家や企業の重鎮、政治に関係のあるものといった相手になるし、唯は吉野家本家の娘として、昔からそういう世界で生きている。
真鍋の感覚を理解するのはどうしても難しいだろう。
真鍋は唯の様子を見ておそらく察したのだろう、話を切り替えて唯に尋ねる。
「そういえば吉野が車で来るなんて初めて見たけどなんかあったの?」
「ちょっと寝不足で、駅まで歩くのがしんどかったから車で来たの」
「そっか、修と似たような感じだな」
すると唯は微笑して、まあ似たような感じかもねと言う。
「ん?なんか吉野、寝不足の割にちょっとご機嫌だな」
そうかな?なんて唯が言うが、真鍋の言う通りだ。
車内でも僕を困惑させておきながら自分はニヤニヤしていた。
最初に見せた突然の不機嫌さが嘘かのように今もご機嫌な様子だ。
そんな唯をみて今度は真鍋が首をかしげて変な顔をしながら小声で独り言のように言う。
「ん?ちょっとまてよ・・・寝不足・・・ご機嫌・・・一緒に登校・・・車で・・・」
真鍋がはっとした様子で目を見開き、何かに気づいたように僕と唯を交互に見る。
(どうした?)
でもその様子とさっきの小声が聞こえていた唯は、さっきまでご機嫌が嘘だったかのように、今は冷え切った目で真鍋を見つめている。
(どうした?)
「真鍋君、私が寝不足なのは少し考え事をしていたからなの。私と修君の家は近いし、駅までの道も被っているところが多い・・・わかるよね?」
静かに伝える唯だが、不機嫌さがひしひしと伝わってくる。今日の唯は情緒がジェットコースターのように乱高下するな?
「あ、はい、ごめんなさい」
そんな唯の圧に真鍋はしゅんとしてなぜか謝る。
二人のやりとりについて行けない僕は、思ったままの事を口にする。
「どうしたの?二人とも急に」
「修君うるさい」
(え?なんで?)
有無を言わせぬ様子の唯に僕もまた黙り込むしかなかった。
「ま、まあ、もうすぐ予鈴なりそうだし、早く教室行こうぜ」
真鍋が凍り付いた空気を切り払うかのようにそう言って僕達は教室に向かって歩き出した。
「しかし、この学園ってだいぶ規格外だよな。部活の施設はこれでもかってくらい充実してるし、あのロビーだって普通の学校じゃありえない広さと高級感があるぜ、学校というよりホテルに近い感じだな」
教室に向かって歩いているとふいに真鍋が呟く。
確かにこの学園は普通の学校とは一線を画す。入学するためにはそれなりの学力が必要になるし、特待生でもなければ、かなりの額の入学金や授業料の支払いを求められる。
その分学校設備はかなり充実しているし、教師の質、生徒の質、ともに高い。
真鍋は特待生で高等部から入ったので、その恩恵を十分に理解しているようだ。
「オレなんて、全部タダで使えるんだぜ?、ジム施設も食堂も。今日も朝練終わりにシャワールームでシャワー浴びて、そのあと食堂で朝飯まで食ったんだ、信じられない。サッカーグラウンドなんて天然芝だ。そんな学校、全国にいくつあるって言うんだ」
「まぁ、そうだね、真鍋は外から入ってきたからこの学園が普通じゃないって比べることができると思うんだけど、初等部からいた僕と唯は外と比べる機会があまりないんだよ」
「最初からいればそうもなるか、車の話をしたときの吉野の反応を見て、無理もないなって思うよ」
真鍋は納得した様子で言う。僕や唯に限らず、初等部からいる生徒の多くは一般的な家庭とは異なった環境で育った人が多い。この学園は言わばそういう特殊な生い立ちの生徒同士が気兼ねなく過ごせる場所でもあるし、逆を言えば閉ざされた場所ともいえる。
学園が特待生制度を充実させているのは、閉ざされた世界と外をつなぐ橋渡しのような役割を期待して用意したものではないかと僕は考えている。実際、先ほどからのやりとりで、僕は真鍋を通じて世間一般の価値観に触れることができた。唯は特に感じていなさそうではあるが。
真鍋のような存在は貴重だ。分家である僕や姉は吉野家を支える道を選ぶかどうかは別にしても、いずれ社会に出なければならない。その時に一般的な価値観を持ち合わせていなければ色々な場面で支障が出る可能性があるだろう。
ふと思う。姉はどういう道を選ぶのだろうかと。父さんや母さんのように裏方で吉野家を支えていくのか、それとも全く別の道を選んで進むのか。姉はまさにそういうことを考えているのかもしれないなと思う。
咲姉は外部進学で東京に出たが、将来的には吉野家に戻って本家としての仕事をしていくのだと僕は思っている。ゴールデンウィークに本家の用事で戻ってきていることもそれを意識しての事だろうし。
「二人とも何の話をしてるのよ」
僕と真鍋のやり取りについてこられていない様子の唯が少しむくれている。
高等部に進んだからといっても、唯の価値観はこの学園と吉野家によって形成されている部分が大きい。今そのことを指摘してもいまいち理解できないと思った僕は、なんでもないよと唯に言って話を変える。
「ところで真鍋、明日の練習試合って学園でやるんだよね?見に行っていいかな?」
応援しに来てくれるのか。と真鍋が嬉しそうに言う。
「場所は学園だぜ、こんな綺麗な芝生のグラウンドで気軽に練習なんてそうそうできないからな。そういう意味でもここは他校からの誘いが多いみたいだ」
「なるほど、練習相手には困らなそうだね」
「私も明日学校に来るから少し見学させてもらおうかな」
以外だな、唯はあまりスポーツに興味がないと思っていたけど。まぁ友達がやるなら見に行くこともあるか。
「お、吉野も来てくれるのか。二人にいいとこ見せられるように頑張るわ。とはいっても今回はサイドバックだからな、点にからめるかどうかはわからないけど」
少し残念そうな様子である。
「真鍋ってポジションどこ希望だっけ?」
「フォワードだよ、やっぱり花形のポジションだと思うし、ゴールを決めたいって思うからさ」
たしかに、フォワードはゴールに貪欲に向かっていくポジションだ。そんなところで活躍したいと思う選手も多いだろう。
「でも、ディフェンスでもゴールに貢献できる選手もいるよね。それに、後ろがしっかりしてないと前も安心して攻められないよ。真鍋はきっと良いディフェンスができると思うよ。根拠はないけど。でもさ、クラスでの真鍋は周りへの気配りを忘れない良い人だし、僕はそういう周りへの配慮や視野の広さがサッカーでも活かせるんじゃないかって思うんだ」
そう僕が放った僕の言葉に真鍋は一瞬きょとんとした顔をして、修ってそんな風に俺を見てたんだな。と少し驚き交じりに、ちょっと照れくさそうにしていた。
そうやって話をしながら歩いていると自分のクラスに到着し、それぞれの席に着いて、周りのクラスメイトに挨拶をするのだった。
少ししてチャイムがなり、担任である須藤先生が教室に入って来る。
ショートホームルームの開始早々、須藤先生は
「明日からゴールデンウィークだが、気を抜かずにしっかりと授業を受けるように」と生徒に釘をさし、連絡事項を伝えて教室から去っていった。
ゴールデンウィーク前日の授業がすべて終わり、皆明日からのゴールデンウィークについて話をしているようだ。旅行に行くという者、部活があるという者、遊びに行く約束をするクラスメイトも多い。
そんな中、学校の一日を締めるホームルームが始まり、またも須藤先生が言う。
「明日から連休に入るが、羽目を外し過ぎず、学園の生徒として節度を持った行動を心がけるように」
と生徒に釘を刺した。この学園にいる生徒で、休みだからといって誰かの迷惑になるようなことをする人はいないと思うが、先生の立場上言わなければならないことでもあるのだろう。
先生は、連休中も学園には複数人の先生が常駐しているため、何かあれば学園に連絡することなど、連休中の注意点を何点か連絡し、最後の挨拶をしてホームルームが終わり、皆それを合図に一斉にガヤガヤと帰り支度を始め、明日からの連休が楽しみだという雰囲気で教室から出て行く。
「じゃあな修。また明日、グラウンドで会おうぜ」
そう言って真鍋も部活に向かって行く。僕も帰り支度を済ませて立ち上がり、少し離れた唯の席を見る。唯はクラスメイトに囲まれていて、どうやら連休中の予定を聞かれているようだった。僕は一言かけて帰るか迷ったが、邪魔するのも悪いだろうと思いそのまま教室を後にした。
学園の敷地を校門に向かって歩いているとふとスマホの通知音が鳴る。唯からのメッセージだ。
「なんで何も言わずに帰るの?まだ学園でしょ。待ってて」
「クラスメイトと話をしていたでしょ?邪魔するのも悪いからそのまま帰ったんだよ。待つのはいいけど唯ピアノの練習は?」
そんな風にメッセージを返信すると真後ろからスマホの通知音が鳴る。びっくりして振り返ると眉間に軽くしわを寄せ、目を細めて口のはしを少し上げた表情の唯がいた。普通に怖い。
「別に邪魔になんてならないよ、一言くらいあってもいいじゃない。ピアノは家でもできるし、いままでもオケとの練習はやってきたから、明日から合わせれば十分だよ。その辺の信頼関係は築いてるから」
「なんかごめん、でも友達と話していたでしょ?」
まくしたてるように唯が言うので僕はつい謝ってしまった。今日は何故か唯に謝ってばかりな気がするな。僕なりに気遣ったつもりなのに。
「別にいいよ。友達とは連休中の予定を聞かれていただけだよ、後半は空いてるって言ったら遊びに行こうって誘われてたの」
そんなことよりさ、と唯が続けて言う。
「水曜日、どこに行くか考えてくれてる?」
「・・・」
まさかこんなにすぐに、聞かれるとは思ってなかった。考えていなかったわけではないのだが、どうにもいい所が思い浮かばなかった。昼休みにこっそり真鍋に聞いてみたものの
「それは修が考えなきゃダメだろ。そんなに難しく考える必要ないと思うぞ?」
とそっけなく返されてしまった。確かに唯から考えておけと直接言われたので、それはそうなのだけど、別にアドバイスくらいくれたっていいと思う。そんなことを真鍋に言うと彼は苦笑まじりに
「まあ、修は少し悩んで考えたほうがいいと思うな。そのほうが吉野も喜ぶと思うぞ?」
そんな風に意味の分からないことを言う始末だ。それからも少し考えてみたのだが正直面倒だったので昼休みの終了と同時に考えることをやめていた。まだ日にちもあるし、そのうち何か思いつくだろうと未来の僕に丸投げしたのだ。
「修君?」
言葉に詰まる僕を見て、唯はさっきの表情から一転して、不安そうな、少し悲しそうな顔をして僕を見ている。
そんな顔をされると困ってしまう。
「いや、考えてるよ、まだ思いつかないんだ。唯は本当に行きたいところはないの?友達とはどこに行くか決まってる?」
いたたまれなくなった僕は、なにかヒントが欲しいと思った。友達と行くところが似たようになるのは避けたほうがいいだろう。そんな気持ちで唯に確認してみる。
「考えてくれてるならいいの、友達とはまだどこに行くかは決めてないから、修君の行きたい所でいいんだよ」
唯も困り顔をしながらそんな風に言ってくれる。僕の行きたい所か・・・それでもすぐに思いつくところは無いなと思う。それでも唯が僕を気遣ってくれている様子に幾分か気持ちが軽くなる。
「わかった。もうちょっと時間頂戴。考えておくからさ」
それを聞いた唯はほっとした様子で微笑む。
「うん、わかった。楽しみにしてるね。じゃあ帰ろっか」
そう言って僕と唯は校門に向かって歩き出した。駅に向かう道中や電車の中でも唯と話をしながらどこへ行こうかと考えていたけど、やっぱり思い浮かばなかった。
唯は駅に迎えが来ているそうで、僕も家まで送ろうかと提案してくれたが、僕はそれを断って歩いて家まで帰ることにした。今日は唯に振り回されてばかりだったので少し疲れた。
でも嫌ではない。僕は家まで道のりを歩きながら今日の唯の様子を思い出して自分の表情が緩んでいることに気づく。今日のような唯は今まで見たことが無かった。ちょっと意地悪で僕を振り回すけど、それでもやっぱり僕の事を気遣ってくれるところもあって、新鮮で、可愛らしいなと思う。
そんな風に今日の事を思い出しながら歩いていると家に着いていた。
鍵を開けようとして回すが空回りする。先に姉が帰っているのかなと思い家の中に入り、リビングに向かう。
「おかえり、修」
リビングに入ると、一週間ぶりくらいに出張から帰ってきた母の陽子がソファでくつろぎながらこちらを見て微笑みながら僕を迎えてくれる。
「ただいま母さん。戻ってたんだね。おかえり」
「ただいま、ついさっき戻ってきたところなんだけどね。ただ・・・」
妙な間を空けて、今度は申し訳なさそうな顔で母が続ける。
「お父さんがちょっとトラブルを抱えているみたいでね、連休はお父さんのところに行こうと思っているのよ。また家を空けることになるのだけど、ごめんね、修」
そう言って僕に謝ってくる母だが、父と母の仕事が忙しいことは昔から知っているし、空いた時間を僕達子供のために精一杯使ってくれていることも知っている。そんな風に謝る必要なんて無いと思った。
「大丈夫だよ、僕と姉さんは。連休中はずっと向こうにいるの?たしかスイスだっけ?」
すると母はきょとんとした表情になり答える。
「そう、スイスであっているわよ。おそらく後半あたりには戻ってこられるはずなんだけど・・・」
今度もまた妙な間が空く。
「今回は梨沙もついてくるのだけど、梨沙から聞いていない?」
「え?なにも聞いてないよ」
「そうなのね、昨日梨沙から連絡があってね、修が本家で食事をしてくることを知らなかったみたいで、『何も知らされていなくて心配したのよ』って言われてしまってね。私はてっきり梨沙にも修から連絡していると思っていたものだから・・・まあ、そこまで怒っている訳ではなさそうだったから、そのまま最近の話をしていたら自然と連休の話になってね、私が連休はお父さんのところに行くって言うと『私もついていっていい?』って言い出したのよ。私は賛成したわ、きっとお父さんも喜ぶと思ってね、じゃあ修も来るの?って聞いたら、『修は連休に予定があるみたい』って言うから、てっきり昨日の時点で梨沙と修が話したものだと思っていたのよ」
そうなのか。昨日姉と話したときはそんな話をしてくれなかったのだが、リビングから立ち去る前の最後に何か言いかけた事はそれだったのかなと、昨日の姉とのやりとりを思いだす。きっと明日、真鍋の応援に行くという事を聞いて言い出しづらかったのかもしれない。そんな風に思うが、ふと最後の姉の言葉が脳裏をよぎった。
『修が離れて行っているのよ』
その意味をいまだに理解できていない僕は、そのことを母に聞いてみた。
「昨日姉さんとは話したんだけどね、そんな話は出なかったよ。ところで母さん、昨日姉さんが僕に『修が離れていってる』って言われたんだけど。僕には意味がよくわからなかったんだ。母さんはどういう意味かわかる?」
すると母は少し目を見開いて、少し考えた様子で僕の疑問に答えてくれる。
「うーん、私もよくわからないわね。まあ、梨沙も修も高校生になって姉弟として少し距離ができたっていうことじゃないかしらね。向こうにいる間は梨沙と話す機会も多いし、それとなく聞いておくわね」
そう言うと母は、ソファから立ち上がり、そろそろ夕飯の支度始めるからといってキッチンのほうに向かっていった。僕は母の言葉を聞いて、いまいち腑に落ちないと思いながらも部屋に向かった。
自分の部屋に入り、荷物を置いて着替え、デスクのパソコンの電源をつける。姉の事も気になるけど、とりあえずは唯とどこに行くか決めないとスッキリしないと思ったので、近場でいい所がないか検索してみることにした。兵庫県は日本海と瀬戸内海、両方に面している県で意外と広い県だが、有名な観光スポットとなると住んでいる場所から結構距離があるところが多い。近場で無いこともないのだが、どこもありきたりなスポットで行った事のある場所も多い。住んでいるのに以外と何もないなと思いながら一応有名どころのチェックをしていると、部屋のドアをノックする音が聞こえる。
「修、晩御飯の準備できたわよ。おりておいで」
意外と時間がたっていたらしく、気づけば夕飯の時間になっていた。ドアの外の母に返事をし、チェックしていたwebサイトにブックマークしてパソコンの電源を落とし、リビングに向かう。
リビングのダイニングテーブルの上には母の手作り料理が並べられている。今日の献立は豚汁に焼き魚と漬物、それからほうれん草のおひたしで、和食となっている。どれも僕の好物だ。テーブルの椅子には帰ってきていた姉がすでに座っていて、おかえりと言い、僕も席に着いた。
母が僕達の飲み物を持ってきて席に着くと、皆でいただきますと言い食事が始まった。
「今日はなんか僕の好物が多いね?」
「明日から修一人になるし、今日は修の好物にしてみたのよ」
そう母が言う。僕は周りからよく食の好みが変と言われている。生のトマトは嫌いだけど、トマトソースは大丈夫。食感のある玉ねぎは嫌いだけどグズグズに煮込まれてとろけるような玉ねぎは好き。青ネギは嫌いだけど白ネギは好きといった具合に、作り手からしてみれば面倒この上ない食に対する好みがある。母はそれを理解しているので、豚汁の玉ねぎもとろけるほど良く煮込まれたものになっていて、僕が食べられる数少ない野菜の一つであるほうれん草も食卓に並べてくれている。僕の事をよく考えてくれていて愛情を感じる。もちろん味も大好きだ。
「ありがとう母さん。おいしいよ」
そう感謝の気持ちを伝えると母は、喜んでくれて嬉しいわと顔を綻ばせた。父さんはこの場にいないが、久しぶりの家族との食事に僕も嬉しくなる。
「ところで姉さん。なんで母さんについて行くことを教えてくれなかったの?」
さっき母から姉も一緒についてくるとは聞いたが、事前に僕に言ってくれても良かったのにと思っていた僕は、少し不満まじりの声音で姉に問いかける。
「私も伝えようと思っていたのよ。でも修、明日友達の応援に行くって嬉しそうに言っていたじゃない。そんな様子を見ていたらなんだか言い出しづらくなったのよ。別にわざと言わなかったわけじゃないわ」
少し困った表情で姉がそう言うので、僕もそれ以上聞くのはやめた。
「そうなのね修。友達ってどんな子なの?」
興味津々といった様子で母が聞いてくるので、昨日姉に話した内容と同じことを母にも伝えた。すると母は嬉しそうに微笑みながら、「友達は大切にしなさいね」と言い、続けて明日から一人で過ごすことになる僕に対して不安を口にする。
「修。明日から一人だけど大丈夫?あなた偏食だから食事が一番心配だわ。一応、翔子さんに言ってあるから、何か困ったことがあれば本家を頼ってね?翔子さんは『なんなら連休中はこっちにいてくれてもいいのよ』って言ってくれているけど・・・」
そう母は言うが、さすがにこの年にもなれば少しの間一人で過ごすくらい大丈夫だ。確かに偏食だけど、連休の間の少しくらい食生活が乱れても問題ないだろうと思う。それに翔子さんがそう言ってくれるのはありがたいが、本家で過ごすとなると僕もそれなりに気を使うので、できれば自宅で過ごしたいと思う。
「母さん心配し過ぎよ。修ももう高校生なのだから、少しの間くらい大丈夫よ」
そうでしょ?と姉が僕に確認するように聞いてくるので、僕も「大丈夫だよ」と母に返した。
依然として母は心配そうにしているが、僕は「本当に大丈夫だって」と少し強めに主張した。
和やかな雰囲気で食事をして、皆で片づけをし、再びテーブルでお茶を飲みながら団らんしている時、ふと母が僕に問いかけてくる。
「そういえば、修は連休にほかの予定はあるの?」
食事中の母は、僕達の学校生活について色々なことを聞いてきた。僕達姉弟も、父と母の仕事について色々と聞いていた。母や姉がスイスに行ってどういうところに行って何をするのかは聞いたけど、僕が連休中に何をするのかは初日に真鍋の試合を見に行くことしか言っていなかった。
「そういえば火曜日に唯が文化ホールで演奏するらしくて、それを見に行く予定だね」
水曜日に唯とどこかへ行く予定があるが、それを言うと母が変な事を言い出しそうなのでそのことはあえて伏せておいた。
「そうなのね、唯ちゃんすごいわねえ。私も見に行きたかったわ」
母が残念そうにしながらも顔はニコニコしていた。
「ところで修、唯ちゃんと高等部でも仲がいいのね~修はどうなの?」
ニコニコがニヤニヤといった表情に変わった母が僕に聞いてくる。
どうなの?とはどういうことだ。水曜日の事は何も言っていないのに、結局変な事を言い出す母にすこし呆れてしまう。なんと返すのが正解なのか、ここで間違った返答をすると母の暴走が始まってしまいそうだ。そんな風に思って返す言葉を探していると、姉が急に席を立った。
「そろそろ戻るわ。明日の用意もまだ残っているし」
母からの追求を遮るように姉がそう言ってくれて内心ほっとしたが、姉の表情を見ると少し影が差しているようにも見える。昨日といい今日といい、やはり姉の様子が変だ。連休の間に少しでも話す機会があればそのことも少しわかるかもしれないと思っていたんだけど。
「あら、もうこんな時間、私も明日の準備しないと。修、本当に大丈夫?何かあったら私にちゃんと連絡して、本家の人にも頼るのよ?」
そう念を押す母にさすがに苦笑いをしてしまう。
「大丈夫だって。心配し過ぎだよ母さん」
そうやって家族団らんが終わり、姉と母は自分の部屋に戻っていった。これから明日の準備をするのだろう。大変だなと思いながら、僕も自分の部屋に戻ってパソコンを再度起動し、先ほどブックマークしていたwebサイトをチェックするのだった。




