延期させてほしい
「僕にやらせてください」
パシャパシャと泥の中を進むクラウスの顔は冷たく、声は漂白されたように無機質だった。
「いいのか? 親友なんだろぉ?」
「だからこそですよ。ラビが最期に見る光景は、僕の顔であってほしい」
「LOVEだねぇ。若いねぇ。いいぜいいぜぇ。じゃあオレはあっちの金髪を殺すからお前は――」
ごぽりと、セドリックの口から血が溢れた。
「は? あ?」
自分の腹から生えた血濡れのロングソードを見下ろして、セドリックはクラウスを振り返った。
クラウスは眉一つ動かすことなく、静かに滂沱と涙を流していた。
「……テメ……ざけんな……よ……」
糸の切れた操り人形のように体を泥水に投げ出し、セドリックは動かなくなった。
かつてはリーダーとして敬愛したであろう相手を見下ろしてから、クラウスは顔を上げた。
「ラビ……この人も幼い頃、貴族に両親を殺されて、親戚の間をたらいまわしにされていたんだ。十五歳になったら冒険者になって、だけどそこでも貴族冒険者たちに手柄を横取りされたり、囮や捨て駒に使われて、それでも冒険者ギルドは何も対処してくれなかったそうだよ。平民中心の世界を作りたい、その願いに嘘偽りはなかったと思う。数百万人の犠牲で数億人が助かるのも本当かもしれない、だけど……僕は同じ道を進めない……」
歯を食いしばり、クラウスは失望の声を漏らした。
「これが僕のけじめだ……僕は自首をするよ……」
「自首って……」
——こっちはおわったのです。
チャット画面にメッセージを送ってきたゴゴーの姿を探すと、みんなは倒れ伏すローブ姿の男たちの上に立っていた。
重傷を負わせることなく無力化し確保。
みんなが成長していることは嬉しいし、これで革命軍の主要メンバーは全員逮捕できるだろう。
だけど……。
「平民科の生徒はどうなるんだ?」
クラウスは表情をこわばらせ、悔やむように剣を強く握りしめた。
「僕のせいだ。みんなは悪くない。みんな、僕がそそのかしたんだ」
「そうかもしれないけど、でも、みんな貴族科の生徒を襲って監禁した実行犯だ」
俺はいい案を求めるように、ハロウィーやノエルに目配せをした。
「ごめん、わたしもできればなんとかしたいんだけど……」
「彼らはクラウス同様、革命軍に騙されたと言えるが、悪しき企みに乗っかり他人を傷つけた。それは、許されることではない」
「だよな……」
凄く難しくて複雑な問題に、俺は苦悩した。
クラウスは騙されていた。
けれど、自分が何をしているのかは理解できている。
中身を知らずに危険物を運ばされる運び屋とは違う。
クラウスは自らの意思で、貴族科の生徒を傷つけテロリストに加担したのだ。
それを助けてやりたいと思うのは、俺の私情だ。
そして、クラウスを助けてやりたいと思うなら、他の生徒を見捨てるわけにはいかない。
でも、他の生徒はクラウスとは違い、意気揚々と楽し気に貴族狩りをしていた。
けれど、それは元から貴族に恨みがあったから……。
俺には難しすぎて、もう、どうすればいいのかわからなかった。
そこへ、新たな来訪者の声が響いた。
「ほう、これはなかなか大変な事態になっているな」
良く通る美声に誰もが振り向き、そして言葉を失った。
◆
翌日。
俺とノエル、それにハロウィーは、革命軍逮捕に貢献したとして、軍と学園から表彰を受けた。
軍の基地で大勢の兵士たちと、そして今回被害に遭った貴族科の生徒たちから拍手を受け、壇上から俺が降りると、父さんが待っていた。
そのすぐ隣には兄さんの姿もある。
そこには前回、恥をかかされた憎しみも、弟への親しみもない。研究対象を観察するような、漂白された表情があった。
——兄さん、あれからどうしたんだ?
俺が不思議がっていると、父さんが口を開いた。
「よくやったなラビ。今回の功績で、実家に戻ることを許そう」
「!?」
それは、高等部に進学以来、ずっと俺が望んでいた目標だった。
貴族に戻る。
クラウスから、不可能とすら言われた目標が、あっさりと叶ってしまったことに肩透かしすら感じた。
「よかったなラビ! これでまた同じ教室だぞ!」
「おめでとうラビ! 貴族に戻れるんだよ。もっと喜ぼうよ!」
左右に並ぶハロウィーとノエルは俺の肩をつかみ体を揺すって来る。
だけど、俺の答えは決まっていた。
「恐れながら父上、シュタイン家への復帰は、延期させていただきたく思います」
隣で、ハロウィーとノエルがぎょっとした。
父さんも、心外そうな顔で表情を濁らせた。
「何故だ?」
「今は、貴族だと不都合なんです」
父さんの眼を真っ直ぐに見つめて、俺は自分の気持ちを口にした。
「つい最近まで、俺は貴族として、何不自由なく暮らしてきました。そして、それが当然のことだと漫然と過ごしていました」
前世の記憶を取り戻す前、俺も少なからず、貴族の身分に胡坐をかいていた。
「だけど実家を追放された後、俺たち貴族がどれだけ平民から恨まれているかを知り、彼らを助けようと思いました」
語気を強めて、俺は父さんの目と真摯に向かい合った。
「でも今回は平民が加害者で、貴族が被害者でした。それでわかったんです。何かが悪で正義なんじゃない。苦しみに身分は関係ない。俺はゴーレムを使って、身分に関係なく苦しむ人を救いたい」
覚悟を決めて決然と意思表明をした。
「そのためには、貴族では不自由なんです。もちろん、いつか俺は貴族に戻りたいです。でも、今はまだその時じゃないんです。では父上、それに兄上、また会いましょう」
最後の言葉を強調する俺に、だけど父さんと兄さんは否定しなかった。
そのことを前進と捉えて、俺の足は学園のある場所に向かった。