友情
いっそ声を上げて泣いてしまえばいいものを、なおクラウスは涙をこらえながら努めて穏やかに語った。
「領主の言い分はこうだ。人は水と食い物があれば生きていける。井戸水を飲み草や木の皮を噛み、魔獣の肉を食べればお金や作物なんてなくても生きていける。当時一〇歳だった僕は、父さんの形見である剣で魔獣を退治して村の人たちを食べさせた。そのおかげでレベルが上がって、王立学園に招聘されたのは運が良かったよ……でもね、僕はレベルも王立学園招聘もいらなかった……父さんと母さんと一緒に、ずっとあの町で暮らしていたかったよ」
「ッッッ」
罪悪感で押し潰されそうだった。
俺は貴族といっても子供で、当主にもなれない次男だ。
俺はクラウスの領主とは何の関係もない。
それでも、申し訳なく思ってしまう。
俺を含む貴族社会が、クラウスのような歪みを生み出し、苦しめている。
その想いが、どうしようもなく俺を責め立てた。
「でもねラビ、僕は特別不幸なんかじゃないんだ。革命軍では、僕程度の不幸なんて普通だったよ。ねぇラビ」
できるだけ俺と目線を合わせるように、クラウスはズボンが汚れることもいとわず、その場に膝を折って座り込んだ。
それから、手で俺の体を優しく起こして、まっすぐに向き合った。
「僕の仲間になっておくれよ」
絶句する俺に、クラウスはまるで恋する乙女のようにお願いしてきた。
「君が元貴族であることなんて関係ない。君は洪水に見舞われた町を復興させ、僕ら平民を助けてくれた。平民が貴族を恨まないようにしたいと言ってくれた。そして君には女神のゴーレムがある。お願いだラビ、僕は、君と一緒に新しい世界を作りたいんだ。大人になったら、二人で今日この瞬間のことを思い出しながら、同じテーブルでお茶を飲もう。とても素敵だとは思わないかい?」
「………………」
クラウスの眼差しがあまりにも切なげで、はかなげで、ほうってはおけなくて、俺の心はグラついた。
彼の言葉は、あまりにも魅力的だった。
この場でクラウスの手を取ることで彼を救い、俺の罪が赦されるような、そんな錯覚さえ覚えた。
それでも、俺は自分を見失わなかった。
「お前の仲間にはなれない……」
悲し気にまぶたを下げ、俺から顔を離したクラウスに、俺は毅然と口にした。
「お前はノエルとハロウィーを傷つけた。俺の大切な仲間を傷つけるような方法でつかんだ世界で、どうやって笑顔でお茶が飲めるんだ?」
「……ノエルのことが好きなのかい? それとも、ハロウィーのほうかな?」
一瞬、言葉に詰まった。
ノエルのことは幼い頃から知っている。
誠実で、努力家で、飾らなくて、剣の腕や美貌をひけらかさない、魅力的な女の子だ。
ハロウィーも、明るくて優しくて、奥ゆかしいのに勇敢で、平民科になってからは、ずっと彼女に支えられてきた。
二人のどちらかと付き合えたら、絶対に幸せになれる自信がある。
ただ、俺が二人のどちらかに恋愛感情を抱いているのか、それは自分でもわからなかった。
けれど、今はそんなことを考えている場合じゃないと、俺は声を絞り出した。
「好きとか、恋とか愛とかじゃない。ただ、二人は俺の大切な仲間だ。それを傷つけるお前を、俺は許せない……」
クラウスの甘い言葉に揺らいだ俺を支えてくれたもの。
それは、クラウスに切り伏せられるノエルの姿と、クラウスに襲われるハロウィーの悲鳴だった。
脳裏に焼き付いて離れない二人の痛ましい姿が、俺に鋼の意志をくれた。
俺は揺るぎない視線でクラウスを睨みつけると、彼の眼差しがふわりとほどけた。
「そうか、残念だよラビ」
俺から目線を離すように立ち上がり、彼は踵を返した。
「計画が終わった時、君の考えが変わっていることを祈るよ。明日がダメなら一か月後、それでもダメなら一年後。それがダメでも、僕らの作った世界で暮らす中で、君が変わってくれることを祈るよ」
と、クラウスは最後の最後まで、俺と決裂する気はないらしい。
永遠の友情を約束し、最後まで俺の心を揺さぶりながら、クラウスは部屋を出て行った。
クラウスの姿が見えなくなると、俺は不覚にも安堵の溜息を吐いてしまう。
敵がいなくなったことによる安堵ではないことは明白だった。
ならどうして?
クラウスに嫌われなかったことに安心したのか?
ノエルとハロウィーを傷つけた男に、どうして?
疑問は尽きないながらも、今はここからの脱出が先決だと、周囲を見回した。
広い安全エリアの床には、ぱっと見、五〇人ぐらいの生徒たちが眠っている。
制服は全員貴族科の生徒で、去年まで俺と同じ校舎で授業を受けていた知り合いたちだ。
クリストファーも、近くに倒れていた。
ほとんどの生徒がケガをしていた。
平民科の生徒からの暴行ではなく、魔獣との戦闘で受けた傷であることを願うと同時に、俺は自問した。
クリストファーたちは悪なのか?
中等部で三年間、同じ教室で授業を受け、剣を振るい、休み時間に談笑した。
彼らには、多かれ少なかれ選民意識はあったかもしれない。
はっきりと、平民を馬鹿にする発言をする生徒はいた。
けれど、革命のために殺す必要がある命だとは思えない。
クラウスを苦しめた悪徳領主のような貴族は、痛い目を見て当然だろう。
だけど、望まず貴族の家に生まれただけの子供が、何故税金で暮らしているとか、将来搾取する側に回るからと暴行を受けて監禁されて殺されなければいけないのか。
「……ッッ」
自分の浅はかさ、子供さが恥ずかしかった。
以前、クラウスの話を聞いて、平民は可哀そうな被害者なんだと思った。
ダストンに喧嘩を売られて、平民科の生徒たちが俺とノエルの敗北を望んでいるのを目にして、俺ら貴族はこんなにも嫌われているんだと学んだ。
女神像を王室に奪われそうになる光景に、王族貴族は加害者で平民は被害者という、勧善懲悪モノのような構図を想像した。
少年漫画に描かれるような、弱く善良な市民を救うヒーローになれば全てが上手くいくと思っていた。
だけど違った。
バグのカメラ映像で目にして耳にした、平民科生徒たちの意気揚々としたあざけり声。
目の前に広がる、理不尽に監禁され命を犠牲にされそうになっている貴族科の生徒たち。
俺は、何もわかっていなかった。
個人を見ないで身分で判断していた俺も、ただの差別主義者だった。
深い反省の後に、強い怒りが湧いてきた。
革命軍にではなく、自分自身への怒りだ。
過去の自分を払拭しようと、怒りは気力に変わり、闘争心と使命感に変わった。
「待っていてくれみんな。俺が必ず助ける」