不帰の森・7
「僕は、剣士だ……魔法は使えない」
一家の者たちから、歓声が起きた。アルノーたちを殴っていた時と同じ調子だ。殴るのも歌を聴くのも、余興の一つでしかないのだろう。
アルノーにはそれもどうでもよかった。ただ歌いたいだけだった。自分を憐れんでいるのかもしれないし、兄への鎮魂なのかもしれない。ただのヤケクソなのかもしれなかった。
ベルタの命令で、二人は縄を解かれた。ランボーにはギターが渡され、彼だけ猿ぐつわを嚙まされた。
焚き火を挟んで一家の連中と、ランボーとアルノーが向き合う形になった。二人は顔を見合わせた。ランボーの表情は真剣だったが、猿ぐつわで開きっぱなしの口は滑稽だった。いずれ殺されるというのに、アルノーはおかしかった。
ベルタが近づいて来た。
「最後のステージだな。あたしから餞別だ」
首に掛けていた鎖を外すと、アルノーの目の前にぶら下げた。兄のハモニカだった。ベルタはアルノーを抱きしめるようにして、首に掛けてやった。
アルノーはされるがままにしていたが、突然、耳に鋭い痛みを感じた。ベルタがアルノーを抱きしめたまま、耳たぶにかじりついたのだ。
「!……!……」
痛みでアルノーは声も上げられなかった。ベルタはそのまま噛みちぎり、ようやくアルノーから離れていった。
「おかしな真似をしたら、即座に殺すからね!」
ベルタの指さす方を見ると、矢をつがえた小男が数人、立ち並んでいた。
耳がジンと重く、熱い。痛みをこらえるうちに、投げやりな気持ちがスッと消えていく。アルノーはランボーに目を向けた。
(これが最後じゃない。僕らのバンドの、最初のステージだ)
見返してくるランボーの目にも、あきらめた様子はない。吟遊詩人はギターを構え、足踏みを始める。アルノーもそれに合わせて小さく首を振る。数テンポ合わせてから、前奏が始まった。初めて聴く音に、ベルタが目を丸くする。
アルノーが叫ぶ。
「ロックンロール!」
炎の向こう側から、一気に歓声が上がる。ギターに合わせて、アルノーは身体を左右に揺らし、ステップを踏んだ。
アルノーは大きく息を吸い込んだ。かび臭い、腐臭混じりの生温い空気で肺を満たし、一気に吐き出し歌い始めた。
小さな人影が縦に横にと揺れ始め、歓声もさらに高まった。踊らない者は手近な物を叩き、リズムを刻んでいる。
(呪文を唱えなくても、ギターで魔法を出せるんでしょう?)
目線を送ると、ランボーは首を横に振った。ギターも大きく揺らして見せてくる。パフォーマンスと思ったのか、一家の嬌声をあげ、骨を投げつけてきた。
(何かが……足りない?)
アルノーはランボーの振るギターを見た。黒い胴体に黒いネック、銀色の弦。本体に変わりは見られないが……尾部についていた、ひも状の物が出ていない。それは確か、彼の腰の辺りへ伸びていたはずだ。
曲は二番に入った。
(ベルト?)
アルノーの身振りに、ランボーが口を開けたまま大きく頷いた。これにまた反応して、人影が縦に大きく揺れる。
ベルトは連中の誰かに奪われたままだ。アルノーは焚火の向こう側を見た。誰が持っているのか、遠目には分からない。
(ええい!)
アルノーはランボーに向かって駆け出した。ランボーが背中を向けて腰を屈める。その背中を蹴って、焚火の上へ飛び上がった。
アルノーは、炎を越えた。
アルノーのダイブに大歓声が上がり、小男たちが彼を受け止めた。着地するとアルノーは、歌いながら小男小女の中を走り抜ける。ベルトを持っている奴を探すのだ。
ベルタが射てと叫んでいたが、弓隊は仲間に当たるのを恐れて射てないようだ。ベルタが吊り目をさらに吊り上げて駆け寄ってくる。
三番を歌い終えた。
(これ以上、歌詞がない……)
アルノーは首に提げられたハモニカを掴み、吹き始めた。ランボーのギターがリフを刻んでアルノーのソロ演奏を支える。ギャーっと甲高い声が上がり、小女たちが抱き着こうと寄ってくる。それをすり抜け、飛び上がり、しゃがみこみ、首を振り、身体を回してベルトを探す。
(いた……!)
黒いベルトを掲げて踊っている小男を見つけた。駆け寄ってベルトを掴んだが、片手では勝てるわけもない。ハモニカを離して両手で取り合った。ランボーがソロを引き継いでくれる。
音楽に熱狂しているのか、ベルトを奪い合うアルノーと小男を、誰も止めようとしない。ギターが煽るようにをかき鳴らされ、周りも合わせてはやし立てるだけだ。ベルトを中心に人垣が生まれ、ベルタも近づけないでいた。
引っ張り合いの末、アルノーは小男の顔に足裏を見舞って、ついにベルトを奪い取った。ランボーを探すと、焚火を回り込んで駆け寄って来るのが見えた。
「ランボー!」
投網のようにベルトを投げると、それは人垣を越え、ランボーへと届いた。吟遊詩人はそれをつかみ、ギターから紐を伸ばしてベルトにつなぐ。右手を大きく振りかざし、弦に振り下ろした。
「魔奏……」
「サイレント!」
ベルタの声が響いた直後、すべての音が止んだ。一家の歓声も、骨を踏み割る音も、焚火の揺らぐ音すら聞こえなくなった。ギターも沈黙し、魔法も発動しなかった。
ベルタが開いた巻物を持って、見せびらかすようにヒラヒラと振っている。
(サイレントの巻物……!)
魔法の呪文の書かれた巻物だ。開けば魔法使いでなくとも、書かれた呪文を発動できる。『サイレント』の魔法は、空間の音声を遮断してしまう。その空間では魔法使いは、呪文を唱えることができなくなるのだ。
(お前たち、直々に殺してやるよ)
声は聞こえないが、ベルタの顔は間違いなくそう言っていた。巻物を捨て、ナイフを抜いて近づいてくる。アルノーを取り巻いていた人垣が割れた。
そして弓隊が、ランボーへ向けて弓を引いた。
ランボーはチ、チ、チ、と指を振り、首を振る。そしてギターの弦を留めていたペグを、一気に引き抜いた。六本の弦が解放され、勢いよく天井へと伸び上がっていく。弦の先が天井に届いたのかピンと張り詰めると、ランボーは弦を一本ずつ弾き始めた。
音は聞こえないが、弦が細かく揺れる。さらに弦を左手で触れながら弾くと、揺れ幅は変わっていった。やがて一本の弦を弾いたとき、天井から岩の破片が落ちてきた。ランボーはその弦を繰り返し、弾き続けた。洞窟全体が揺れはじめ、天井から落ちる石が大きくなっていく。
(逃げろ!)
ランボーの顔が、そう言った気がした。アルノーは洞窟の入口へと走った。
何事かと見ていたベルタも、ハッと気づいて叫んだ。だがその声は届かなかった。一家の頭上にも石が、岩が、雨のように降り注いだ。みんな下敷きになって倒れていく。だが、彼らの悲鳴も響かなかった。
ただ岩が落ち、砕ける震動だけが続いていた。