不帰の森・3
ランボーの奏でる音の波が、アルノーの身体をやさしく打った。波は暖かく、徐々に気分が静まり、頭痛も癒えていく。周囲の冒険者たちも立ち上がり、扉にしがみついていた者も席に戻って来た。
みな、歌のダメージは消え去ったようだった。受付嬢は目を丸くした。
「……ヒールの魔法みたい……詠唱もなしに? 演奏だけで……?」
酒場の席が落ち着いてくるのを見計らって、ランボーは別の曲を始めた。それはアルノーも聞き覚えのある、山里の風景を歌った牧歌的な歌だ。思わずアルノーは歌い出した。
あの山から吹く風は 谷を抜けて
あの人の暮らす街へと続く
私の心よ風に乗って あの人へ届けよ あの街へと……
元々は街へ働きに出た、恋人を想った歌だ。だが歌い手によって、相手は父だったり兄弟だったり、息子だったりと変化する。アルノーは再会してすぐまた別れた、兄を想って歌った。
アルノーが歌い出すと、ランボーも主旋律から伴奏へと切り替えた。二人が目を合わせ、息を合わせていくにつれ、ギターと歌とが糸をよじるように重なっていく。音が声になり、声が音になった。やがて周囲から手拍子が入り、徐々に盛り上がりは酒場中へと広まっていった。
それから四半刻ほど、アルノーは歌い続け、ランボーは伴奏に間奏にと、観客を飽きさせなかった。歌い出す冒険者が現れれば、それにもランボーは伴奏をつけ、踊る者もいて、場は多いに盛り上がった。
落ち着いて来た酒場のテーブルで、アルノーとランボーは乾杯した。
「歌が上手いんだな、アルノー」
「村では一番だったんだ。お祭りやお祝いでは、僕はひっぱりだこだったよ」
「やはり、俺の歌はひどいらしいな」
「まだ言ってらあ。これまで何も言われなかったの?」
「……どこも同じ反応だった……だが、実戦を積み重ねていけば、いずれはな」
(……その『いずれ』は永遠に来ないよ……)
アルノーは確信していた。彼には是非、現実と向き合ってほしい。
「とは言え、この街ではもう歌えなくなった。アルノー、よければ俺と組んでくれないか?」
「ランボーと僕で、コンビを組むってこと? それって、パーティ?」
「そうだな……音楽の場合はバンド、と言うらしい。誰に聞いたか憶えてないが」
「僕は兄さんを、探したいんだ。『不帰の森』へ出かけて帰って来ない。バンドでもパーティでもいいから、僕と組んで、一緒に行ってほしいんだ」
「『不帰の森』……聞いたことがないな……」
ランボーが記憶を手繰るように首をひねった。そこへ受付嬢が割って入って来た。
「ただの噂ですよ、ランボーさん」
受付嬢は、アルノーへ厳しい目線を向けた。
「アルノーさん、ご自分の都合でパーティに誘うのは、ランボーさんに悪くはないですか?」
反論しようとするアルノーをランボーが制した。
「先に『不帰の森』について、教えてくれ」
「この街から街道を西へ進んだ先にある、大きな森です。森の中を街道が通っているのですが、森に入って出てこない人がいる、という噂です。その噂を信じる人たちが『不帰の森』と呼んでいます。でも……」
「事実ではないと?」
「『西へ向かった商人が森で消えた』とか『西から来るはずの友人がいつまでも来ない』とか、そんな捜索の依頼が、当ギルドに度々あったようです。でも森を捜索しても、見つかった人はいません」
「手掛かりは? 盗賊に遭ったとか、モンスターに襲われたとかは?」
受付嬢は首を振った。
「何も。街道沿いは定期的に巡回していて、モンスターは駆除しています。街で怪しい人物を捕まえたこともあります。でも、噂は消えません。仮にどちらかに襲われたなら、遺体なり遺品なり残るじゃないですか。それすらも、見つかったことがないのですよ。そもそも、行方不明になったという人たちが実在していたのか? 確かにその森を通ったのか? それすらも怪しいんです」
「僕の兄さんは、森へ行ったんだよ。嘘じゃない!」
アルノーにすれば心外な話だ。兄がいなかったことにされてしまう。
「でも大勢の人が、無事に森を通っています。ここにいる人たちだって、日常的に行き来しているのですよ。私が知る人の中で行方不明になった方は、あなたのお兄さんが初めてです」
ランボーは酒場にいる面々を見渡した。聞き耳を立てていたのか、ほとんどの者が手を上げ、受付嬢の話を裏付けた。
「依頼があれば、みんなで探せるのか?」
「捜索を依頼するなら、報酬が必要です。アルノーさんは払えないそうですが」
「アルノー、自分で探しに行こうとは思わなかったのか?」
「一度、商隊に混ぜてもらって往復したよ。でも、何も見つからなかった。だから、次は街道から外れて、もっと森の奥へ入ろうと思ってるんだ。新米の僕一人じゃ無理さ。探索とかの能力を持つ人が、必要だと思うんだよね」
「……吟遊詩人の俺に、そんな能力があると思うか?」
「街道だって、決して安全とは言えない。追剥ぎも出れば、はぐれモンスターだっている。そんな中を今までずっと、一人で旅してきたんでしょう? それなりにデキるんじゃないかな」
ついていった商隊の、誰かの受け売りだった。それでも効果はあったらしい。ランボーの皮肉っぽい笑顔が、感嘆の表情に変わったのだ。
「……買ってくれるじゃないか」
立ち上がって、ギターに布を巻き始めた。
「行ってくれるの?」
「今から俺たちはパーティだ。終わったらバンドを組んでくれ」
アルノーが目を輝かす。だが、そこへ受付嬢が水を差した。
「大勢で探して何も出なかったんですよ、無駄足です」
ランボーは横に首を振る。
「大勢だから、何も見つけられなかった。四、五人のパーティだから無事だった、じゃないかな?」
「……つまり、一人とか、二、三人で森を通ったら消えてしまう、ということですか?」
「アルノーの兄さんも、そう考えて一人で出かけたんだろう。だったら、俺たち二人で行ってみる価値はある」
「お兄さんの二の舞になりませんか? 報酬もなしに命を危険にさらすなんて、勇者でもあるまいし……」
吟遊詩人は笑みを浮かべて、受付嬢を見た。酒場の冒険者たちもこちらを見ていた。
「勇者か……たまになるくらいは、いいだろう?」
そう言って、立ち上がった。アルノーが後を追い、二人は外へ出ていった。
ガランガラン……
「帰って来れなかったら、どうするのよ……」
扉を眺めながら受付嬢はつぶやいた。