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呪いのつぼ  作者: Satoru A. Bachman
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第2章 花香の秘密(Ⅲ)

 第2章 花香の秘密(Ⅲ)


 今日はワンピースの下に履いている紙おむつのせいで尻が重たいからさっさと早くキャンパスに帰りたかった花香はサンタモニカピアの近くまで海岸を歩くと、またビラ配りをしているレオンを見かけた。信仰のことでダル絡みをされて時間を無駄にするのは嫌だったからレオンがこちらに気づく前に、近くを同じ方向へ歩いていた数人の若者グループの影に隠れてそこを通りすぎ、ビッグ・ディーンズというハンバーガー屋のそばの坂を上がって、海岸を離れた。


「花香!」

サンタモニカの桟橋から彼女を呼ぶ春夫の声がした。もう、こんなときに。

「夜まで遊んで、ババ・ガンプでメシ食って帰ろうよ」

と彼が誘ってきた。

「ごめんね、私今日は用事あるからキャンパスに帰るね!」

「えー!?花香ぁ…」

残念そうな春夫。

「春夫くん、金曜の放課後はどう?遊びに行こう」

「じゃあ、金曜絶対だぞぉ」

「うん!」

そう言い、花香は春夫に向かって軽く投げキスをして足早に桟橋を離れた。


 数ブロック歩いて、ウィルシャー通りを曲がった。バス停を探していると、通りの南側にガラス張りの綺麗な建物があった。正面の入り口のアーチに“ブディスト・ビジターセンター(仏教徒の集会所)”とある。あれが、レオンやジュリアが皆を誘っている会館のようだ。だが、花香はそれほど興味が無かった。バス停はそのすぐ先にあった。



 キャンパスに着いて、ブルイン広場に入ったとき、花香はやっと落ち着いた場所で1人になれて「至福の時間だ」と思った。日が傾き始めた涼しい夕方だ。広場からキャンパス内の芝生に沿った通路をゆっくり歩いてパウエル図書館の前に出た。その向かいにはロイス・ホールという建物がある。花香はそれらのロマネスク様式の美しい建物と風に揺れる木々を眺めた。彼女はキャンパス内の建物の外観や雰囲気が大好きだった。ロマネスク様式とは中世西ヨーロッパの建築様式。綺麗な暖色のレンガ造り。ロイス・ホールのほうへ歩いていき、その建物の美しいアーチの柱にそっと手を触れた。壁や天井には歴史を感じさせる宗教的なアートが施されている。西洋文化だからキリスト系なのだろう。無宗教の日本人の花香には何なのか分からなかった。ロイス・ホールを離れてすぐ近くの噴水のほうへ歩いた。人種も国籍も違う他の学生と時々すれ違うが今は周辺に人が少なかった。


お腹がグルグルと鳴り出す。花香は便意を感じていた。

そろそろ限界かな。ここでしようか。花香はそう決心すると、噴水の前を通り過ぎ、ジャンス階段のそばまで歩いた。その下り階段の先にはウィルソンプラザという芝生広場とスタジアムが見える。その更に先にはリーバーホールの寮の建物が見える。

緑と共存する綺麗なキャンパスを眺めながら、花香はそっと下半身の緊張を解いた。股に小便の温もりが広がる。花香は右手の親指を口にくわえてしゃぶった。

そのすぐ後に、大便をした。もりもり出る大便がおむつの中で行き場を失い、ヘビのようにとぐろを巻く。ワンピースの下に履いている紙おむつがずっしりと重くなった。赤ん坊でも老人でも病人でもない五体満足の自分がおむつに排泄をする背徳感。花香はしゃぶっていた指をそっと口から離し、

「ママ… パパ… しちゃったよ…」

と呟いた。


小さい頃の記憶が甦る。花香がまだ4歳だったあの日。保育園で両親が迎えに来るのをずっと待っていたあの日…。4歳の花香がいた南美船保育園のキリン組の教室、先生や周りの子たちの声、当時の情景が頭に浮かぶ。夕方だった。他の子たちのお父さんやお母さんが次々に迎えに来て、お友達がどんどん帰っていく。みんなの手提げ袋がかけてあるポールのそばの窓に顔をくっつけて両親をずっと待った。キリン組の美咲先生がそばに来た。

「花香ちゃん、どうしたの?」

「パパとママが来ないの…」

おむつでズボンがぷっくら膨らんだ4歳の花香は鼻を垂らして泣き出しそうな顔で言った。

「大丈夫よ、パパとママもうすぐ来るから」

美咲先生はそう言うと優しく花香の頭を撫でた。大人の言うことはなんでも本当だと思っていた。だけど、この時は違った。

「パパ… ママ…」

「あっちで粘土遊びしてるから花香ちゃんもおいでね」

そう言い、美咲先生は粘土で遊んでいる子たちがいるテーブルへ戻っていった。花香は指をしゃぶりながら窓の外を見続けていると、じゅわあっと股が温かくなった。おしっこをしてしまった。そのすぐ後にお尻も温かくなった。

「ママ… パパ… しちゃったよ…」

だけど、ママとパパが花香のおむつを替えてくれることはもう二度と無かった。


訳も分からないまま、花香は継母の家に引き取られた。

ママとパパは休暇旅行に行ったと聞かされ、ずっと両親に会えないまま花香は継母の家で大きくなった。

「きゅーかりょこー?」

幼い花香にはその意味が分からなかった。3つ下の義妹の郁美は病気で養護学校に通っていた。車椅子生活の彼女はおトイレに行けない。花香は小さい頃から郁美が継母にお世話をされているところを見て育った。実の親におむつ交換をしてもらっている郁美のことが花香はとても羨ましかった。だから、郁美の紙おむつをときどき盗んでこっそり履いていた。それが12才のときに継母にバレてこっぴどく叱られ、何度も尻を叩かれた。5つ上の義兄の成亜は小さい頃は優しくていいお兄ちゃんだったが、思春期以降は花香にセクハラをするようになった。

“休暇旅行に行った”と聞かされていた両親が本当は交通事故で亡くなったと知ったのは15歳のときだった。高校入学前に中学の思い出の品々を押し入れにしまおうとしたら、その中に両親の遺影があったのだ。




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