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呪いのつぼ  作者: Satoru A. Bachman
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第2章 花香の秘密(Ⅱ)

 第2章 花香の秘密(Ⅱ)


 理圭と2人でデ・ネヴェダイナーに行き、朝食をとった。エレナはまだ部屋で寝ていた。男子たちは食堂にいなかった。先に教室に向かったのだろう。暇そうにしていた受付のジュリアが話しかけてきて、女3人でコーヒーを飲んだ。明るくて、よく人を元気づけるジュリアは30歳。以前はタイマッサージの仕事をしていた。健康意識が高くて、今は食に関心を持ち、このダイナーで働いている。

「ねえ、明日のブディスト・ビジターセンター(仏教徒の集会所)の会合へあなたたちも来ない?明日の夕方5時から」

と彼女が言った。

「私、明日、放課後にティム・バワーズ教授に用事があるから」

と花香は答えた。理圭も

「うーん…(Well..)」

とイマイチな反応をした。花香も理圭もジュリアのことが好きだ。だが、信仰の話になると、乗り気でついてはいけなかった。レオン・チャンも同じだ。いい奴なのだが。

その後、2人はウェストウッドの街をてくてく歩いてテン・テンに向かった。赤毛で青白い顔のタム・コナーズが今日もテン・テンの入り口を警備していた。


 「ペットの墓場に私を埋めないで、生き返るなんてまっぴらよ

ペットの墓場なんかに埋まりたくないよ、生き返りたくないもん♪」


彼女は「ペットセメタリ―」のテーマソングを熱唱しながら、IDをちゃんと見せた学生を入り口に通していた。歌い続けて挨拶もせず、ただドアを開けて、右手の指をまっすぐにして前腕を振りながら、中へ入れ、と身振りしていた。花香と理圭が通ったときも同じだった。

「私、タムが歌ってるあの曲、知ってる!」

と理圭が言い、タムの方を振り向いて微笑んだ。


 教室に入り、春夫、レオン、ヤリと合流した。講義が始まる前からすでにサム・キング教授はホワイトボードの前に立って、教室に入ってくる学生たち1人1人に

「グッモーニン」

と挨拶をしている。40歳のキング教授は体格が良く、深い堀で陰った目は鋭く、巣穴から猛獣がこちらを睨みつけているような顔だ。くしゃくしゃの髪と無精髭が更に怪しい雰囲気を醸している。その顔に似合わず、声は高くて快活。とても心優しい男だ。

9時になり、講義が始まった。

「さあ、今日のスラングのプリントを配るぞぉ!」

キング教授は明るくそう言うと、学生たちに満面の笑みを向けた。彼の白い歯がきらりと光った。

プリントが教室中の学生たちの手元に行き渡ると、みんな訳の分からなそうな顔をして頭を傾げた。

たくさんの単語がプリントに書かれていた。これらはスラングとして何を意味する言葉なのか、英語圏出身ではない学生たちにとってはちんぷんかんぷんだった。一応、アメリカ人であるレオンさえも首を傾げていた。彼は家では中国語で生活をしているのだ。だから英語の基礎を留学生たちと一緒にここで学んでいる。午後の授業でヴェニスビーチへ行き、現地の通行人や店の人などにこれらのスラングの意味を聞いて回る。それが今日のタスクのようだ。

キング教授は色んなスラングや英語特有の言い回しなどを説明した後、いつも映画を見せてくれる。その指導は驚くほど効果がある。今日の映画は「恋はデ・ジャヴ」だった。面白い映画だが、花香はうとうとしてしまった。集中して観ようと思うのだが、席に座ってじっとしていると頭がかくんかくんとなる。なんとか観ようと思うが、目蓋がどんどんと重くなった。花香は昨夜に悪い夢を見たせいで眠りが浅かったのか、彼女は睡魔に吸い込まれていった。それは抗う気の起きない心地の良い睡魔だった。今日は、外はそれほど暑くないのにひんやりと冷房の効いた教室はちょっぴり肌寒いくらいだ。花香がワンピースの下に身につけているライフリーの紙おむつが彼女の下腹部と尻と股を覆い、ぽかぽかとしている。眠くなってしまうのはその感覚が気持ちいいからなのか。きっとそうだ。なんだか守られているような安心感。まどろんでいる状態と起きている状態の堺をさまよった。意識がぷかぷか漂っているかのように。

隣の席に座っていた春夫が花香の腹を指で突いた。花香はびくりとして飛び起きた。

「もう!何すんの」

「眠り姫を起こしてあげたんだよー」

と春夫が言い、彼女をからかうように笑った。居眠りしていた間に花香の口から垂れた涎が糸を引き、机に小さな水溜まりが出来ていた。彼女はさっとハンカチを取り出し、口元と机を拭った。


 午後。

スラングのクラス全員がヴェニスビーチに来て、課題に取り組むため、皆は海岸や街へ散っていった。カラフルな店が並ぶ賑やかなヴェニスビーチ。花香はふらふら歩いて、ときおり、タンクトップや水着姿の日に焼けたバンド連中の演奏やサンドアートを眺めながら、質問しても良さそうな、取っ付きやすそうな現地の人間をさがした。タトゥーの店の前を通りすぎた。少し離れたところの人混みの中に春夫の姿があった。春夫は自分の顔の半分くらいはある大きなハンバーガーを美味そうにむしゃむしゃ食べている。まったく。今は講義中なのにお食事かい。そう思いながらも花香は彼のほうを見て微笑んだ。何をしていても彼は可愛い。

花香はまた歩き続け、パームツリーに寄りかかってぼうっと突っ立っていたサングラスをかけた白髭のおっさんにプリントに書かれたスラングの意味を聞いた。いくつか教えてもらい、礼を言った。そして、今度はドリームキャッチャーや不思議な装飾品を売っている出店の老婆に聞いた。現地の人は一見、怖そうな人や変な人も多いが、基本、みんな親切だ。プリントの空欄を全て埋め、花香は一息ついた。


「おっ、福島さん、楽しんでるかい?」

ボードウォークでホットドッグを食べながら歩いていた犬井教授とばったり会った。カリフォルニアの太陽が彼のテカテカの七三ヘアに反射している。はい、楽しんでます!と花香が答えると、教授は嬉しそうに微笑んだ。

「現地の人たちとも交流してたくさん学んでくださいね。何はともあれ!」

そう言うと、また彼は何も無いところでつまずいて、転びそうになり、ホットドッグのウィンナーをポトリと落としてしまった。そして右手で頭を押さえて、はははと笑いながら歩き去っていった。




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