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呪いのつぼ  作者: Satoru A. Bachman
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第1章 充実のキャンパスライフ(Ⅱ)

 第1章 充実のキャンパスライフ(Ⅱ)


 8月27日。月曜日。

朝、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のリーバーホールの部屋で花香が目を覚ますと、黄色い朝日が窓から差し込んでいた。2段ベッドの下段の花香は体を起こすと上段の理圭は既に起きていて、寝転がりながら本を読んでいた。その本の表紙にはアルファベットの大文字で「IT」と書かれている。あのピエロが出てくるやつだっけ?よく朝からホラー小説なんて読んでいられるわね。



 理圭と一緒にリーバーホールを出ると、春夫がそこで待っていた。3人で寮から近いデ・ネヴェダイナーという食堂に朝食をとりに行った。いつものように受付のジュリア・ウィングフィールドが迎えてくれた。明るく感じの良いジュリアはレオンと同じ中国系アメリカ人で仏教徒の家庭で育ったという。レオンは先に食堂に来ていて、ジュリアとインドの釈尊について熱弁していた。彼はキャンパス内で宗教活動をしていて、サンタモニカにある活動の拠点の会館に学生を勧誘したり、そこで開かれる宴などの企画もしている。会館と仏壇に向かってばかりでガールフレンドはゼロ。レオン・チャンはジュリアにも負けないくらい明るく、いつも笑っていて友人が多い。四角い顔で小さい目で髪はストレートでツンツンで河童の頭の皿のようなヘアスタイルだ。彼は笑うと顔の半分が口になる。クラウン(道化師)・チャンというニックネームもある。

花香はスクランブルエッグにベーコンにオートミールを食べ、春夫はカラフルなシリアルをかきこむように早食いし、理圭は控えめにトマトスープだけをすすっていた。ここに滞在する学生たちにとって何より嬉しいことは食事がいつもビュッフェであること。短期間の滞在でも太ってしまう人も多いらしい。

「2人とも、もっと食べなよ」

と花香。

「俺、あんまり朝は腹減んないんだ」

春夫はそういうと空になったシリアルの皿の横にスプーンをぽいと置いた。

「私は最近2キロ増えちゃったから」

と理圭がぼそっと言った。

「日本の食事が恋しくなった?」

「ハンバーガーとかブリトーはもういいかな」


 そこへ美船外語大学から引率で来ている犬井教授がやってきた。

「おはようございます、みんな。楽しんでるかな?」

3人は楽しんでいると答えた。そう聞いて学生たちに微笑みかける犬井教授は今日もテカテカの七三ヘアだ。

「何はともあれ、みんなのUCLAでの滞在期間も半分が過ぎましたね。有意義に過ごして下さい、何はともあれ。ところで卓くんは一緒じゃないんですか?」

「ああ、あいついつも1人でどっか行っちゃいますからね。今もその辺でふらふら探検してますよ、『冒険』とか言って」

春夫がそう言うと、花香と理圭はくすくす笑った。

「そうですか。じゃあ、今日も頑張って下さいね、何はともあれ」

そう言い、犬井教授はダイナーから出ようと歩き出し、つまずいて転びそうになった。そして右手で自分の頭を押さえて笑いながら去っていった。愉快な中年のおじさんだ。


 3人にレオンが加わり、一行はデ・ネヴェダイナーを出て、他愛ない会話をしながら歩いて、この大学を象徴する熊の銅像があるブルイン広場に出た。

「UCLAに来たばっかの頃はワクワクしてて全然気にならなかったけど、寮から教室まで遠いよなぁ」

熊の銅像の前を通りながら春夫がちょっぴり不満気に言った。

「寝坊しちゃうとのんびり歩いてける距離ではないね」

花香が答えた。

ショップやレストランがあるアッカーマン・ユニオンの前を通ると、バスターミナルに出る。その先はウェストウッドの市街地だ。

 数ブロック歩いて、ようやく教室があるテン・テンという建物に到着した。

テン・テンとは「UCLAエクステンション・1010・ビルディング」の愛称である。建物の入り口の前にはいつものように赤毛のオールバックの青白い顔をしたのっぽな女が立っていた。お腰に付けたホルスターにはグロックかシグと思われる拳銃が納まっている。テン・テンの警備員のタム・コナーズだ。いつも目元に隈が出来ている。

「グッドモーニング、あんたたち、学生IDを見せなさい」

タムは幽霊のような顔でにたりと笑い、4人にそう言った。皆が学生IDを見せるとタムはドアを開けてくれた。どこか男っぽい雰囲気の彼女は性同一性障害を患っているという噂があった。



 4人が教室に入ると、そこは学生たちで賑わっていた。日本人、イタリア人、サウジアラビア人、台湾人などなどみんな留学生だ。

「おはよう(Good morning)、ヤリ」

誰からともなく、4人が先に教室に来ていたヤリに挨拶をすると、

「おはよう…」

とヤリも眠たそうに言った。彼の堀の深いハンサムな顔がなんだか今日は死にかけた猿のようだ。

「あら、眠そうねえ」

と花香が言うと、

「全くそうだとも…(Absolutely)」とヤリは答え、机に突っ伏してしまった。

「そういや、昨日の夜、くっくっく…」

春夫が笑いをこらえながら何やら話し出した。

「昨日の夜、俺たちの寮にさ、ヤリのガールフレンドのサラが遊びに来てたんだよ。夜中にヤリとサラが一緒に寝てたベッドがミシミシ揺れてたんだよ」

「まったく」

と言わんばかりに花香は首を横に振って笑った。そばで理圭は「IT」の続きを読んでいた。レオンはクラスのみんなに何やらビラを配っていた。

「明後日、サンタモニカのブディスト・ビジターセンター(仏教徒の集会所)にて会合があります。紳士、淑女のみなさん、是非ご参加を!地獄と天国は皆の内面に備わり、幸福とは見出すものなのです」

と熱弁しながら。そんな彼に拍手を送るクラスメイトもいれば、親指を下に向けて「ブー!」と言ったり「うるせんだよ、お前はいっつも」と文句を言うクラスメイトもいた。


「席に座りなさい、クラウン・チャン」

一輪車に乗って教室に入ってきたティム・バワーズ教授がレオンにそう言った。レオンは席に着いた。

「おはよう、みんな!」

白髪の長髪で丸眼鏡をかけたティムが陽気に挨拶をした。今日も彼はハイビスカスのアロハシャツを着ている。教授というよりもリゾートでハンモックに乗ってくつろいでいそうな陽気な初老といった風貌だ。


 今日は基礎英語の授業だ。

花香はノートを開き、ひまわり模様の黄色いペンケースからシャープペンシルを取り出した。

ティムは一輪車に乗ったままホワイトボードの前を行ったり来たりして話し始めた。

「これからアメリカ先住民のウロタス族の動画をお見せしまぁす。リスニング力を鍛えるためぇに今日はみんなに聞き取った言葉のディクテーション(書き取り)をしてもらいましょぉ!」

ティムはカリフォルニア州ウィンストンバーグ出身で、白人家庭で生まれ育つがその地方に住んでいるアメリカ先住民のウロタス族の血も引いているらしい。青年時代から自分の祖先がいたウロタス族に強い関心を持っている。


 「私は学生時代、今の皆さんくらぁいの歳のとき、私が生まれた町のウィンストンバーグ郊外のウロタス自然公園の先住民保護地区へ探検に出かけました。若い頃は病弱でうつ状態だった私を先住民たちは温かく迎えてくれ、森の中で宴に招いてくれたのでぇす。そして、『オナーの儀式』という洗礼を受けたのでぇす。そこで私は見た、苦難や憂鬱の無い楽園を!さあ、その素晴らしいウロタス族をみんなもご覧になって下さぁい!」

ティムは映写用の垂れ幕を下ろし、教室の電気を消すと、動画を再生した。動画には、男も女も長い黒い髪で肌の色が浅黒い民族の生活が映し出された。小さな目鼻立ちの彼らはアジア人に近い見た目だった。寒さに強いのか民族は茶色い革製のギザギザな下着しか身につけていない。

 物語調に語る男性の声の英語のナレーションが流れ、ウロタス族の生活や文化の説明をしている。英語圏出身ではないクラスのほとんどは民族のことよりも英語のナレーションを聞き取るので精一杯のようだった。みんな一生懸命に聞き取った単語をノートに書いている。森の中で木の枝と葉と石でこしらえたテントのような家で楽しそうに暮らしているウロタス族を見て花香はティムが探検したという自然公園に行ってみたいと思った。画面は切り替わり、広々とした芝生の平野で青空の下で燃え上がる焚火を数十人で囲んで輪になっているところが映し出された。周辺にはピラミッドや先端の尖ったロケットのような形をした大きな石積みアートが散在している。彼らは両腕を上げ、神を称えるかのように開いた手の平を空に向けて大声で何かを唱えている。

何と言っているのだろうか。彼らの話している言語は英語ではない。


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