第1章 充実のキャンパスライフ(Ⅰ)
呪いのつぼ
第1章 充実のキャンパスライフ(Ⅰ)
2012年8月26日、日曜日。カリフォルニア州サンタモニカ。
UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で短期留学をしている羽田卓はサンタモニカピアのそばのバイクレンタルの店でコンフォートバイクを借りて海岸に向かって走った。
今日も気温は高いが空気はからっとしていて気持ちが良い。昼間で多くの人が行き交う桟橋の前の交差点で信号待ちをしながら通り沿いに生えるパームツリーとその先に広がる青い海を見た。
何度見ても飽きない景色だ。
だが、それ以上に卓が考えていたことは先ほど昼食をとったババ・ガンプという海老料理のレストランで話しかけてきた店員のおねえさんのことだった。彼女はベティというらしい。一緒に2ショットの写真を撮ったが、腰抜けな卓は彼女の連絡先を聞くことが出来なかった。日に焼けていて金髪でサーファーのような卓は見かけに寄らずピュアで草食系なのだ。
いつも人の輪から離れて単独行動をする彼は独立していて一見、人に興味が無さそうだが、実は寂しがり。1人で自由にサイクリングを楽しみながらも、これから先に海岸へ行っている同じ寮の仲間たちのところへ少し顔を出しに行くところだった。
交差点を渡り、桟橋の南側に曲がり、ヴェニスビーチに続く海岸沿いの道に入った。桟橋のすぐそばの砂浜で遊ぶ理圭とヤリとレオンと春夫の姿が見えた。イタリア人のヤリが仰向けで3人に体を埋められ、砂浜に大きな山が出来ている。ヤリの股間に当たる部分に更に大きな山1つと小さめの山が2つ。男性のイチモツの形だ。それを作ったと思われる春夫と中国系アメリカ人のレオンがげらげら笑っている。理圭も
「やだあ」
と言いつつ、一緒になって笑っている。卓は口を押えてにこにこしている理圭を見ると、ベティのことを一瞬で忘れてしまった。手を振るが彼女は気付いてくれなかった。是非彼女にコンフォートバイクにまたがって髪をなびかせている自分の爽やかな姿を見て欲しかったが、彼女は遊びに夢中のようだ。彼女は、いつもは大人しくて地味だけど笑うと本当に可愛い。
遊んでいる4人のほうを座って見ている花香がいた。色白で癖のない長い黒髪を風になびかせながら微笑んでいた。彼女とは高校時代からの友人だ。その隣でロシア人のエレナが寝転がって日向ぼっこをしている。その長身のクールビューティは黒いサングラスをかけているから寝ているのか起きているのか分からない。
彼らはみんなリーバーホール(カリフォルニア大学ロサンゼルス校の寮)の仲間たちだ。
「花香!」
卓が後ろから声をかけ、手を振った。
「あ、卓」
花香は振り向いて手を振り返した。
エレナも卓のほうを見て
「ハロー」
と言った。彼女は起きていたようだ。
「ねえ、見てよ、あの子たち」
ちょっぴり呆れつつも笑いながら花香は4人のほうを指さした。
「ああ、凄いね…。あのチンチンの山」
「ね、信じらんない。ところで、ほら、理圭もいるよ」
「あっ、理圭ちゃんは、別にいいんだ。俺これからサイクリング行くから」
くすくす笑う花香。
「理圭ぁ!」
と彼女は叫んだ。
「ちょっ、いいってば!俺はこれから冒険に出かけるんだ」
焦る卓。
理圭が振り向くと、花香は卓のほうを指さした。理圭は卓のほうを見て微笑んだ。
卓も微笑み返すが顔を赤らめて自転車を漕ぎ始め、一目散にヴェニスビーチのほうへ走って行ってしまった。
去っていく卓の後ろ姿を見ながら花香は笑った。
「シャイボーイね」
とエレナも笑った。
福島花香は美船外語大学の3年生。語学に特別興味があった訳でなく、文系科目が得意だから成り行きでその大学に入学することになった。過去のトラウマや生活環境に悩みを抱え、開放感を求めてアメリカで短期留学をしている。今は何も捕らわれるものは無かった。目の前には楽しい仲間たちがいて、真っ青な空と海。右手には綺麗な桟橋と観覧車。海藻だらけだけど爽快な景色だ。上空には大きな吹き流しを引っ張る宣伝飛行機が飛んでいる。「紅の豚」に出てきたみたいなあの赤い小型飛行機を彼氏の春夫が操縦して、自分は後部座席に座ってこのアメリカ大陸を2人で横断する、そんな妄想をしてみた。
「花香、見ろよ!アパラチア山脈だぜ」
眼下に広がる山々を指さして春夫が叫ぶ。
「すごーい!私たちとうとうアメリカ横断したんだね!」
「今度はどこ行きたい?どこでも連れてってやる」
「本当!?私、タバルア島に行きたい!あのハート型の島」
「おっけい、そこに向かう。しっかり捕まってろ」
ぶーんと旋回して方向転換する飛行機。
すぐにそんな妄想はやめ、花香は砂浜でヤリたちと遊ぶ春夫を見つめた。彼のおかげなんだ。色々と。今こうして楽しんでいるのは。
花香がじっと見ているのに気が付いた春夫は彼女の方を見返すと、こちらへ来た。ライトブルーのポロシャツを着てマッシュカットで可愛い顔をした春夫。
「なあ、ペプシでも買いに行かね?」
それが、“ちょっと2人になりたい”という彼の適当な口実だということは見え見えだった。適当過ぎるけど。
「いいよ」
2人でカラフルな店が沢山あるヴェニスビーチのほうへ向かって歩いた。
サンドアートを作っている人や音楽を演奏している人で賑わうボードウォークで少し立ち止まって、その場の雰囲気を楽しんだ。春夫がそっと花香の小さい口にキスをした。花香はにこりとして彼女からもキスをした。ふふっと笑ってしまう花香。
「なんだよ」
と春夫が楽しみながらもちょっと怪訝そうに言った。彼の大きな目を見つめながら
「ううん、別に。可愛いんだもん」
と答え、また花香は笑った。
「ちっ」
可愛いと言われて気に入らなそうな春夫。
「わかった、わかった、かっこいいよ!」
何はともあれ、今の花香は幸せだった。