静かな子猫
土橋拳銃くんはドン引きレベルの馬鹿なのに円周率の記憶にかけて彼の右に出るものがなかった。クラスだけでなく、学校中の生徒はもとより、先生の誰ひとり拳銃くんの長い長い暗唱についていけるものがなかった。
が、繰り返して述べるが彼は馬鹿で愚かで、そのうえ怠惰であり、加えて言うとマヌケなのであった。しかも愚鈍であり体の使い方も陸に上がった魚のようでありながら水に顔をつけることすらできないし、バカだマヌケだと言われても笑っているような男子なのである。そして、夏の風雨の中で死にゆくカラスを見かけると放っておくことができない動物好きなのだった。彼はたいへんに慈悲深く生きてきた仏教徒なのである。
そんなところから、彼のことを「戦闘力皆無のブウ」とか「無害な無垢の巨人」とか「伊之助と善逸を足して二で割ったナメクジ」などと呼ぶものもあったが、彼を指し示すときにもっとも頻繁に用いられたあだ名は「円周率くん」であった。
円周率を暗唱する彼の姿に出くわしたものは、たとえ普段無意味に彼を軽んじていたのであっても、少しの間押し黙り、彼の肉体をかたちづくるどこやらかに神聖な雰囲気の宿っているのを感じ、じっと畏敬のまなざしを向けることが一再でなかった。そうしていつまでも続いてゆく数字のつながりを眺める中で、ふと我に返ってみると、改めてこの肥大した頬や腹の形を成す彼、肉におしひしがれて窺えないようになっている眼を持った彼、ずっと立ち姿のまま一見して意味の読み取ることのできない数字を連呼している不気味な彼のありさまに気づき、なかば身震いするようにして立ち去ってゆく。それでも円周率くんはずっと暗唱し続けるのである。三点一四から延々に続く、誰もが一度は行けるところまで覚えてみようと考える、あの確かに理のなかに堅固として定まっている数のならびを。
彼はいつも学校の二階の、本館から別館へ一度外に出て渡ってゆける手前のフリースペースで、外へ身を投げ出すような姿勢で、扉のすぐ横に立ち、三点一四から朝のホームルームとかお昼の終わりなんかのチャイムがなるまでずっと円周率をとなえている。それは奇異な姿に違いないが、一年もずっとそんな調子なら、生徒の多くはなれてしまうもので、うるさいといって絡んでゆくものさえいずれ飽いてしまう。で、人はそういう彼をみて、前述の打ちのめされたような突然の放心を催す場合を除いて、気に留めないばかりか居ないもののように扱い、また心からそうみなしているに違いない。あたかも円周率くんは桜やいちょうの枝の中のツグミやスズメのさえずりなのだった。
むしろあの定位置へ近づいてゆく時の、廊下の奥とか階段の踊り場あたりから聞こえてくるいつもの数の呪文を耳にしないときは、時刻が混乱したような気分になり、生徒は「あれ? いま昼休みだよな?」などと不安になったりもしたが、あるべき場所から損なわれた円周率くんの身の上を考えるものは少なかった。そういうときの彼はだいたい風邪をこじらせて肺を病んでいるのが常なのである。彼はよくちいさな感冒をこじらせていた。彼の優しい心根が病気にさえ居心地のいいまどいを許しているようにさえ思われた。
ある晩秋、それは小さな虫があらかた姿を隠し、あとは彼の唯一大嫌いなところのカメムシの姿をちらほら認めるくらいの晩秋であるが、冷え込みが日中にさしせまりつつあった近頃で、強い風と重い空のためにふいに気温が上がり、一日じゅう十五六度ばかりというなかで、土橋拳銃はパパの強い要請によって、ちょっと歩かないといけない商店街のコウヅキ酒店へ、あの三キロ近くする重い重い日本酒のお使いに出されていた。彼の買わなければならないお酒は二本であるうえに、ついでにいい感じのおつまみも見繕う任務を負っているため、彼は気が重いのだった。彼は自転車に乗れなかった。百二十キロの体重がどういうわけか二輪の車体をまっすぐにとどめておくことを拒んでいて、彼のちいさな自尊心は珍しいことに補助輪に頼ることを許さなかったのだ。そうはいっても、しかるべき身分の彼だから自転車に乗れないのではマズいことに気付いているし、いずれ乗れるようにならなければならないことも知っているので、ちゃんと天気のいい日になれば、(そして人目につかないような場所を見つけられれば)、いっぱい練習してすぐにどこへでも乗ってゆけるようになってみせる魂胆なのであるが、そういう思惑は実に半年以上前から抱いていた。
雲の色はいかにも雨の降りそうな感じなのに、彼は急いでお家を出て行くあまり傘を忘れていたから、気の重さでいえばいつもの掛け算状態なのだ。彼は今日一日お家でゆっくりするつもりだったのに裏切られた心地である。
で、彼は車一台がやっとの通りで、折悪くエンブレムの立ち上がったタイプのベンツに出くわした。立ち止まっていると、急に風が強く吹き付けてくるような気がして、有無をいわせぬ権勢にやられて、道のわきへと退いたが、彼のお腹は実に横を向いても軽自動車の一台ぐらいはあろうかというぐらいに出張っていたので、ベンツは前進せず、かといって後退もしない。拳銃くんはあたりを見回してちょうどいい横道を見つけたから、急いで駆けていき、彼の気持ちの上では飛び込むようにして退避したが、実際はあまりにものろまだったからクラクションがビービー三度もなった。
ベンツのなかからなにかが睨んでいるように見えたが、彼は錯覚だと思うことにした。
彼は汗をかいているのを感じたが、本当は雨なのだった。雨は風の強いために結構な横向きの当たり方をしてくるが、まだ霧吹きみたいなちいさなつぶだった。彼は今度こそ本当に急がなければならないと思った。あまり似合わないことに思わず「うっし!」と声に出したほどだった。が、そうやって気合を入れた視界の端に、気勢を削ぐほど哀れなものがうごめいていた。
猫だった。しかも小さくて、その肌に体毛のあるのを感じられないほど薄い、ピンク色をして、うずくまったままの未熟児に違いなかった。彼はむかし志村どうぶつ園かなにかで未熟児の子猫を見たことがあったのだ。
細いごくわずかに色のついた薄い毛のひまに赤い肌がよく見えていて、目もあいていないままか細い手足をちぢこまらせている。肌が濡れているのはどうしてだろう? すぐそばに長いタオルの散らばったのがあり、砂粒をいっぱいまとっている。踏み荒らされた段ボールが、ナンテンらしい赤い実の見えはじめた低木の葉っぱの下に押し込められている。
土橋拳銃は両手を添えて、そっと猫の赤ちゃんを抱きかかえた。それは掌のうえに冷たく感じらえた、ふるえているようにも見えた。手の感覚には静かだったが、確かにふるえて生きている。彼は片手を使ってセーターをめくり腹をだしたが、その裾のなかに赤ちゃんを横たえて、お腹の冷えるのを堪えながら背を丸めて、包み込むようにしてお家の道行きへ引き返した。ママに聞いてみないわけにはいかないという気持ちなのだ。とにかく急いで帰らなければならない、と彼は思った。でも、この子が痛がらないように優しく走らなければだめだ。
猫はセーターの生地の中で外気と隔たっているけれども、彼の意識の上には捨てられていた姿が思い出され、不憫な、かわいそうな気持ちがしきりに彼の胸をついた。あったかくしていてね、と彼は言った。もうすぐだよ、とも。
雨は次第に強まっていた。雨の粒が大きくなり、絶え間ない。横殴りに頬や目に飛び込んでくるばかりか、お腹の両手にもぴちゃぴちゃ降り込んでくるのがわかる。彼の両手はより丁寧にセーターと子猫を包み、雨を防ぐシェルターを思い描いた。
髪のさきからしたたり落ちる雨粒や、肩や背中のひんやりしているのも、彼の辛い気持ちを高めている。もうすでに掌が濡れているのが感じられる。もうだめだろうと彼は思った。雨は全然強いままで服は雨をたっぷり吸って、風は強く、道行きの先は長い。けれども彼は走った。
どこへいこうとも猫はもう死んでしまうだろう、はじめから死んでいたのかもしれない。けれども彼は走る。ただ走り、なにも考えることができないために、走るばかりなのだった。
掌を開きママがのぞき込むと、やはり子猫は静かで、しばらくお風呂のタオルでくるんでおいて、雨風が静かになった翌日の朝に、彼はお庭にちいさなお墓をたてた。名をつける前に死んでしまった可哀想な子猫の墓標はアイスの棒だった。せめてと思って、ホームランバーの三点の棒をお墓に使った。
彼はお墓を掘りながら喉をゴホゴホいわせていた。それから三日学校を休んだ。元気になると学校で円周率を唱える毎日に戻った。先生や同級生はたまに彼の円周率を聞いていったが、なかなか褒めてくれる人はなかった。円周率くんは一度チャイムが鳴ってもやめないで、円周率のつづきを数え続けた。それはもう少しで三千桁にさしかかりそうな具合だったからだが、それよりも彼は深く考え込んでいたのだ。桜の木の寒い枝のなかに小鳥が一羽とまって、じっと彼の唱えるのを見返していた。彼はいずれ鳴くだろうと思って見ていたが、鳴かないまま先生に肩をたたかれてびっくりした。思わず円周率を唱えるのも小鳥を見つめるのも、子猫への思いも途絶えてしまった。その瞬間学校は急にシンとした。土橋拳銃にとってその静けさが、なぜだろう? いつも通りの同じもののようには思われなかった。おわり