プロローグ
プロローグを読むのが辛かったら第一話を読んでも大丈夫です。
梅雨。私はベタつく机に顔を突っ伏している。周囲の雑踏に注意を払うと、やれ進路がどうだとか志望校がどこだとか大学受験に対する熱意が教室の温度を高くしている。私は、ただでさえ湿度が高いこの部屋でこれ以上飽和水蒸気量を増やしてどうするのだと将来から目を逸らしたかのようなどうでもいいことを考えていた。雑念に苛まされていると、ふと教室の中の湿度が下がったことに気づいた。その原因は何かと間違い探しのために嘘のあくびで顔をあげる。異変といえば、部屋の中に木の枝の様な一人の男が入ってきていることぐらいか。彼の名前はジャスティス飯尾。彼は日本とノルウェーのハーフで、何を考えているのか分からないほど寡黙なのに何故か周囲に人が集まるような人であった。教室の湿度が下がったのは彼の珪藻土の様な性格のせいか、教室のドアが開けられ換気されたことによるものなのかは定かでは無かったし、私にはどうでも良かった。しばらくして、また教室の湿度が下がる。
「はい、みなさん席についてください。朝の小テストを始めますよ。」
気怠げな朝が始まる。私は小テストが嫌いだ。いや、小テストという名前が嫌いだ。何が「小」だ、どうせやるなら大テストにしろ。命名者は大は小を兼ねるという諺を知らないのか。などと針小棒大な小心者の小言を考えながら、いつもの様にプリントを一枚取って後ろに渡す。ただ、今日は二つ違ったことがあった。それは、後ろの席のジャスティス飯尾と少し手が触れたこと。そして、触れた手の周りの湿度が少し上がったこと。ただ、それだけの違いで今日は特別な日になると感じている自分がいた。
「はあ。」
小テストが終わると、後ろの席から深いため息が聞こえた。おそらくジャスティス飯尾のため息だろう。これみよがしなアピール、普通の人ならば声をかけるであろう。しかし、私はしない。なぜか。それは私が極度の人見知りであるからだ。今年の梅雨は例年より二週間早いとは言え、もうすぐ六月になろうとしているのに人見知りも無いと思うかもしれないが、仕方ない人見知りなのだから。人見知りな性格に対してなのか人見知りのせいにする性格に対してかは分からないが私も深いため息をする。私の場合は誰に向けたわけでもない、ただ幸せを逃がすため息だ。
「持木さん。」
急に名前を呼ばれ、背筋が伸びる。
私は、その声の発生源をホラーゲームのローディング画面のように恐る恐る振り返る。
「ため息どうしたの。」
失策であった。私の誰に向けたわけでもないため息は、かまってちゃんのマイメロのキーホルダーのように白々しくジャスティス飯尾に伝わってしまった。
「いや、今後の日本経済を憂いでいました。」
北島康介並に泳いだ目線で、とっさのユーモアで返す。目線が泳ぎすぎて酔ってくる。超気持ち悪い。朝に食べたお好み焼きをもんじゃ焼きに錬成してしまいそうだ。
「持木さん面白いね。」
動揺する私を知ってか知らずか、ジャスティス飯尾は笑みを一つも浮かべないまま返す。
「よく言われる。」
私も負けじとニヒルなジョークで返す。
ここでようやくジャスティス飯尾の口角が少し上がったかの様に見えた。
「持木さんってアスカ派?レイ派?」
何だこいつはいきなり。アスカ、レイ、この二つのキーワードから連想されるのは恐らく某エヴァであろう。ほぼ初会話の私にこんなことを聞いてくるなんてジャスティス飯尾は頭のネジが少し外れているのかも知れない。私は恐怖で震える声を抑えながら、
「レイ派」
と短く返事をした。
「ああ、やっぱり。持木さんってレイに似てるもんね。」
うんうんと、納得したような表情をするジャスティス飯尾。怖い。
「ジャスティス飯尾君はどっち派?」
聞かれたからには一応聞き返す。最近読んだコミュニケーション能力をあげるコラムに書いてあった。
「ジャスティスはもちろんレイ派かな。もちろん碇シンジの母である碇ユイのメタファーとしての綾波レイも好きだし。シンに出てくる綾波レイ。あ、通称黒波ですね。彼女も好きだし。やっぱり寡黙なところが惹かれるというか。同気相求ってやつですかね。自分に似ている人に惹かれるというかなんというか。あ、もちろんアスカも好きですよ。やっぱり元祖ツンデレキャラとしてのアスカは捨てがたい存在ですし。あ、喋りすぎですよね。すいません、なんかオタクみたいで。いやジャスティスはオタクではないんですけども。」
怖い。話が長いのはともかく一人称がジャスティスなところも怖い。私は愛想笑いで強引に話を終わらせようとする。
「でも、レイより持木さんの方が数倍素敵だよ。」
きゅん。めっちゃ嬉しい。私は、ジャスティス飯尾のことが好きになった。まさか、この感情が地獄の始まりになるとも知らずに。