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キミの秘密も愛してる  作者: シェリンカ
第二章 ぬり替えられた日常
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4 かすかな不安

 バイト先のファミレスへ行って、近々辞めることの承諾を貰ってから、私たちはそのまま警察署へと向かった。

 大学へも続いている大通り。

 通い慣れた道のはずなのに、どこかが、何かが違う。

 

 故郷から出て、すでに二年以上を過ごした場所なのに、海君と手を繋いで歩く街は、まるで知らない街のようだった。

 いつもは車の窓から見るともなくぼんやりと見ていた景色が、鮮やかな色彩を伴って、ゆっくりと私の目に飛びここんでくる。

 

「ふーん。こんなところにこんなお店があったんだ……」

「あっ、知らない道を発見! こっちのほうが近道じゃない?」


 目に映る全てが新鮮で、珍しくて、新しい街に引っ越して来たような気さえする。

 

 のんびりとあたりに視線を配りながら、「ああ、楽しい」なんて思わず口に出して言ってしまったから、海君に笑われた。


「真実さん。今からどこに行くのか、本当にわかってる?」

 

 おかしくてたまらないというようなその顔に、ようやく本来の目的を思い出して、バツが悪くなった。


(……はっ! そうだった! 今、私たち警察署に向かってるんだった!)


 私は首を縮める。

 

「別に自分が悪いことをしたわけじゃないのにね……どうして『警察』って聞いただけで、こんなにドキドキするんだろうね?」


 苦笑交じりで呟いた言葉に、海君はキョトンと目を見開いて私の顔を見た。

  

「え? 真実さんは悪いことしてるじゃない。いつも未成年者を連れまわしてるでしょ?」

「ええっ? これって……犯罪なの!?」


 ビックリして、思わず繋いだ手を海君の手ごと目の高さまで持ち上げる。

 そんな私を見て、海君はたまらずふき出した。


「ハハッ。そんなわけないじゃん。いくらなんでも、犯罪になるほどには若くないよ、俺。……それに今の見た目から言ったら、真実さんのほうがずっと若くて、かえって俺のほうが犯罪者みたいじゃない……?」


 肩を揺すって大笑いしながらも、海君は余裕たっぷりにそんなことを言う。

 

 私はムスッとむくれた。

 繋いだ手をふり解いて、彼はもうこの場所に置いていくことにする。

 

「待って、真実さん。俺も行くから」


 笑いながら声だけかけたって、待ってなんかやらない。

 

(もう! いっつもいっつも、海君は私をからかってばかり……!)


 簡単にひっかかってしまう自分が悪いのだが、悔しいものだから、前を見てズンズンと歩き続ける。

 頑なに彼に向け続ける無言の背中が、私の静かな抗議だった。

 

 でも、それがなんの意味もないことを、私はよくわかっている。

「俺は追いかけない」と海君が宣言している以上、私がいくら怒って先に行ってしまっても、それは海君にとってはなんの牽制にもならない。

 それどころか、ひょっとしたら私たちの別れの原因にも成りかねない。

 

 そんな危険を冒してまで、私が一人で先に行くことに意味はない。

 それは私だってわかっている。

 わかってはいるけれど――

 

(じゃあこの悔しさはどうすればいいわけ?)


 誰にともなく、心の中で尋ねずにはいられない。

 

 残念なことに、私は心優しい天使なんかじゃない。

 それどころか、ボーッとしているわりにはすぐにカッとなりがちだから、そんな自分をなんとか落ち着かせるのに、しょっちゅう苦労している。

 努力している。

 

 けれどやっぱりまだまだだ。

 上手く感情のコントロールができる大人になる日は、本当に来るんだろうか。

 

(でも……だけど……)


 そんな自分の短所と戦ってでも、大切にしたい想いを、私は今胸に抱えている。

 どんなものとでも秤にかけることはできない――それほど大切な、かけがえのない想い。

 

 だからやっぱり立ち止まる。

 彼のことをふり返る。

 

 そうすればきっと、またいつものように一緒に歩くことができるはずだ。

 

(本当はわかってる……待っていればゆっくりと追いついてきてくれることも。私の短気を責めもしないで、当たり前のようにまた手を繋いでくれることも。だから私はそんな海君の優しさに甘えて、こんなふうにわがままな行動だってできるんだ……)

 

 ふり返って見てみた海君は、本当にいつものようにさっきの場所に立ち尽くしていた。

 微動だにせず立っていた。

 だけど――。

 

「海君?」


 思わず大きな声で呼びかけずにはいられないくらい、彼の様子はおかしかった。

 まるでいつもどおりではなかった。

 

 ギュッと眉根を寄せて目を閉じ、空を仰ぐように上を向いている。

 もともと色白な顔はますます色を失って、透きとおりそうなほどに蒼白だった。

 

 私は我を忘れて、今歩いたぶんの距離を急いで駆け戻った。


「どうしたの、海君? 大丈夫?」

 

 すっかり慌てきった私の声に、「大丈夫」と答えるように、彼はかろうじて右手をほんの少しだけ持ち上げる。

 

「ねえ、どうかしたの?」


 胸が詰まるような思いで問いかけながら、私は海君の様子を何度も何度も確かめた。

 

 目を開けることも、口を聞くこともできないようで、ただ大きく肩で息をくり返している。

 こめかみを伝って大粒の汗が、次から次へと流れ落ちてくる。

 あまりにも血色の悪い唇。

 

 急にどうしたのか。

 彼にいったい何が起きたのか。

 まるでわからない。

 

「海君! ねえ、大丈夫?」


 叫ぶように名前を呼びながら、私が彼の両腕を掴んだ瞬間、彼がその腕を返すようにして、私を抱きしめた。

 背中までしっかりと包みこむようにまわされたその腕が、いつもと同じように力強い。

 

「……海君?」


 彼の胸の中に抱えこまれて、困惑したように顔を上げた私を、海君は眩暈がするほど近くから真っ直ぐに見下ろした。

 

 いたずらっぽく輝く、私の大好きな綺麗な瞳。

 その瞳がみるみる微笑みを帯びていく。

 

「なっなに? ……まさか……! 騙したわねっ!」


 こぶしをふり上げようとした私は、身動きさえできなかった。

 海君はクククッと喉の奥で笑いながら、右手で私の頭を自分の胸に押しつける。

 

「ひどいっ! もうっ!」


 力一杯その胸を押し返そうとするのに、びくとも動かない。

 海君は全然私を放してくれない。

 

「ゴメンね、真実さん……でも言ったでしょ? 俺を置いていったらダメだよ……」


 私の髪に頬をつけるようにして呟かれる海君の声は、彼の体を通して伝わってきて、いつもよりずっと近くに聞こえた。

 だからその言葉の意味も、いつもよりもっともっと大きな意味を持って、私の心に響く。

 

(そうだね……どちらかが手を放したら、そこでもう私たちの関係は終わりになるんだもんね……一緒にいたいって想いの他は、二人を結びつけるものは何もないんだもんね……)

 

 私の耳に直接、かなり速い速度で海君の鼓動が聞こえてくる。

 そのドキドキの原因が、私の今のこの胸の痛みと、同じならいいなと思った。

 二人で手を繋いで同じ道を、まだまだ歩き続けたいという思いからならいいと思った。

 

「うん……私こそ……ごめんなさい……」


 素直に謝ると、海君は安心したかのように大きく息を吐く。

 長い長い呼吸を、ゆっくりと何度もくり返す。

 

 けれどなかなか落ち着かない彼の心音。

 私はさっきの鬼気迫るような海君の表情を思い出して、小さく笑った。

 

「それにしても……凄い演技力だったよ海君。私すっかり騙されるところだった……」

「そうでしょ?」


 海君はすました声で返事する。

 

 私は少し緩んだ彼の腕の中から抜け出して、ゆっくりと顔を見上げ、「そうだよ、本当にビックリした」と笑おうとした。

 彼の上手な仮病を一緒に笑いあおうとした。

 それなのに――。

 

 私を見下ろしている海君を何気なく見上げたら、言葉が止まってしまった。


(海君?)


 喉が貼りついてしまったかのように、上手く言葉が出てこない。

 

 海君は私を見下ろして、せいいっぱいいつものように笑っているけれど、その顔色も表情も、さっきと変わらずとても調子が悪いように見えた。


(演技……だったんだよね?)

 

 不安にかられる私に、その無理のある笑顔が、パチリと片目をつむってみせる。


「真実さんは騙されやすいから、気をつけないとダメだね」


 余裕の声音で言われた言葉は、茶目っ気たっぷりで、実にいつもの彼らしかった。

 その瞬間、条件反射のように思わずムッと口を尖らしてしまう私の中では、胸に湧いた疑問など二の次になってしまう。


「それを海君が言う?」

「ハハハッ。それはそうだね……!」

 

 肩を揺すって大声で笑いだした海君は、いつの間にかもう普段どおりの彼だった。

 私の右手を大きな左手で掴むと、さっきまで歩いていた方向へ向かって、さっさと歩き出す。

 

「せっかく一緒にいるんだからさ。こうしてるほうがいいでしょ?」


 私の大好きな屈託のない笑顔でそんなふうに尋ねられたら、私にはもう、頷くしかない。

 

 なんて単純なんだろう。

 なんて簡単なんだろう。

 

(海君もきっと、そう思ってるんだろうな……)


 ため息まじりに考えながら、彼に手を引かれて、私は警察署までの道を歩いた。

 

 本当にさっきまでの不安や疑問をすっかり忘れてしまっていた。

 



 何が本当で、何が嘘か。

 何が優しさで、何が偽りか。

 

 気づくこともなく、考えることもないような人間だったら、いつだって悩まず、傷つかず生きていけるのに。

 

 でもそれが、引き替えに誰かを傷つけることになるのなら、

 大切なものを失うことになるのなら、

 私は絶対にそんな生き方は望まない。

 

 全てを知りたい。本物を見抜く目を手に入れたい。

 ――ただそれだけを願う。


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