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キミの秘密も愛してる  作者: シェリンカ
第二章 ぬり替えられた日常
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2 救いの手

 その日、マナーモードにしたままの携帯には、幸哉の留守録が何十件も入っていた。

 着信履歴も軽く五十を超えている。


(まずいな……怒らせたかもしれない……)


 重苦しい気持ちで、画面にズラッと並んだメッセージをスクロールしていた時、ちょうど着信があった。

 

「もしもし?」


 ひと呼吸置いてから、決心を固め、恐る恐る出てみると、前置きもなく、突然問いかけてきたのはやっぱり幸哉の怒った声だった。


「今日はどこにいたんだよ?」

「友達と一緒だった」


 私の返事は耳に入っているのか、いないのか。


「今すぐ俺のアパートに来い。来ないんだったら俺がそっちに行く」


 携帯の向こうの声は、怒りに満ちている。

 

 途端にガクガクと体が震えだす私の体と心に、嫌というほど染みついている恐怖感。


(どうしたら……いいんだろう?)


 携帯を持つ左手もどうしようもなく震えて、懸命に右手で押さえる。

 そうしながら心の中では必死に考える。


(私だって幸哉に話さないといけないことがある。避けては通れない。逃げてばかりもいられない……でも……)

 

 一歩を踏み出すと決めたからには、私にとって最初に越えなければならない壁が幸哉だ。

 けれど実際に会ってみて、私の話がどれだけ幸哉に聞いてもらえるかはわからない。


(力ずくではかなわない……結局いつものようにいうことをきかされる……そんなの嫌だ)

 

 私は意を決して、口を開いた。


「私は行かない。あなたも来ないで」

「はあ?」


 携帯の向こうで、幸哉がギリッと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。

 

「ごめんなさい……幸哉とは、もう終わったと思ってる。本当はずっとそう思ってた……もう会わない……」


 ずいぶん長い時間がかかって、ようやく口にすることができた私の本音に、幸哉は想像していたよりは冷静に返事をした。


「馬鹿なこと言ってんじゃないぞ。俺は絶対に認めない」

「でも、私はもうあなたのところには行かない……だから私のところにも来ないで……!」


 私のきっぱりとした拒絶に、静かにやり過ごそうとしていたらしい幸哉の怒りは爆発した。


「お前は俺のものだ! これからもずっと!」


 私は懸命に首を振る。

 幸哉に見えはしないとわかっていても、自分の意思表示のためにそうせずにはいられなかった。


「違う! 私は誰のものでもない!」

「真実!」

 

 まだ何かを叫ぼうとする幸哉に、私は短く言って通話を終えた。


「さよなら」


 すぐにまた鳴り始めるので、着信拒否にした。

 見ているだけで怖いので、クッションの下に押しこんで、新しく付け替えた玄関の鍵が閉まっていることを確認する。

 

 念のために窓の鍵も全部確かめて、ベッドの上で丸くなった。

 肌布団を被って、握りしめた自分の右手を胸にそっと抱きしめる。

 海君と今日繋いで歩いた手だった。


(海君、私に勇気をちょうだい)


 祈るようにそのこぶしを抱きしめた。


 


 思ったより早く、アパートの前に幸哉の車が停まった音がした。

 ガンガンガンとわざと大きな音を鳴らして階段を上がってくる足音と、ドンドンドンと玄関のドアを叩く音。


「真実! 真実! いるんだろ」


 もう夜になろうかという時間なのに、大声で私を呼ぶ声。

 私はたまらず両手で耳を塞いだ。

 

 ドンドンと鳴り止まない音に、左隣の部屋からは抗議の声が上がる。


「うるさいぞ!」

 

 それでも幸哉はドアを叩き続ける。

 

(どうして? こんな人じゃなかったのに……)


 胸が締めつけられるように痛んだ。

 

 まだ優しかった頃の幸哉の穏やかな顔は、今でも私の瞼の裏に残っている。

 大きな体のわりには気が小さいところがあって、私に初めて声をかけた時には、かなりの勇気をふり絞ったんだと、照れ臭そうに笑いながら教えてくれた。

 懐かしい表情。

 

(なんで……こうなっちゃったの……?)


 答えはわからない。

 けれど、全てが幸哉一人の責任だと簡単には言い切れない。


(私が悪いの? 私のせいなの?)


 後ろめたいような、懺悔するような気持ちで一度考え始めると、転がり落ちていく思考は、自分自身でも止められない。

 溢れ出した涙を止めることができないのと同じに――。

 

『お前のせいだ。お前が俺を裏切るようなことをするから、こうなるんだ!』


 くり返し呪いのように心に刻まれた言葉は、私の全てを真っ黒に塗りつぶしていく。

 

(海君、無理だよ)


 涙が零れた。

 

(やっぱり私は、海君と太陽の下を歩けるような女の子には、なれないよ)


 被っていた肌布団を跳ね除けて、私は起き上がった。

 流れる涙を手の甲でごしごしと拭きながら、玄関へと向かう。

 まだ幸哉が叩き続けているドアを、(やっぱり開けよう)と心に決め、手を伸ばしたその瞬間、ドアとは反対側の、窓のほうから、私を呼ぶ声がした。


「真実さん」

 

 とっても小さくて、ドアを叩く幸哉にはきっと聞こえない。

 けれど私には、決してまちがえようのない――その静かな声。

 

(まさか!)


 ドンドンと鳴り続けるドアに背を向けて、私は窓辺へと駆け寄った。

 鍵を開けようかどうしようかとためらう私に、窓に映る白い人影は、もう一度囁いた。


「真実さん。俺だよ」


 耳に心地良い、よくとおるその声。

 聞き違えようがない。

 

(海君!)


 そっと窓を開けて恐る恐る外を確認した私に、暗闇の中から二本の腕がすっとさし伸べられた。

 私の頭を引き寄せて、痛いくらいに抱きしめる。

 

 すっかり暗くなった窓の外に、一瞬、確かに海君の顔が見えた。


(来てくれたんだ……)


 嬉しくて、ホッとして、そのまま彼に体重を預けそうになって、ふと思い当たる。

 

 私の部屋はアパートの二階。

 この南側の窓には小さなベランダはあるが、階段はない。

 もちろん隣の部屋とだって繋がっていない。

 

「海君……どうやってここに登ったの?」


 呟く私に、彼は夜目にも鮮やかに笑ってみせる。


「ないしょ」


 それから私の耳元に顔を近づけて、声をひそめて囁いた。


「もうすぐ警察が来るから、表の人は引き取ってもらえるよ」


 私を安心させるかのように、にっこりと笑う。

 私もつられて小さく笑った。

 

 そんな私に、海君はキラリと瞳を輝かせて、今までとは少し違う笑い方をする。


「その前に、俺のほうがまるで不審者みたいだから、中に入れてもらってもいい?」


 思わず胸が、ドキリと鳴った。


(海君が私の部屋に来る?)


 なるべく平静を装って、「どうぞ」と返事したつもり。

 海君は「お邪魔します」と律儀に言ってペコリと頭を下げ、私と一緒に部屋へ入った。

 

 玄関ではまだ幸哉が、「真実! 真実!」と叫びながらドアを叩いているけれど、不思議ともう怖くはなかった。

 それよりも今は、窓から射しこむ月光を背に浴びて、昼間よりもなんだか大人っぽい海君が、気になって仕方がない。

 

(どうして来てくれたの? なんでわかったの?)


 聞きたいことはたくさんあるのに、何も口から出て来ない。


(海君と部屋の中に二人きり)


 そのことが、頭がクラクラするくらいに私を緊張させていた。

 

「すごいね。あの人」


 なるべく幸哉のいる玄関から遠くなるようにと、ベッドの上に二人で並んで座って、声を出さないでいいくらいに顔を近づけて話をしているのだから、私の心臓はもうパンク寸前だ。

 それなのに海君は、そんなことはなんでもないかのように平然としているんだから、ちょっぴり腹が立つ。

 

 その上、冗談を言って笑う余裕まである。


「俺、今出て行ったら殺されるかもね?」

「そうかもね……」


 答えに少し不満が滲んでしまった私の顔を、海君はしげしげと見つめた。


「どうしたの?」


(お願いだから、そんなに至近距離から見ないで……!)とはまさか言えなくて、慌てて俯く。

 

 遠くからパトカーのサイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。


「ほら、来たよ」


 私を安心させるかのように、海君は明るく言ってくれたけれど、私は少し複雑な気持ちで玄関のドアを見つめた。

 

「真実! 真実!」


 こぶしを打ちつけるようにしてドアを叩き続ける幸哉には、あのサイレンは聞こえないのだろうか。


(警察だよ、幸哉。もう止めて)


 思わず喉まで出かかった時に、 海君のひどく冴えた冷静な声が耳元で響いた。

 

「ダメだよ。真実さん……真実さんが今ここであいつを許したら、何も変わらないよ」


 私は唇を噛みしめてうつむいた。

 

(それはわかってる。私だってわかってるよ……)


 口に出しては言えなかった言葉の代わりに、海君が続ける。


「俺は忘れないから。真実さんがあいつにどんな目にあわされたか……絶対に忘れないし、許さないから」


 強い口調に驚いて顔を上げてみると、海君はこれまで見たこともないような厳しい顔をしていた。

 氷のように冷たい表情。

 

 それをそのまま私に向けて、心に切りこんでくるような言葉を紡ぐ。


「真実さん。俺が来なかったら、またあいつにドアを開けてたね。そう思ったから俺は来た。心配でずっと外で見てたけど……真実さんが一人で戦ってるのを、本当は黙って見守ってたかったけど……真実さんがまたあいつに流されるのは、俺だって絶対に嫌なんだ」


 ふいに伸ばされた両手が私の体を包み、有無を言わさず彼のほうへと引き寄せた。

 気がついた時には、私は海君に抱きしめられていた。

 

 痛いくらいの腕の強さが、苦しげな言葉の重みが、海君の真剣さを伝えてくる。

 だから零れる涙にかき消されてしまわないうちに、私は自分の素直な気持ちを言葉にした。


「ごめん……ごめんなさい。海君……」


 返事はせずに、海君は私の背中に廻した腕に、更に力をこめる。


「来てくれてありがとう……」


 感謝の言葉には、私の右の肩口に乗った頭が、少しだけ頷いてくれた。

 

(これ以上大切なものなんて……今の私にはない……!)


 そう思える存在がこうしてすぐ近くにいてくれることが本当に嬉しくて、私は柔らかな海君の髪にそっと頬を寄せた。

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