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キミの秘密も愛してる  作者: シェリンカ
第十一章 キミとの最後の約束
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1.謝罪

 月が変わり、大学では後期の授業が始まった。

 前期から引き続きの講義に、新しい講義が加わり、そのうえ一年半後の卒業に向けた、より専門的なゼミも始まる。

 自分で組む一週間の日程の中に、私は学年一の才媛である貴子も舌を巻くくらいの授業数を組みこんだ。

 

「ほんとに大丈夫なの?」


 愛梨にも花菜にも念を押されたけれど、時間的・体力的な面からいうと大丈夫だ。

 

 バイトは少し減らしてもらったし、今のところ、座って授業を聞いているだけなら辛いこともない。

 それに、今期でがんばっておかないと来年はどうなるかわからないという思いも強い。

 

 しかし学力的な面で大丈夫かと聞かれると、それはもう「努力します……」としか言いようがなかった。

 

 それももちろん、貴子の助力あっての話だ。

 

「私に頼るな」

 

 どんなに冷たい言葉を放っても、結局貴子は最後には私の面倒を見てくれる。

 それに甘えてばかりではいけないとわかっているが、こればっかりはしょうがない。

 

「よろしくお願いします」


 冗談まじりに頭を下げると、貴子はふうっと息を吐きながらも頷いてくれる。

 

「まあ……今やるしかないか……」

 

 本当に私の周りにいる人たちは、私に優しい。

 その優しさに対する感謝だけは、決して忘れてはならないと思う。

 

「ありがとう」

 

 並んで歩きながら、貴子に最大の感謝をこめて頭を下げた時、大学の門の向こう、海君がいつも私を待ってそっと佇んでいたあたりに、思いがけない人物の姿を見た。

 

 ハッキリした顔立ちの、意志の強そうな目をした綺麗な女の子。

 白いラインが襟に二本入ったセーラー服を着て、黒い真っ直ぐな腰まである長い髪を、風になびかせている。

 

(ひとみちゃん!)

 

 その瞬間、私の心は縮み上がって、みっともないくらいにドキドキと心臓が鳴り始めた。

 とても待っていたけれど、内心来てほしくないとも思っていたその時が、ついに来たと思った。

 

(大丈夫……大丈夫だよ……)


 懸命に自分自身に言い聞かせながら、大きく深呼吸をして、なんでもない顔を心がけながら彼女に声をかける。

 

「ひとみちゃん……だよね……?」


 本当は確認するまでもなく、胸に深く刻みこまれているその名前を形ばかり尋ねる。

 まちがいなく私のことを嫌っているであろう彼女は、ニコリともせずにただ頷いた。


(なんの用かな……? どうして彼女が来たの……?)

 

 口に出して尋ねることはできなかった。

 胸を過ぎる不安と必死に戦いながら、私はひとみちゃんが口を開いてくれるのを、じっと待つ。

 

「連れてくるように言われたから……」

 

 永遠とも思える沈黙のあと。

 彼女は少しかすれた声でそう告げた。

 まるで何か不吉なことを暗示しているかのように、真っ赤に充血した彼女の瞳から目が離せない。

 

「……海君が?」


 わかりきっていることを確認したら、少しムッとしたように頷き返された。

 

 私が彼のことを呼ぶ名前は、彼の本当の名前ではない。

 そんなことは百も承知で、出会ってからずっとそれで通してきたけれど、あからさまに嫌な顔をされると、自分がとても悪いことをしているように感じて困ってしまう。

 

 重苦しい雰囲気の中、これ以上途切れ途切れの会話を続けていることが苦しくて、私は急いで問いかけた。


「どこに行ったらいいの?」

 

 ひとみちゃんは、ますますムッとしたような顔で私を見てから、クルリと背を向けた。


「送るから一緒に来て……」

 

 貴子が私の肩から、テキスト類が入った大きなバッグを取る。


「行ってこい。真実……」

 

 優しく背中を押してくれたので、私は慌ててひとみちゃんのうしろ姿を追いかけた。

 貴子に何か言おうかと口を開きかけたけれど、言葉が出てこなかった。

 

(ひょっとしたらこれが、海君との本当のサヨナラになるかもしれない……)

 

 そう思うだけで、胸が締めつけられるように痛い。

 涙が浮かんできそうになる。

 

 そんな私を、背後から、貴子の真剣な声が追いかけてきた。


「真実! 泣くな、笑え!」

 

(そうだ!……笑顔!)


 他ならぬ海君が私に思い出させてくれた笑顔を、こんな時こそ彼に返さなければ。

 

(いつだって私は笑っていられる。あなたのおかげで……)


 その証明のように、今こそ笑わなければ。

 

 忘れそうになっていた大切なことを思い出させてくれた貴子を、私はふり返った。

 

「いってきます」


 せいいっぱいの笑顔で笑った私に、負けないくらいの笑顔で貴子が手を振った。

 だから私は、最大の勇気を発揮することができた。




 

「乗って」


 短い言葉で指示された車の後部座席に乗りこんで、私はひとみちゃんと並んで座った。

 

 話す言葉なんかまるで思いつかない。

 私を拒絶するように、背中を向け気味に座った彼女の肩が、小刻みに震えているから――どうしようもなく胸が苦しくなる。

 

 笑顔で海君に会おうと――たった今貴子のおかげでそう決意した心が、不安でいっぱいになってしまう。

 

(どこに行くの? ……海君の体調はいったいどうなんだろう……?)


 訊きたいことはたくさんあるのに、彼女の様子があまりに痛々しくて、つられるように私の心も不安になって、尋ねることもできない。

 

 押し黙ったまま俯いていると、うしろ姿のまま、ひとみちゃんがポツリと呟いた。


「あなたと会ってから彼は変わった……」

 

 ドキリと跳ねた胸を懸命に落ち着かせながら顔を上げる。

 ひとみちゃんは私に向き直ろうとはしなかったが、ポツリポツリと続けて言葉を紡ぎ始めた。

 

「どこかに出歩くことなんて全然興味なかったはずなのに、いろんな場所に出かけるようになった……たくさん笑うようになった……ずっと描いてなかった絵をまた描くようになった……」

 

 彼というのは、もちろん海君のことだ。

 私が決して知ることができなかった、彼が本来いる場所での彼の話を、私は初めて耳にする。

 

「みんな感謝してるって言ってる……もうだめだってお医者さまにも言われた状態から、あんなに幸せそうな彼を見れたのは、きっとあなたのおかげだって……」

 

 胸が詰まる。

 そんなふうに言ってもらえるどれだけのことを、私が海君のためにできたというのだろう。

 

 実際はいつも助けてもらってばかりで、嬉しい気持ち、幸せな気持ちを与えてもらってばかりで、私が彼にしてあげられたことなんて何もない。

 ――本当に何もない。

 

 静かに首を横に振る私の様子は、うしろ向きのひとみちゃんには見えていないはずなのに、私の心の一番深いところが見えているかのように、彼女は呟く。

 

「だけど私は許さない……! あなたのせいなんだから……どうしたって、あんな無茶をしたのはあなたのせいだから……!」


 心に突き刺さるように響いたその言葉は、誰よりも私自身がそう感じていたことだった。

 

(私のせいで無理をさせた! 私がいなければ、海君はあんな無茶をすることはなかった!)

 

 この一ヶ月の間。

 寝ても覚めてもその思いは私の頭から消えなかった。

 

 どうしたらいいんだろう。

 これでもし、海君にもしものことがあったりしたら、私はいったいどうすればいいのだろう。

 

 海君の周りの人たちに対して。

 彼自身に対して。

 そして何よりも彼が大切だと感じていた自分自身に対して。

 

 ――いったいどうしたらいいんだろうといつも考えていた。

 

 許してなどほしくない。

 感謝なんてしてほしくない。

 

 私の罪をちゃんと糾弾してほしい。

 逃げも隠れもできないように、私の罪をキチンと責めてほしい。

 

 ――私の心の奥底にあった望みに、私を一番嫌っているであろうひとみちゃんが応えてくれた。

 

「ごめんなさい……」


 本当は誰かにずっと伝えたかった言葉が、涙と一緒に零れ落ちた。

 

「許さない」


 私と同じように、涙声で答えてくれる彼女の否定の言葉が嬉しかった。

 

「ごめんなさい……」


 何度謝っても、どうか私を許さないでほしかった。

 

 自分で自分に課すことのできない罰を、この上なくひどい言葉で与えてほしかった。

 これから一生忘れないように、私の心に刻みつけてほしい。

 

 そんな自分勝手な願いを、決してふり向くことのない彼女の頑なな背中に、私はかけていた。

 ――これ以上なくわがままに。




 

 車が着いた場所は、どこかで予想していたとおり海だった。

 私と海君が初めて一緒に行ったあの海だった。

 

 車から降りて、睨むように私の顔を見つめるひとみちゃんの視線に促されて、私も砂浜へと視線を移す。

 こちらに背を向けて、波打ち際に座るその人の姿を見つけた。

 

 眩しい太陽の光を反射して、淡い色に輝く少しクセがかった髪。

 伸ばしたまま投げだされた長い足。

 

 袖を捲り上げたTシャツの上にはおった長袖のシャツは、肩の上に乗っているだけで、袖は通されていない。

 だから彼の白い腕が、体重を支えて体の少し後方につかれている様子がよくわかる。

 

 放り投げられたように、近くに転がった赤いキャップ。

 風に洗われる髪が、躍るように揺れている。

 

 バタンという車のドアが閉まる音に、ゆっくりとふり向いて、笑ってくれたことが遠目にもわかった。

 

「真実さん!」


 あの、私が何度も何度も恋せずにいられない、最初の夜の笑顔が、私の名前を呼んだ。

 

 嗚咽をこらえたような声を出して、私の横で俯いたひとみちゃんに深く頭を下げてから、私は駆けだした。

 

 私に向かって両手を広げてくれているような、一番大好きな笑顔に向かって、全速力で駆けた。

 

 ――いつだって『待った』なんてかけられなかった心、そのままに。

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