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キミの秘密も愛してる  作者: シェリンカ
第一章 暗闇の中の出会い
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4 希望の灯火

 それから毎日、海君は朝になると私のアパートの前に現れた。

 長い足を持て余すように、ガードレールに腰掛けて待っていて、部屋から出てきた私を見つけると、それはそれは嬉しそうに笑う。


「送るよ」

 

 初めて会ったあの夜のように、隣にピッタリ寄り添って歩いて、バイト先のファミレスまで送ってくれた。

 バイトが終わる頃、また夕方、店の前で待っていて、今度は私のアパートまでの道のりを一緒に帰ってくれる。

 歩きながらたわいもないおしゃべりをして、冗談を言って笑いあって、それで家の前まで来たら、

「じゃあ、また明日」と帰って行く。

 毎日がそのくり返し。

 

 帰り際の小さな約束がある限り、彼はきっと明日も来てくれるのだろう。

 当たり前のようにくり返される、ひどく当たり前ではない行動。

 

(どうして来てくれるの? 何のために? 何を考えているの?)


 わからないことだらけで、私は何から尋ねていいのか迷う。

 それに、たとえ尋ねたとしても、答えが返ってこないだろうと思っている。

 

「学校は? 行かなくていいの?」


 あいかわらず自分に関する質問には、海君は曖昧な笑いを浮かべるだけで、答えようとはしない。

 今更、「本当の名前は?」とも聞けなくて、私は彼の事を『海君』と呼び続けている。

 

 でも、それで良かった。

 ただ一緒に歩くだけで楽しかった。

 いろんな話をするだけでワクワクした。

 たったこれだけのことで毎日が楽しくて、夢みたいで、だからそのぶん、私は本当は怖くてたまらなかった。

(こんな毎日がずっと続くわけない。私はそんなことを望めるような人間じゃない)

 誰よりも自分自身が、そのことをよくわかっていた。

 



「真実。いるんだろ? 入るぞ」


 まだ夜明け前。

 大きな怒鳴り声と、ガチャガチャと騒がしい物音で、私は深い眠りから無理やりに叩き起こされた。

 体はすぐには動いてくれなかったけれど、頭は一瞬で冴えた。


(幸哉だ!)

 

 合鍵を使って幸哉が、私の部屋に勝手に入ってきたところだった。

 急いでパジャマの胸をかきあわせて、ベッドの上に座り直す。

 重苦しい空気をまとって私に歩み寄って来る幸哉が、とても怒っている様子が、暗闇に近い中でもわかるような気がした。


「お前最近、高校生ぐらいの若い男と一緒にいるんだってな」


(やっぱり……!)


 全身から血の気が引く思いがする。

 

(絶対に、海君を傷つけるようなことになったらいけない! 私が守らないといけない!)


 今まで抱いたこともないような強い決意が、私に力をくれた。


「あの子は……そんなんじゃない!」


 自分でも信じられないくらい強くて冷静な声が出た。

 私の静かな迫力に、幸哉も強く言わないほうがいいと感じたらしくて、らしくもなく口ごもる。


「それなら別にいいんだけどさ……」

 

(まずは上手くいった……!)


 ホッと胸を撫で下ろすような気持ちになりながらも、内心、私は落ちこんでいた。

 今まで私を四六時中見張っていた幸哉にしては、実際、乗りこんできたのは遅いくらいだったかもしれない。

 どこから聞きつけたのか。

 それとも本当は自分自身の目で見たのか。

 どちらにしても、こうなった以上は今までのようにはいかない。

 

(もう、海君には会わないほうがいい……)


 それは思っていたよりも、胸に痛い決意だった。

 でも仕方がない。

 海君を巻きこむわけにはいかない。

 

 胸の痛みをこらえながら、視線に力をこめ、じっと見つめ続ける私から、幸哉は逃げるように視線を床に落として呟いた。


「じゃあ、金貸してくれよ」

 

 話の矛先が変わったことに少しホッとして、私は立ち上がり、幸哉に背を向け、財布の入ったバッグに手を伸ばす。

 その途端、後ろから羽交い絞めにするように抱きすくめられた。

 

「真実、俺を裏切るなよ」


 暗い情念のこもった小さな呻き声に、私は返事をしない。

 その代わりに懸命に手を伸ばして、財布の中からお金を抜き取った。


「はい。今はこれだけしかないわ」


 幸哉の顔の前へと、後ろ手にお金を突きつけて、ようやく腕から開放された。

 前に怪我した左腕がズキズキと痛む。

 

「サンキュ」


 幸哉はさっさと踵を返して、来た時と同じようにわざと大きな音で扉を閉め、カンカンカンと階段の音を響かせて帰っていく。

 

(必要なのは私? それともお金?)


 聞くのも虚しい質問を心の中で何度もくり返しながら、私は幸哉に触れられた体を自分の腕で抱きしめて床に座りこんだ。

 古傷がまた開いたのか、左腕から血が流れ落ちてきて、床に染みを作る。

 

(嫌だ)


 今までは、そんなに強く感じたことのなかった嫌悪感が、心の底から湧いてきた。


(あんな奴に触られた私は嫌だ!)


 どうしてそう感じるようになったのか。

 その答えは考えなくてもわかっている。

 

(こんな私じゃ、海君に会えないよ……!)


 彼はたぶん待っている。

 いつもと同じように、朝になったら私を待って、あのいつものガードレールに腰かけている。

 

(海君。海君。海君!)


 手の跡がつくほどに自分の両肩を握りしめて、私は胸が痛んで仕方がなかった。




 

 朝食を食べる時間を犠牲にしてシャワーを浴びた。

 服を脱ぐと、古い傷痕だらけの体があらわになって、自分でもいたたまれなくなる。

 幸哉に抱きしめられた感触を洗い流すかのように、私は力を入れて体をこすった。

 



「真実さん……今日は朝からなんだかいい匂いだね……」

 

 思ったとおり。

 いつもの時間にいつもの場所で私を待っていた海君は、開口一番そう言った。

 なるべく動揺を悟られないように、「うん、朝からシャワーを浴びたから」と答えた私から気まずそうに目を逸らして、彼は首まで真っ赤になる。

 

(いつもは余裕たっぷりなのに、こんな顔もするんだね……)


 思わず笑顔になれた自分に心の中でホッとしながら、それでも今朝何があったのか、やっぱり彼には知られたくないと思った。

 

 私が息を吐くことができる、唯一の大切な時間。

 できれば失いたくなかった。

 だけどこのままではいられない。

 だからせいいっぱい、いつもどおり元気なフリをして、海君の背中を叩いた。


「何を想像してんの、エッチ」

 

(傷つけることは絶対にできない。だからサヨナラするしかないんだ)


 私の心はとうに決まっている。

 考えるまでもなく決まっている。

 

 真っ赤になって俯いていた海君が、その時、私の手を掴んで顔を上げた。

 

「どうしたの?」


 あまりにも真剣な眼差しに、ドキドキする。

 手首を掴んでいる大きな手にドキドキする。

 その動揺を悟られないように、せいいっぱい普通に笑ったつもりだったのに、海君は、うめくように低い声で、呟いた。


「真実さん、何かあった?」

 

 私の心臓はドキリと飛び跳ねたけれど、普通に答えた。


「どうして? 何もないよ」


 答えたつもりだった。

 

 でも、できなかった。

 海君の真剣な瞳に見つめられると、嘘を吐くことが、とてつもない罪のように思える。

 そんな罪を犯したら、もう二度とこの人とは会えなくなるんじゃないかと思える。

 そのほうがいいに決まってるのに。

 彼のためにはきっと、もう会わないほうがいいのに、自分の心を抑えられない。


(そんなの嫌だよ)

 

 ポタポタポタ

 と大粒の涙が私の頬を伝って落ちた。

 

 海君は、苦しそうに綺麗な瞳を細めて、「ゴメン」と言った。

 

 返事をしたいのに口を開くことができない。

 もし今、口を開いたら、彼に甘えてしまいそうだった。

 縋りついてしまいそうだった。

 

 何も言わず首を横に振った私に、海君はもう一度、「ゴメン」とくり返した。

 そして乱暴に私を引き寄せて、息もできないくらいに抱きしめた。


「海君」


 涙声の私に、海君は何度もくり返す。


「ゴメン」

 

 自然と胸に顔を埋める形になって、そこからそっと見上げると、眩暈がするくらいに近い距離から、彼の真剣な顔が私を見下ろしていた。


「ゴメン、真実さん。許して」


 海君が謝っているのが今の状況のことだったら、それは私が心のどこかで望んでいたことだ。

 海君が謝る必要はない。

 そうじゃなくて、私が朝からシャワーを浴びた理由を察してしまったことだったら、それは私の、自分でもどうしようもない現実だ。

 やっぱり海君が謝ることじゃない。

 

(気にしなくてもいいんだよ)


 の思いをこめて、私はそっと彼の背中に腕をまわした。

 温かい体を抱きしめ返す。

 この上なく幸せな気持ちだった。



 

 彼がいったい何者なのか。

 私にはわからない。

 それと同じように、今何を考えているのかも、本当のところはわからない。

 わからないから自分で考えるしかないけれど、こんな時はいくら考えてみても、自分に都合のいい解釈しかできない。

 期待を持つだけ持って、裏切られることは辛い。

 辛い目には散々あってきたと思っても、海君に裏切られるのは、きっと耐えようのない辛さだ。

 

(だから私は考えない。海君が私をどう思っているのかなんて……知りたくない)


 彼を抱きしめる腕の強さに反して、私の心は首を横に振り続けていた。




「海君」


 胸に顔を埋めたまま、そっと名前を呼んだ。

 海君は私の頭に頬を寄せたまま、「嫌だ」と言った。

 

 何のことを言っているのかと不思議に思って、頭を上げようとする私を、海君は決して放すまいと、抱きしめる腕に力を入れる。


「海君?」

「だから嫌だ」


 また間髪入れずに返されて、少しムッとする。

 

「何が嫌なの?」


 海君はますます強く、私の頭に自分の頬を押しつけた。


「真実さんが言おうとしていることの答え。俺は嫌だから」

「海君……」


 また涙が零れそうになった。

 

 このままじゃいけないとわかっている。

 幸哉ときちんと話もできない私じゃ、海君のそばにいたって迷惑になるだけだ。

 私と一緒にいても、海君には何もいいことはない。

 それどころか、幸哉が何をするかわからない。

 だから――

 

(もう会わない)


 そう決心して、今日は出てきた。

 

 その決心がわかったとでもいうのだろうか。

 そしてそれを、「自分は嫌だ」と言ってくれているのだろうか。

 

「でも……」


 不安をぬぐいきれず、口ごもる私に、海君がくれた言葉は、どんな谷底に突き落とされても、たった一つそれさえ残っていればいいと思える、希望の灯火のようだった。


「俺は、俺のやりたいようにする。明日も明後日もその次も、真実さんに会いに来る」

 

 初夏の爽やかな朝の風の中、私の心の中に、その小さな灯火が確かに点った。

 儚げで頼りない光ながらも、懸命に新しい世界を照らしだそうとしていた。

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