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キミの秘密も愛してる  作者: シェリンカ
第十章 思いがけない通告
39/43

2.決意

「やっぱりそうかい……」


 愛梨たちと別れて部屋に帰ってきた母は、私が出した結論を聞くと、がっくりと肩を落としてそう呟いた。

 

(ごめんなさい……)


 心の中では手をあわせて、それでも私は決してその言葉を口には出さなかった。

 口に出すと、自分で自分が選んだ答えを否定してしまうことになるような気がしたから。

 

 私が自分で出した答えを周りの人たちにも認めてもらうため。

 そしてこれから先、自分と小さな命を、自分自身で守っていくために、私は堅い決意を表わすように、キッパリと言い切った。

 

「うん。私は産むから……そしてちゃんと一人で育てるから」


 確かに口に出して、母に宣言した。

 あとで取り消しなど効かないように。

 弱音を吐いたりしないように。

 

「一人でって……父親は岩瀬君じゃ……?」


 言いかけた母に、私は首を横に振る。

 

「ううん、違う。でも誰なのかは教えられない……ごめん。……それに、その人とこれから一緒に生きていくことも、絶対無理なの……だから一人。私一人……!」


 秘密だらけのこの恋を否定されてしまわないように、一気に言い切った。

 母はそんな私を苦笑交じりに見つめて、大きな大きなため息を吐く。


「はああ。なんで真実はこんなに強いんだろうねえ……」

「強い? 私が?」


 あまりにも意外な言葉に、私は首を捻る。

 

「強いよ。いつもは優柔不断に誰かのあとをついてばかりだけど……ここぞという時には、もの凄く頑固で意志が強い。自分で決断した時には誰より強い!」


 半ば呆れ気味に母が語ってくれた言葉は、思ってもいないものだった。

 母は私の顔を見ながら、困りきったように笑う。


「そうじゃなきゃ、あんな坂道……途中で投げ出さないで、上りきることなんかできないだろ……? それも毎回毎回……!」

 

 あまりにもわかりやすいその例に、私も思わず笑みが零れた。


「そうか……そうかもね……」

 

 母は、最初から諦めていたかのようにくり返す。


「強情なんだよ、真実は……頑ななくらいに強い!」

 

 その言葉は、母が私の気持ちをわかってくれたということだし、賛成とまではいかなくても認めてくれたということだった。

 

 いや、ひょっとしたら認めざるえなかったということかもしれない。

 その証拠のように、わざと私の顔を見ないで、窓の外の風景に目を向けて母は尋ねる。


「真実……もし反対されたら、いなくなるつもりだろ?」

 

 それは私が考えてもみなかったことだったけれど、改めて自分の心に問いかけてみたら、答えは確かに母の推測どおりだった。

 

「そうだね……たぶんそうする……」

 

 母はあからさまに、はあっと大きなため息を吐いた。


「そんなことにでもなったら……お父さん、倒れちゃうよ! いや。その前に隆志が怒り狂うか? きっと『母さんが認めなかったせいだ!』とかなんとか言って、私のせいにするんだよ……まったく、うちの男連中と来たら……揃いも揃って真実に甘い……!」

 

 母が語った予想は、本当に目に浮かぶように想像できることだったので、思わず私も笑った。


「本当に……!」

 

 母は窓に目を向けたまま、呟いた。


「だけど、今度こそ忘れないでほしい……私はいつだって真実の味方なんだから……どんな時だって、あんたのためにさし伸べる腕は、ここにあるんだから……!」

 

 熱くなる目頭をごまかすように俯いて、私は「うん」と応えた。

 母はそんな私にもう一度向き直って、俯いた頭をそっと撫でてくれた。

 

「あんたもよーく覚えておきな……それが『お母さん』ってものだよ……」

 

 これから新米の『お母さん』になろうとしている私に、母がくれたアドバイスは、どんな励ましの言葉よりも嬉しかった。



 


 数日間、私の身の回りで細々と世話をしてくれた母は、「そろそろ私がいないと、家の中がめちゃくちゃになるからね!」という理由で、早々に実家に帰っていった。

 

「見送りに行くよ」という私の言葉は、「あんたは今は体を大事にしてなさい!」というセリフで却下される。

 

 結局、なぜか愛梨と貴子と花菜に盛大に見送りされて、母は帰っていった。

 

 母がいた数日間、私と話をしようにもなかなかチャンスがなかった三人は、母が帰った途端、グルリと私を取り囲んだ。

 

 建て前上は「真実を看病しないといけないから」という理由。

 でも実際には、私に問い質したくてたまらないことが、たまりにたまっていたのだろう。

 

「本当に! 本っ当に! 聞きたいことが山積みなんだからね!」


 愛梨の叫びは、実にもっともだった。


 


 

 あの日、幸哉がおそらく私を殺すつもりだったこと。

 それを海君が助けてくれたこと。

 話の流れから、海君の病気のことと、私たちがサヨナラした理由まで全てを、私は三人にうち明けた。

 三人は、それぞれ真剣に話を聞いてくれたけれど、その反応は実にさまざまだった。

 

「少年のことは、そういう話なら納得がいった……命をかけて真実を守ったんだから上等だ! だけどいつまでもしつこい岩瀬のことは、警察がどうにかできないんだったら、私がどうにかしようか……?」


 貴子は最大級の怒りを見せて、猛烈に幸哉を非難した。

 

「そうか……真実ちゃん辛かったね……海君とは本当にもう一緒にいれないの? どうしても駄目……? そんなの悲しすぎるよ……」


 花菜はまるで自分のことのように、私たちの恋の結末に泣き出してしまった。

 

「真実……これからどうするの? 岩瀬はさすがにもう手出ししたりはできないと思うけど……ずっと海君のことを思って、一人で生きていくの? ……それが心配だよ」


 眉根を寄せる愛梨に、今がチャンスだとばかり私は笑いかけた。

 

「うん。実は一人じゃないんだ……」


 そっとお腹に両手を当てた私に、三人は揃いも揃ってあんぐりと口を開ける。

 

「ま、真実……? まさか……!」

「うん」

 

 頷いた私に、三人が一斉に口を開いた。


「「「真実ちゃんがそう決めたんだったら、私は絶対に協力する!」」」

 

 言葉は少しずつ違うながらも、異口同音に叫ばれて、思わず涙が浮かんだ。

 嬉しかった。

 非難されても、軽蔑されてもおかしくないことなのに、愛梨も花菜も貴子までもが、私が出した結論に温かく賛同してくれたことが嬉しかった。

 

「だって……前からずっと言ってるでしょ?」


 まだ涙の浮かんだままの大きな瞳で、花菜がそれはそれは魅力的に笑う。

 

「私達はみんな、どんなに真実ちゃんが海君のことを好きか、ちゃんとわかってるって……」

 

 何度も何度も言って貰ったその言葉は、やっぱり私にとってはこの上ない賛辞だった。

 強く生きたいと願う私の、何よりもの元気の素だった。

 

「うん。私は海君が大好き!」


 声高らかに宣言して、「のろけてるんじゃないよ!」なんて貴子に叱られるのが嬉しくてたまらなかった。

 いつまでもいつまでもずっと、そんな自分でいたかった。

 

 

 


 気持ちはかなり前向きだが、なかなか体調の悪さは直らなかった。

 それは受話器の向こうの母の言葉を借りれば、「つわりなんだから、当たり前!」なのだが、長くバイトを休むことになってしまって、私は正直焦っていた。

 

 生活のためと、社会勉強のため。

 他にすることもなかったからと、これまでバイトに励んでいた理由はたくさんあるが、実は一番大きなものは、一人でいるとろくでもないことばかり考えてしまうから、という理由だった。

 

 長く私の心を捉えていた「もう一度海君に会いたい」という思いは、彼が思いがけなく姿を現わしてくれたことで解消された。

 

 けれど、それと入れ替わるようにして芽生えた、「海君どうしただろう? 大丈夫だったんだろうか?」という不安な思いが、私の心からなかなか消えてくれない。

 

 一人ですることもなく、布団に横になっていると、しなくてもいい想像ばかりが頭の中で大きくなっていく。

 海君に再会できた喜びと、その容態を心配する気持ちと、同時に抱いてしまった複雑な想い。

 

(やっぱり傍には……ひとみちゃんがいるのかな……?)


 いくら忘れようとしても、そう思わずにはいられないからやるせなくなる。

 

 私に向けられた彼女のキツイ視線と、海君を見つめていた切ないくらいの目。

 その意味が、私にはわかり過ぎるくらいにわかってしまうから、どうしようもなく苦しくなる。

 

(私には何もできない……だけど彼女は海君の一番近くにいて、彼を助けてあげられる……)

 

 それじゃあ私は、海君にとっていったい何なんだろうと、何もかもに背を向けてしまいたくなる。

 投げ出してしまいたくなる。

 だけど――。

 

「真実さんと約束したから」という思いで海君ががんばっているんだとしたら、私は胸を張って待っていなければ。

 

「真実さんにまた会いに行くから」


 その言葉を一分の隙もなく信じて、待っていなければ。

 

 たとえその約束の時が、今度こそ二人の永遠の別れになったとしても。

 それでもう本当に、海君に会えなくなるとしても――。

 

 苦しいくらいの決意を胸に、私は待った。

 彼を信じて待ち続けた。




 

 よくテレビドラマなんかだと、妊娠するとご飯の匂いがするだけで気持ち悪くなったりする。

 洗面所に走っていって、突然戻して、それで妊娠発覚なんてシーンもよく目にする。

 

 正直言って、私もそういうのを想像していたけれど、現実はまったく違っていた。

 私は別に、ご飯の匂いだけで気持ちが悪くなったりはしない。

 

 そう母に話したら、「そうかい? 私は辛かったけど……?」と言われたので、個人差があるのかもしれない。

 

 とりあえず私には「この匂いが駄目」という決定的なものはなかった。

 我慢できずに戻してしまうということもほとんどない。

 

 気持ちが悪いという感覚だったら、それはもう、朝、目が覚めた時から、夜眠りにつくまでひっきりなしに気持ち悪いのだけれど、だからといって、特に戻すということはなかった。

 

 気持ち悪さのあまり、ほとんど食事ができていなかったのだから、戻すようなものも胃の中にはないのだけれど――。

 

 母にそう言ったら、「お腹の子供のためにも、無理してでも食べなさい!」と叱られた。

 

 けれど、病院の先生によると、「まだ本当に小さくって、栄養状態なんてそんなに関係ないから、無理して食べることはない」ということらしい。

 

 それよりも最近は、「食べ過ぎて太りすぎないことが一番大切」らしいのだ。

 

 母にその話をしたら、「時代は変わったものだわ……」としみじみと感心された。

 

 その反応に電話のあちら側とこちら側で、同時に大笑いする。

 

 思っていた以上に、自分が今置かれている状況を楽しめている自分が意外だった。

 

 母から私の妊娠を聞かされた父は、「そうか。真実が自分で決めたようにすればいい」と母が想像していたより冷静だったらしい。

 

 あまりにも落ち着いた様子だったから、「真実……あんたお父さんにだけ先に話をしてたんじゃないの?」と、私が母に疑われたほどだった。

 

 他ならぬ私自身がつい最近知ったばかりなのに、そんなことはありえないのだけれど、家に帰った時に二人でお墓参りをして、その時かわした会話の中から、父なりに何か感じてくれたものがあったのかもしれない。

 

 それに対して兄のほうは、「相手の男を連れてこい! 俺がぶん殴ってやる!」とそれはそれは凄い剣幕だったらしい。

 

「真実……今度帰ってきた時は、隆志にこってりと絞られるわよ。覚悟してなさい」


 ため息混じりの母の助言に、私はまた笑みが零れた。

 

 横になってじっとしているよりも体を動かしているほうが気分がいい、ということを発見してからは、私はバイトにも行くようになった。

 以前のように重い物を持ったり、長時間立ちっぱなしというのは、事情を話して免除してもらったけれど、それ以外のことは、驚くほど今までどおりにこなすことができた。

 

「本当に大丈夫なのか?」


 バイト先まで一緒に歩いて送ってくれる貴子は、心配して尋ねる。

 

「うん……だって、土手を転げ落ちても大丈夫だったんだよ? 私に似てたいした生命力だよね……」


 笑いながら答えると、「確かに」と一緒に笑ってくれた。

 

 気持ち的にも、見た目的にも、今はまだ何の変化もない。

 下手すると自分自身でも、うっかりそのことを忘れてしまいそうになる。

 

 けれど海君に貰った小さな命は、私の中で確実に少しずつ、少しずつ大きく育っていた。

 

 それを海君に知らせて、それでどうこうなんてことは考えてもいなかったけれど、できるなら教えてあげることだけはできたらいいなと思っていた。

 

(だって……きっと喜んでくれるんじゃないかな?)


 私には確信がある。

 

(とってもびっくりするだろうけどね……)


 いつもいつも私を驚かせてばかりだった彼の驚いた顔が目に浮かんだ。

 

 それだけで、私自身が自然と笑顔になれる。

 

 けれどあれっきり、まだ海君は私の前に現われない。

 日づけだけが飛ぶように過ぎていく毎日の中、不安な心がじわじわと私の中で広がりつつある。

 

(ひょっとして……? もしかしたら……?)


 最悪の想像が、頭をかすめずにはいられない。

 

 それを打ち消すかのように、首を何度も横に振りながら、私は自分を叱咤して、何度も何度も心に言い聞かせた。


(私が信じて待っていなくてどうするの!)

 

 迷ったらいけない。

 彼の強さを疑ったらいけない。

 ほんの小さな疑惑でも、それはきっとどんどん大きくなって私の心を覆い尽くしてしまうから。

 その恐ろしさ、怖さを私は嫌と言うほど、知っているから。

 

 希望だけを集めて、楽しいことだけを想像して。

 そうじゃないと、私の中の小さな命にだって、私のお腹の中がいい環境だとは、とても言えない。

 

 いつの間にかすっかり澄んで、高くなった空が頭上には広がっていた。

 もうじき、大学の後期の授業も始まる。

 

(今年のうちにがんばれるだけがんばって、単位を取っておかないと……!)

 

 来年の今頃は、きっとそれどころではないだろう。

 どんなふうに生活しているのか。

 今はまだ想像もつかないけれど――。

 

(一人じゃない)


 そう思えることはなんて楽しくて、くすぐったいくらいに嬉しいことなんだろう。

 

 本当は一人より二人。

 二人より三人がいいに決まっているのだけれど。

 

(傍にいてくれなくてもいい……! この同じ世界に生きていてさえくれればいい……!)

 

 海君のことはもうそんなふうにしか想えない。

 いつだってそれが、私にとって一番最小限な、だけど一番大切な願いだから。

 

 

 いろんな驚きと喜びで彩られ、静かな願いを祈るようにくり返す――そんな私の誕生月は、もうすぐ終わろうとしていた。

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