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キミの秘密も愛してる  作者: シェリンカ
第十章 思いがけない通告
38/43

1.新しい命

 どうしようもなく気分が悪かった。

 横になってジッとしているだけなのに、世界がグルグル廻っているように感じる。

 

 私の周りには人の気配があって、何かを話しているようなのに、それが誰なのか、なんの話をしているのかもわからない。

 

(ここはどこだろう……私、どうしたんだっけ……?)

 

 考えようとすることさえなんだかだるくて、今はできそうにない。

 

 どこからか吹いてくる心地いい風だけを頬に感じて、そのままもう一度眠りに落ちていこうかと思った。

 その時――。

 

「真実……目が覚めたのかい?」

 

 思いがけない声が聞こえた。

 それで一気に、意識が現実へと引き戻された。

 

 母の声だった。

 そう思って重たい瞼をなんとか持ち上げてみると、確かに母の顔が私を見下ろしていた。

 

 見覚えのない天井。

 シンプルな機能重視のカーテンに、むき出しのままの飾りっけのない蛍光灯。

 

(病院……かな……?)

 

 頭をめぐらした時、ちょうど母の横に白衣を来た医者らしい人が顔を出して、私の予想が当たりだったことがわかる。

 

 その医者らしい人に、優しい声音で、「この人が誰だかわかりますか?」と母のことを指されるから、私はゆっくりと頷いた。


「はい、母です……」


 喉のところに違和感があるのは以前と同じだったけれど、あの時よりは楽に声を出すことができた。

 

 首に巻かれた包帯にそっと手を触れながら体を起こそうとすると、左の足首に鋭い痛みが走る。


「痛っ!」

 

 うめいた私に、白衣を着た先生は小さく笑った。


「擦り傷、打ち身はいたるところにあるとはいえ、とりあえず怪我と言えるのはその足首の捻挫くらいかな……? 車に当たったわけじゃなかったんだね……」

 

 頭の中に、幸哉の車が自分に向かってきたあの時の光景が甦って、どきりとしながらも、私はしっかりと頷いた。


「はい……」

 

 先生も頷き返してくれて、母へと向き直る。


「怪我のほうはしばらく安静にしていれば大丈夫でしょう。あとは……」

 

 何かを言いかけて、じっと見ている私の視線を気にしたかのように、そこで言葉を区切る。

 

 母もなんだか不自然に、「わかりました。ありがとうございました」と頭を下げて、先生を部屋から送り出した。

 

 何かを隠されているような、そんな雰囲気に少し不安を感じた。

 

 私の枕元へやって来て、そこにあったパイプ椅子を引き寄せ、母は腰かける。


「まったくもう! びっくりさせないでちょうだい!」

 

 笑いながら言った顔は、いつもどおりだった。


「愛梨ちゃんから電話がかかってきて、あんたが車に跳ねられたっていうから、取るものもとりあえず飛んできたんだよ……?」

 

 額に浮かんだ汗を拭きながら、非難をこめて言われた言葉に、私は小さく笑った。


「ごめん……」

 

 母はそんな私を見下ろしながら、ぼやく。


「たいしたことなかったからよかったけど……そう思ったらなんだか新幹線代が惜しくなってきて……」

 

 本当に残念そうにそんな事を言うから、思わず笑い出さずにはいられなかった。


「もう……お母さんたら……!」

 

 いつもどおりの母の言葉が嬉しくもあり、おかしくもあった。

 

 けれど、ふと私の目を見ながら、問いかけられた言葉に息が詰まった。


「運転してたのは、岩瀬君だったんだろ?」

 

 母は、私が幸哉とつきあっていたことを知っている。

 まだ二人でいて楽しかった頃、「こんなことがあった」「あんなことがあった」と、いちいち報告していたのだから当たり前だ。

 

 いつの間にかそんな話もすることがなくなって、私たちの関係がどうなってしまったのか、母は知る由もなかっただろうけど、今回のことで多かれ少なかれわかっただろう。

 

「向こうの両親が来られてねえ……何度も謝っていかれたんだけど、正直、私にはわけがわからなくて……警察の人の話もねえ……私には初耳のことばっかりで……愛梨ちゃんに説明してもらうまでは、何がなんだかだったよ……」

 

 ため息を吐きながら母が漏らした言葉に、私は申し訳なくて、胸に掛けられていた掛け布団を、そっと鼻の上まで引き上げた。


「ごめんなさい……」

「別に謝らなくていいよ。だいたいの事情は愛梨ちゃんたちから聞いた……あんたは初めのうちあの子たちにも相談できずに、一人でずっとがんばってたんだって、そう教えてくれた……」

「うん……」


 正確には、一人じゃなくなったからこそ戦う勇気が出たのだったが、それを敢えて今、口にする必要はないと思った。

 海君に出会うまで、一人で長いこと苦しんでいたのは事実だったから――。

 

「言ってくれればよかったのに……」


 愛梨や貴子や花菜と同じような顔をして、母もやっぱり私のことを少し咎めるように見つめる。

 

(言ってくれれば、私はいつだってあんたの味方だったのに)

 

 言葉にしてもらわなくても伝わってくるその思いが、私を泣きそうな気分にさせる。

 泣きたいくらい嬉しくさせる。

 

「真実は本当に、馬鹿だねえ……」


 愛情一杯の悪口が、今は心地良かった。

 

「いつだって一人で我慢できるまで我慢して……馬鹿な子だねえ……」

 

 優しい目をちょっと涙で光らせながら、私の頭を撫でてくれる母の顔を見上げていると、自然と涙が零れた。

 小さな子供の頃のように、涙が零れて、止まらなかった。




 

「今日はとりあえず様子見で、一日入院することになったよ。明日は帰れる予定だけどね……!」


 私の部屋から着替えを持って来てくれた貴子に、母は豪快に笑いながらそう告げた。

 貴子もこわばっていた表情を和らげて、ホッと息をついた。

 

「貴子ちゃんにはいつも、いろいろとお世話になってるんだろ? この子ったら、いつの間にか、部屋まで変わってるし……」


 非難がましく私を見る母の視線に、ベッドの上で上半身だけ起こして座っていた私は、身を竦めるように小さくなる。

 貴子は母の勢いにちょっと怯みながらも、言葉少なに答え、すぐさま俯いた。


「い、いいえ。とんでもない! そもそも引越しを勧めたのは私だし……」

 

 そんな貴子の様子が面白くてたまらないらしく、一緒に来た愛梨は笑いっぱなしだ。


「大丈夫! 貴子は真実のことが大好きなんですよ! だから迷惑どころか、嬉しくってたまらないんです……!」


 からかうような調子をこめて、余計な説明をつけたしてやっている。


 愛梨はこれまでに何度も会ったことがあるから、豪快な私の母に慣れているだろうが、初対面の貴子は、母のパワーにかなり圧倒されているようで、私を見つめる視線が、(本当に真実のお母さんなのか?)と私を問い詰めてくる。

 

 老若男女問わず、オールマイティーに受けがいい花菜が、「愛梨ちゃん」と軽く愛梨を諌めて、見事なまでの笑顔で母に向き直った。

 

「それじゃあ私たち、今日はもう帰ります。真実ちゃんの部屋のほうを片づけておきますね」 

 

 母は極々上機嫌で、笑った。


「本当にありがとうね。これからも真実と仲良くしてあげてね」

 

 それぞれに手を振りながら帰っていく三人を見送りながら、「まあ……これだけ良い友だちに囲まれてたんだったら、あんたもそんなに辛くはなかったのかもしれないね……安心したよ」と呟いた母の言葉が、心に染みた。




 

 怪我をしたのがさすがに昨日の今日だから、左足首は動かせないくらいに腫れているけれども、それ以外はいたって元気だった。

 私は母を相手にいろんな話をして盛り上がる余裕があった。

 けれど――。

 

「夕食の時間ですよー」


 看護師さんが運んできてくれた美味しそうな食事には、まったく食欲がわかなかった。

 いや、食欲がないというよりも、気分が悪くなったといったほうがより近い。

 

「うーん……食べたくないや……」


 そう言って、トレーごと夕食を押しやった私に、母は何かを言いかけた。

 けれど――

 

「お母さん食べていいよ。ほら、これなんか好きなんじゃない?」


 笑いながら言った私に、つられたように笑って、言葉は飲みこんでしまう。

 

 正直言うと、笑うのも苦しいくらい私は気分が悪かったが、(ひょっとしたら頭をぶつけて、どこか悪いところでもあるんじゃ……?)というような話が出てくることが怖くて、せいいっぱい無理をして笑った。

 

 でも現実は、私が思っていたよりももっと思いがけなく、厳しいものだった。

 それをとっくにわかっていた母は、それでも私に騙されたフリをして笑ってくれていた。

 

 何も知らずに、私が笑っていられたのは母の愛情のおかげ。

 何よりも大きい、私を包みこむような愛のおかげだった。




 

 次の日の朝。

 ひととおりの検査を受けて特に異常はないということで、私は自分の部屋に帰れることになった。

 

 けれど、検査のために立ち上がるたびに、思わず吐き気がするぐらいどうにも気分が悪かった。

 病院で出された朝食も昼食も手をつけることができなくて、母に食べてもらう。

 

 その状態は担当の先生にも伝えられているはずだし、こういう時はあきらかに頭を打っていることを懸念するんだろうけれど、「検査の結果どこにも異常なし」とばかり告げられるのが、私は不思議でならなかった。

 

 退院の許可をくれた先生に、私は勇気を持って口を開く。


「でも……」

 

 言いかけた言葉は、母と思わせぶりに視線をかわしあった先生の様子に、途中で引っこんだ。

 困ったように首を横に振る母に頷いて、先生は私に向き直る。

 そこにはきっと、私に隠されている何かがあるんだと気づいていた。

 

「最近、熱っぽくなかった……?」

 

 急に尋ねられて、一瞬とまどう。

 どうだろう。

 特に意識してはいなかったけれど――。

 

「そう言われれば……」


 呟いた私に、先生は得心したように頷く。

 

「体がだるかったり、急に気分が落ちこんだりしなかった?」

 

 先生はいったい何が言いたいんだろう。

 ここ一ヶ月、これでもかというぐらいバイトをしていたから、だるかったことは確かだし、海君とあんな別れ方をしたんだから、思い出すたび、切なくなって落ちこんだのは確かだ。

 虚ろに頷きながら考える。


(でも……それと気分が悪いのと、なんの関係があるの?)

 

 そう思った時、ある考えに思い当たった。

 思わず母の顔を見て、しっかりと頷き返され、それは確信へと変わる。

 

「私……!」


 私が両手で口を覆った途端、先生も私の目を見てしっかりと頷いた。

 

「妊娠してます。産婦人科の先生に診てもらったところじゃ、三ヶ月目に入ったところかな……あんな目にあったのに、よく無事だったとしか言いようがないけど……」

 

 頭の中が真っ白になった。

 それ以降先生がどんな話をしてくれたのか、全然耳に入ってこなかった。

 ただドキドキと高鳴る自分の心音が、まるで自分のものではないかのように、耳の奥にこだまする。

 

 私の中に新しく芽生えた小さな命が、確かにそこに存在することを主張するかのように。

 私の体中の血液が、音を立てて一点に集約されていくかのように。

 

 その音は、波の音にも似ていた。

 あの夜、海君と二人で砂浜でじっと耳を済まして聞いたさざなみの音に聞こえた。

 

 そう思った瞬間。

 ――私の目から涙が零れ落ちた。

 

 恐れ。

 不安。

 驚き。

 いろんな感情が入り混じった中に、どれよりも強く彼に対する想いがあった。

 

(海君!)

 

 ――彼が愛しいという、一番大きな想いがあった。




 

 何も言葉を交わさないままに、母と一緒に病院をあとにして、私はタクシーで自分の部屋へ帰った。 

 約束どおり、私の部屋を片づけて待っていてくれた愛梨たちが出迎えてくれ、そんな彼女たちに、母はいつもの豪快な調子で笑った。


「ほんっとに、ありがとうね!」

 

 まだ本調子ではないという理由で、私はベッドに寝かしつけられ、母は、「真実がすっかりお世話になったから……」と愛梨たちを連れて食事に出かけた。

 

 食べ物の匂いで気分が悪くなる私を、気遣ってくれたが理由の一つ。

 あとの一つは、「一人でゆっくりと考えてみなさい」と私に時間をくれたのだった。

 

 母の大きな愛情に感謝して、私は布団に潜りこむ。

 みんなが出て行く足音を聞きながら、また涙が零れた。

 

(きっとこういうのを、情緒不安定っていうんだろうな……)

 

 苦笑まじりに見上げた視線の先には、誕生日に海君がくれた小さな花束があった。

 花菜が、ドライフラワーになるようにと乾燥剤を入れて、吊るしてくれていた。

 

 机の上に飾られているのは、海君の絵。

 ――大きな青い空と海と、小さな私たち。

 

 その絵の中では私たちは永遠に一緒だ。

 そう思うと少しだけ勇気が湧いた。

 

 母は、「考えてみなさい」と言ってくれたが、私には最初っから考える余地などなかった。

 その事実を聞かされた瞬間から、どうするのかの答えだったら、私の中で考えるまでもなく決まっている。

 

 それがどんなにたいへんなことなのか。

 私のこれからの人生を大きく左右することなのか。

 

 苦言を呈す人はきっとこれからたくさん現われるだろうけれど、自分の答えはそれでも変わらないと思う。

 

(だって愛しい……海君が……彼がくれた命が……どんなにマイナスの要素を挙げ連ねてみたって、やっぱり私には嬉しいし、愛しい……)

 

 零れる涙を指先で拭って、私は小さく笑った。


(お兄ちゃんは怒るだろうな……)


 苦笑が漏れる。

 

(お父さんはどんな顔するかな……?)


 いつも表情の変わらない父が、驚いた顔など想像がつかない。

 きっといつもと同じ表情のまま、「そうか」と簡単な返事をするんだろう。

 

 だけどその裏に隠されたいろんな思いを、私は忘れてはならない。

 私がこれから出そうとしている結論は、幸せになって欲しいという願いをこめて私を育ててくれた両親にとっては、裏切りとも取れるかもしれないのだ。

 

(ごめんなさい……)

 

 申し訳ないと思う気持ちがないわけじゃない。

 だけど私の中では、他の答えは選びようがない。

 ――きっと両親が私の幸せを願うのと同じように。

 

(海君……ありがとう……)


 彼がくれた私たちの絵を見上げながら、私は呟いた。

 

(また一つ、私に大切なプレゼントをくれて……ありがとう)


 心から素直にそう思えた。

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