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キミの秘密も愛してる  作者: シェリンカ
第七章 告白のあとに待つもの
29/43

4 キミの秘密

「私……明日の新幹線じゃなくって、今夜のフェリーで帰ることにしたから……」


 家に帰るなり父と母にそう伝えると、待ちきれなくて先に昼食をほおばっていた兄が、ふり向きざまに、なんともすっとんきょうな声を上げた。


「フェ、フェリー!?」


 思わず吹き出さずにはいられない。

 

 港町に生まれて、海の近くで育ったのに、兄はあまり泳ぎが得意ではない。

 だから海もあまり好きではなくて、極力近寄らないようにしている。

 そんな兄にしてみたら、たとえ船がどんなに便利な交通手段であっても、陸から遠く離れた海の上を移動するだけで、無謀とも言えるくらいの、危険なルートなのだろう。

 

「真実……お前、よくそんなの乗る気になるなあ……!」


 非難しているような、感心しているような、微妙なため息に、正直に返答する。


「うん。だって私泳げるもん……」


 兄はあからさまにムッとした。


「どうせ! どうせ俺は、泳げないよっ!!」


 プンとむくれて、私から目を反らす。

 

「それで……? いったい何時に出港なんだい?」


 とてもお昼ご飯とは思えないほどの品数の料理を、どんどん私の席の前に並べながら母が尋ねる。

 

「十一時かな……でも、早目に出ようと思ってる……」


 さりげなく答えながら自分の席に着いた。

 でも内心は、海君と待ちあわせていることを思ってドキドキしてたまらなかった。

 家族の誰も、私のそんな思いに気がつくはずはないのだけど――。

 

「……夜に港に行くんだったら、気をつけるんだぞ」


 珍しく父が口を開いて、港町生まれの人特有の苦言を呈す。

 

『夜の海は、人ならざるものの世界だ。近寄ったらいけない』

 

 小さな頃から、祖母や父に何度も聞かされた戒めの言葉が、私の心に甦った。


「うん」

「そんなこと言ったって……どうせ、真実はまたあそこに行って、星を見てから出発するんだろ……?」


 兄に図星を指されてしまって、思わず笑みが零れた。

 

(まったく……私の考えてることなんて、全部お見とおしなんだもん……)


 兄に言い当てられたとおり、私はあの浜に行って、それからフェリーの出る隣の町に向かうことに決めていた。

 

 でもそれは、あの降るような星空を見るためだけではない。

 ――海君に本当のことを尋ねるため。

 

 そう思うだけで、胸が苦しくなる。

 涙が浮かびそうになる。

 でもそんなそぶりを見せただけで――。

 

「べ、別にそれを悪いなんて言ってないだろ! 泣くなよ真実!」


 私の涙にからっきし弱い兄が勘違いして、慌てて私の機嫌を取り始めるから、今はまだ泣けない。

 

 普段は意地悪ばっかり言ってるくせに、結局私に弱い兄の姿を見ていると、辛い気持ちをしばし忘れ、笑うことができた。

 

「ありがとう、お兄ちゃん……」

「な、なんだよ急に……気持ち悪いな……!」

 

 私の感謝の本当の意味は、兄にはきっとわからない。

 けれどそれでも、言わずにはいられなかった。

 悲しい気持ちに負けて、思わず決心がくじけそうになった私の心を、励ましてくれたことには違いないのだから――。

 

 私たち兄妹のやり取りを笑いながら聞いている母も、何も言わない父も、いつだって私の背中をそっと押してくれる。

 だからそんな家族全員に、「ありがとう」と頭を下げて、私は自分にとって一番辛い選択を、選び取る勇気をもらった。



 


 夜九時。

 ほんの少しの荷物を持って、実家の玄関を出る。

 

「本当に港まで送らなくていいの?」


 心配そうに聞いてくる母に、ニッコリと笑って頷く。


「うんいいよ。お父さんもお兄ちゃんも明日仕事で早いんだし、タクシーで行くから……」


 少々とまどいながらも、母も笑顔で頷いてくれた。

 

 あっという間の一週間だった。

 でも以前のように、家族と離れることに猛烈に心が痛んだりはしない。

 

「また、帰っておいでよ……?」


 母の言葉に、「うん。すぐにまた帰ってくる」と頷くことができる。

 心からそう思うことができる。

 そのことが嬉しかった。

 

(帰りたくなったら、いつでも帰ってこれる……)


 そう思える今の私の状態が、この上なくありがたかった。

 

(これって全部、海君のおかげなんだよね……本当にありがとう……!)


 もういったいどれくらい、何度も何度もその言葉を胸に思い浮かべただろう。

 

 彼と出会ってから、私の人生は変わった。

 良いほうに良いほうにとどんどん変わっていった。

 

 ――そう思えば、もうじゅうぶんなのかもしれない。

 今日までずっと傍にいてくれただけでも、感謝しないといけないのかもしれない。

 

 私は自分の心に言い聞かせながら、彼との待ちあせ場所のあの砂浜に向かう決心を、必死に繋いでいる。


「じゃあ……行ってきます……!」

 

 見送ってくれる家族に明るく手を振って、背を向けた。

 あんまり話していると、やっぱり泣いてしまいそうだったから。

 甘えてしまいそうだったから。

 

「行ってらっしゃい」


 父と母と兄の声が揃って背中を押してくれたから、私は歩きだすことができた。

 

 海君のところへと。

 ――彼の秘密を確かめに。



 


 彼は、まるで昼間の私と同じような格好で、無防備にゴロリと砂浜に寝転んでいた。

 

 月のない夜。

 星の明かりだけでは暗すぎて、海君が本当に眠っているのかどうかさえ私にはわからない。

 

 静かに隣に腰を降ろして、顔をのぞきこむと、(大丈夫だったのかな……?)と思わずにはいられなかった。

 

 顔色がよくない気がする。

 

 海君の体調にとって、何がよくて何がよくないことなのか。

 それすら私にはわからない。

 けれど少なくとも、夜風に当たってこんなところでうたた寝するのは、決してよいことではないだろう――。

 

(ゴメンね……)


 肩から羽織っていた薄い上着を脱いで、横たわるその体に掛けて、そっと頬に手を触れた。

 ゆっくりと冷たい頬を撫でる。

 

 するとどこかで予想していたとおり、すぐに私の手を、砂浜から持ち上がった海君の手が、掴んだ。

 

「やっぱり起きてたの……?」


 私の問いかけに、海君は返事せず、目も開けずに、ただつかんだ私の手を引き寄せる。

 彼の体の上に倒れこむように横になって、私は彼の鼓動を聞いた。

 

「すっごい星空なんだね……」


 震える声で呟かれた言葉に、胸が鳴った。

 私が彼に見せたいと思っていたものを、教えるより先に見つけてくれていたんだと嬉しくなった。

 

 ゆっくりと海君の上から身を起こして、私も彼の隣にゴロンと寝転んで、一緒に満天の星空を見上げる。


「うん」

「俺……本当にこんな星空……今まで見たことなかったよ」

 

 海君の声が、直に体に響いてくるようにすぐ隣で聞こえる。

 手探りで彼の左手が私の右手を見つけ出し、いつものように指を絡める。

 

「私も……すごくひさしぶりに見たよ……」


 思ったよりも穏やかな声で答えることができて、自分でもホッとした。

 

「この星空も、ぜひ海君に見せたかったんだ……だから一緒に見れて良かった……」


 心からの安堵のため息をつくと、海君がそっと自分の頭を、私の頭にくっつけた。


「うん」

 

 寄せては返す波の音だけを聞きながらそうしていると、まるで世界には彼と私の二人だけのようだった。

 

 その世界では、どんな願いも叶わないことはないし、二人の間を隔てるどんな出来事も事実も存在しない。

 ――そんな夢のような世界に迷いこんでしまったかのようだった。

 

 でも現実は違う。

 時間は確実に明日へと進み続ける。

 それは私には、どうすることもできないから、私はゆっくりと起き上がって、砂浜の上に座り直した。

 

 海君も、それに倣うように起き上がり、すぐ隣に座り直す。

 

 体勢を変えても、繋いだ手だけは絶対に放そうとしない私たちは、まるでそれを解く瞬間に怯え、頑なに拒んでいるかのようだった。

 

(繋いだこの手をどちらかが放したら……その瞬間に私たちの関係は終わる……)


 いつも心に漠然と思っていたことが、いつの間にか現実となって私のすぐ近くに迫りつつある。

 

「海君……」


 私の呼びかけにいつものように、(何?)と瞳だけで答えるこの人が愛しい。

 

 この想いはどんなにごまかそうとしても、どんなに心に押しこめようとしても、私の心からすぐに溢れてしまう。

 きっと一生、消えることはないだろう。

 

 私の心は変わらない。

 ――だとしたら、これからも私たちの関係は何も変わらない。

 

 何も知らずに、何も教えてもらえずに、ただいつ終わるのかわからない不安に怯えて、私はこれからも海君の隣に居続けるんだ。

 

 でも知らないことは怖い。

 その裏で彼がどんな思いをしているのか。

 そんなことさえ私にはわからないから、不安で不安でたまらなくなる。

 

 漠然とした不安に怯えているぐらいなら、尋ねたほうがいい。

 どんな答えが返ってこようと、聞いたほうがいい。

 

 だから今、尋ねよう。

 何気なく。

 ごく自然に。

 

 決心をする時間も、それをやっぱり翻す時間も、自分に与えちゃいけない。

 もうこれ以上引き伸ばしたら、きっとダメだ。

 

 必死の思いで、私は勇気をふり絞った。

 

「海君……ひょっとして、どこか体の調子が悪いの?」


 私の突然の問いかけに、彼は少し驚いて目を見開く。

 けれどすぐにいつもの曖昧な笑いを浮かべて、そのままごまかしてしまおうとした。

 

 私は静かに首を横に振った。


「お願い。教えて……」

 

 すぐ近くで私を見つめる海君の綺麗な瞳に、どうしようもない悲しみの色が浮かぶ。

 その瞬間。

 もう取り返しのつかない領域に自分が足を踏みこんだんだと、私の苦しくて苦しくて張り裂けそうな心にも理解できた。

 

「真実さん……」


 海君のひどく沈んだ声が、私の心に刺さる。

 

「本当のことを話したら、今までと同じではいられないって、俺は最初から決めている。それでも……? それでも聞きたい……?」

 

 半ば答えを言ってしまっているような状態でも、海君がなんとか私を踏み止めようとしてくれているのがわかる。

 今の私たちの関係を守ろうとしてくれているのがわかる。

 

 私に負けないくらいに、この恋に執着してくれていることが、嬉しかった。

 

(嬉しい……嬉しいよ! どうしよう……失くしたくない……海君を失いたくない!)


 わき上がって来るみっともないくらいの想いに、それでも私は必死で首を振る。

 

 今、本当のことを聞かなければ、取り返しのつかないことになるかもしれない。

 

 繋いだ海君の冷たい指は、夜の闇の中でもはっきりとわかるくらい青ざめた顔色は、きっと私の突然の言葉に驚いているからばかりではないはずだ。

 

 感情だけで無理をするなんて、きっと許されないわけが彼にはある。

 これ以上そのことを無視するなんて、私にはもうできない。

 

(それでもし海君に何かが起こったら……私のせいで無理をさせるようなことになったら……私は自分を、恨んでも恨みきれない!)

 

 だから聞かなければ。

 心がどんなに張り裂けそうに痛くても、本当のことを聞かなければ。

 

「海君……いつも無理してたんだよね? 本当はいつだって、無理して私に会いに来てくれてたんだよね……?」

 

 海君と繋いだ右手ではなく、左手を彼の首にまわして、体を反転するようにして抱きついた私を、海君も右手で抱きしめ返した。

 

 止めていた息を吐き出すように、何かを諦めて絶望する気持ちを隠しもせずに、絞りだすような声で、私の耳元で本当の答えをくれた。


「うん。そうだよ」

 

(やっぱりそうだったんだ……!)

 

 辛くて悲しくてどうしようもない気持ちの中に、納得して安堵するような感情が入り混じって、そんな自分がどうしようもなく嫌いになる。

 

 自分が未知の恐怖から逃れるためだけに、彼を問い詰めた。

 ――なんて身勝手な思い。

 

 自分だけが何も知らずに、これまで当たり前のように彼に守られてきた。

 ――そのことへの憤り。

 

(ゴメンね、海君……。鈍感な私で、自分勝手な私でゴメンね……)


 懺悔するような気持ちで、私は海君の体を抱きしめた。

 

 一言、言ったっきり、何も言わない海君が、繋いだ手に力をこめたのがわかる。

 ――離したくないという意思表示のように。

 失いたくないという思いをこめるように。

  

 だから私も負けないくらいの強さで、その手を握り返す。

 その体を抱きしめる。

 

(私だって放したくないよ……! ずっとずっと一緒にいたいよ……!)

 

 ――その意思表示のために。 

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