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キミの秘密も愛してる  作者: シェリンカ
第六章 再生する日々
22/43

1 将来の夢

 ひさしぶりに故郷へ帰ろうと決めた夏休みの前には、大学の前期試験が待ちかまえていた。

 出席日数が足りなくて今年はもう無理と諦めた講義は別として、せめて愛梨たちが出席にしてくれていた講義ぐらいは、単位を落とさないようにがんばらなければ――。

 でないと、ひさしぶりすぎてただでさえ敷居の高い実家に、帰ることなんてとてもできそうにない。

 

(海君とあの海に行くためにも……とりあえず今は、試験勉強をがんばる!)


 試験も間近に迫る頃になって、私はようやく学生らしい気分で意気ごんだ。



 

 私の部屋の小さなテーブルの上には乗りきらないぐらいの、テキストやプリントやルーズリーフの山。

 それらに埋もれるようにして、必死に頭を捻っている私を横目に、貴子は優雅にコーヒーを飲んでいる。

 

「……それで? 試験中は会わないでおこうとでも決めたのか?」


 突然、なんの前置きもなくそう問いかけてくるから、私は内心ドキリとする。

 

「うん。まあ……そんなところ」


 プリントの山の下から消しゴムを探すことに集中しているフリをしながら、なんでもないように返事する。

 

『ゴメン、真実さん……俺、またしばらく会いに来れないや……』


 ある日の帰り道、少し寂しそうに笑って、海君は私に向かって手をあわせた。

 

(どこに行くの? 病院?)


 まさかそんなふうには聞けなくて、言えない言葉を飲みこんで、『うん、いいよ。私だって試験勉強しないといけないんだし……ちょうどいいよ』と私は笑った。

 

 せいいっぱいの努力。

 多少無理があるのは自分でも承知の上。

 きっと海君だってそう思ったに違いない。

 

 それでもがんばって、なんとか気持ちを切り替えようと努力しているのに、貴子はわざと大袈裟にため息を吐いてみせる。

 

「なんだそれは……成績が下がんないように、試験中は我慢って……中学生かあいつは……?」


 あまりにも意地悪な言い草に、私は思わずムッとした。

 

 その瞬間、私のベッドにゴロリと横になっていた愛梨が、援護の声を出してくれる。


「別にいいじゃない……実際、そのほうが試験に集中はできるんだし……」

 

 貴子は白けたように横目で愛梨を見たものの、もう一度私を見て、意味深に瞳を輝かせた。


「まあ、いいさ。……そのほうが私が真実を独占できるわけだし……なんなら、代わりに一緒に寝ようか?」

 

 怪しげな微笑を浮かべてじっとこっちを見つめるもんだから、私はせっかく見つけた消しゴムを、貴子に向かって投げつけなければならなくなる。


「ばかっ!」

 

 ひょいと、私のささやかな攻撃を避けながら、貴子はニヤリと笑った。


「えっ? ひょっとしてまだだった?」

「貴子!」


 私はせいいっぱいの非難を声にこめて叫んで、今度は何を投げつけてやろうかと、手近にあるものをキョロキョロと確認する。

 

「ハハハハッ。冗談だよ。冗談。いいから、もう何も投げんな……勉強する道具がなくなる」


 お腹に両手を当てて、たまらないとでも言いたげに上半身を折り曲げて笑う貴子を見ていると、海君を思い出した。

 

(もうっ! すぐに私で遊ぶんだから!)

 

 ベッドの上の愛梨が、今更レポート作成のために読んでいる本をパタリと閉じて、もう一度口を挟んでくる。


「貴子……あんたさ……最近『真実が好き』っていう冗談が、洒落にならなくなってきてるんだけど……?」

 

 貴子はサラサラの長い髪をかきあげて、尚更大きく破顔した。


「そうか?」


 その艶っぽい表情と仕草でさえ、なぜだか海君と重なる。


「別に、洒落でもなんでもないからな……」


 呟く貴子の言葉はあえて聞こえないフリをして、私は、机にきちんと座って書きものをしている花菜に、救いを求める視線を投げた。

 

 花菜は、承知したとばかりにニッコリ笑った。


「真実ちゃんにとっては、たとえ誰だって、海君の代わりにはなれないわ。残念だったわね……貴ちゃん!」

 

 あまりにもストレートで、実にわかりやすい見解。

 毒気を抜かれたように、貴子は押し黙り、愛梨もクスクス笑いながら自分のやるべき作業へと戻った。

 

 しかし、そうなることを望んで花菜に意見を求めたはずの私自身まで、真っ赤にならずにはいられないセリフ。

 

(それは確かにそうなんだけど……そんなに海君を好きなことが、周りにもバレバレなのかな私……?)


 上目遣いに見上げた花菜の顔は、私たちの中では一番童顔で一番あどけないのに、今日も満々の自信にあふれていた。

 

「そうよ。絶対にそうなのよ!」


 とでも言いたげな実に頼りになる笑顔には、もう腹をくくるしかなかった。

 

(はい。確かにそのとおりです……私は海君が大好きです。誰も代わりになんてなれません……!)

 

 この上なく恥ずかしいその言葉は、まちがいなく私の本心を言い当てていた。



 

 前期試験の期間中も、私たちは毎日四人で集まって、試験勉強に励んでいる。

 取っている講義はそれぞれ違うし、試験の方法も内容もさまざまなので、みんなで集まって勉強することにあまり意味はないのだが、それでも一緒にいることは楽しかったし嬉しかった。

 

 一年生の頃は、よくこんなふうに四人で勉強した。

 くだらないおしゃべりに時間を費やしてばかりだったけれど、それが何より楽しかった。

 なのにいつの間にか四人バラバラになって、一緒に勉強なんてとてもできなくなって。

 それなのに二年経った今、またこうして集まっている。

 

 こんな日がもう一度訪れるなんて、少し前までは思いもしなかった。


(ほんとに、夢みたいだよ……)

 

 現実であることを確認するように、私が一人一人の顔をそっと見渡していると、「ちゃんと勉強しろ」というふうに、部屋の向こうから貴子が真っ直ぐに私を見つめてくる。

 

 その隙のない視線に、また海君を思い出す。

 私は慌てて、テーブルの上に視線を戻した。

 

「でも正直……腹が立つんだよね……そうは思わない真実?」


 休憩という名の息抜きを、本日何度目か声高らかに宣言した愛梨は、ベッドに転がった体勢のまま、隣に座っている私の顔を見上げた。

 

「こっちはこんなにがんばって勉強してるのに……貴子ってば、遊んでるだけなんだもん……!」


 愛梨はひどく不満そうな視線を、貴子に向ける。

 

 俯いて何かに目を通していた貴子は、そんな愛梨に向かって敢然と顔を上げた。


「何を言っている! 私だってじゅうぶん忙しいんだ。どうせしばらくは誰も料理なんてする余裕ないだろうから……どこで夕食を調達してこようかを、今悩んでいる真っ最中だ!」

 

 愛梨に向かって、郵便受けに入っていたお弁当屋さんのチラシを突きつけた貴子に、愛梨は掴みかからんばかりの勢いで叫んだ。


 「あんたが作ればいいんでしょう!」

 

 だがしかし――。

 

「本当にそれでいいのか?」


 表情も変えずにそうと言い放たれると、言葉に詰まってしまうらしい。

 

「うっ……!」


 苦境に立たされた愛梨に、花菜が追い討ちをかけた。


「そうよね。せっかく勉強してもおなかを壊して大学に行けなかったら、なんにもならないものね」

 

(輝くような笑顔で、なんて凄いことを言うの!)


 私は思わず愛梨と顔を見あわせたのに、当の貴子はまったく気にしていないようだった。

 

「そうだ! 私の作ったものを食べるなんて……そんなの私が一番嫌だ!」


 大威張りで言い切ってしまう。

 

 愛梨は深くて大きなため息を吐いてから、再び本を取り上げてページを開いた。


「これじゃあ無駄に時間を浪費するだけだから、私、試験勉強再開するわ……」

「そうしろ。そうしろ」


 腕組みしながらもっともらしく頷く貴子を見て、私と花菜は顔を見あわせて笑った。


 

 

 貴子は私たちの学部の中でも一・二を争う成績の良さだ。

 

『試験なんて、普段の講義をある程度聞いていれば特別に勉強する必要もない』


 なんて聞く人が聞いたら本気で頭にきそうなことも、真顔で言ってくれる。

 

 私は貴子の毒舌には慣れているし、それが事実だということもじゅうぶんわかっている。

 でも自分自身にはやっぱり貴子みたいな余裕はないわけで、非難の声を向けたくなる愛梨の気持ちも良くわかる。

 

「ねえ……貴子は本当に何もしなくていいの?」


 思わず確認してしまうと、貴子は顔色ひとつ変えず、何杯目かのコーヒーをすすりながら、答えてくれた。


「する必要はないな。レポートは全部提出したし、ノートはその都度まとめておいた。今更復習するような事柄も、別にない」

「う、うらやましい……」


 呟かずにはいられなかった。

 

 いくら貴子だって、受けている講義の数は私とそう変わらないのだ。

 ただ飲みこみが早いということ。

 能力が高いということ。

 要領がいいということ。

 その違いが大きな差を生む事実を、貴子の傍にいるとしみじみと実感させられる。

 

「貴子だったら、将来はなんにだってなれるんだろうな……」


 テーブルに頬杖をつきながらボンヤリと呟いた瞬間、貴子の鋭い目がキラッと光った。


「真実はひょっとして……何かなりたいものがあるのか?」


 改めて尋ねられるとなんだか恥ずかしくなる。

 

「どうしてもこれになりたい!」という強い意志なんかではないけれど、「こうなれたらいいのにな」と思っている職業だったら、私には小さな頃からずっと思い描いている夢がある。

 

「うん」


 少し照れ臭くて俯く。

 

 すかさず貴子が茶々を入れた。

「『お嫁さん』……ってのが答えだったら、あいつよりは私のほうが早く叶えてあげられるからな……?」

 

 真剣な眼差しに、私は大急ぎで手近にあった辞書を持ち上げて、投げつけるポーズをした。


「だから! ……そんなこと別に考えてません!」

 

 必死に叫ぶ私を見て、再びハハハハッと声を上げて笑い出した貴子の顔に、悔しいけれどまた海君の面影が重なった。



 

『真実ちゃんは大きくなったらなんになりたいのかな?』

 

 そういった質問にだったら、まるでそれしか答えを知らないかのように、小さな頃からくり返し何度も返してきた答えがある。

 

 他の人が聞いたら、たいしたことない夢なのかもしれない。

 けれど私にとっては大切な夢。

 それを叶えるためだけに、故郷を出て一人暮らしを始めた。

 

『短大ぐらいでいいんじゃない?』


 そうくり返す高校の担任や両親を説得して、大学も受験した。

 

(一度はもう諦めるしかないと思った……もう叶えられるわけないと思った……でも私はまたここにいる。みんなと一緒に笑ってる。だから努力次第では……叶うかもしれない……!)

 

 そう思えることがどんなに幸せなことか、決して忘れてはいけないと、私はもう知っている。

 

「真実ちゃんは司書になりたいんだよね」


 私が口を開くより先に、ニッコリと答えてしまった花菜の声に、貴子の切れ長の鋭い目が、驚いたように見開かれた。

 

「そうなのか?」 

「あんた、知らなかったの?」


 呆れたように聞き返す愛梨に、貴子は真顔で頷く。

 

「初耳だ」


 私も、てっきり貴子は知っているものだとばかり思っていたので、かなりビックリした。

 

「だって……最初の新歓コンパの時からずっとそう言ってたじゃない?」


 コロコロと笑う花菜に、貴子もうっすらと笑みを返す。


「ああ。そんなもの行ってないからな」


 そう言われればそうだと、私はハッとした。

 

 貴子は他人とのつきあいに、時間もお金もかけない主義だ。

 みんなと仲良くなるためだけに、わざわざお金を出して飲み食いするコンパなんて、常々「まったく意味がわからない」と一刀両断にしていた。

 

『コンパ』と聞けば、たとえどんな用事があったって、いくつ同じ日に重なったって、顔を出さずにはいられない愛梨とは実に対照的で、二人が「よく仲良くなったわね?」と不思議がられる所以の一つである。

 

 その愛梨は、世話好きで子供好きな自分の特性をよく理解していて、「私がならなきゃ誰がなるの?」と、『幼稚園教諭』になることを、とうの昔に決めている。

 

 しっかり者の花菜はと言えば、「うーん。安定と将来のことを考えれば……やっぱり公務員かな……?」と、ここでもいかにも彼女らしい進路選択を披露してくれた。

 

(あれ? ……でもそういえば……貴子は自分の将来をどんなふうに考えてるんだったっけ?)

 

 私がその疑問にたどり着いたと同時に、愛梨と花菜もこちらを見た。

 どうやら二人の思いも同じだったらしい。

 

 私たちの疑問を的確に察知したらしい貴子が、腕組みをしながらおもむろに口を開く。


「私は大学に残るんだよ。教育方面からだけじゃなく、もっと心理学を学びたいって思ってるし、まだまだ調べたいことも、知りたいことも山ほどある。下手すりゃ、一生研究だ。まっ、そうすると図書館とは切っても切れない縁だから……真実とはずーっと一緒ってことで……」

 

 なんでそこで私が出てくるのかはよくわからないが、とりあえず私たち四人は、それぞれこれから先やりたいことが決まっているのだということは確認できた。

 

 目標がある人間は強いし、たくましい。

 たとえこの先、道は別れていくとわかっていても、それまでの間は一緒にがんばることができる。 

 

 みんなに会えて良かったと心から思った。

 この街に来て、本当に良かったと思った。

 

(それはやっぱり……彼にも出会うことができたから……!)

 

 結局、どんなに他のことを考えようとしても、私の思考は海君へと繋がっていく。

 何をしてても、誰といても、最終的には彼のことを思う自分をまざまざと自覚せずにはいられない。

 

(これってかなりまずい状況……だよね?)


 そんなことは自分でもわかっていた。

 

 だけど、カーテンの隙間から見える月が珍しく輝いていて、そんな風景でさえも、(海君、知ってるかな? 教えてあげたいな……)と思わずにはいられない。

 

 これは果たして、純粋な愛情なんだろうか。

 それとも最早、私があんなに憎み恐れていた、歪んだ執着に近いのだろうか。

 

 どちらにしても、「会えない時にこそ、どれだけ相手のことが好きだか思い知らされる」ってことを、身を持って証明できるような、私の毎日だった。


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