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キミの秘密も愛してる  作者: シェリンカ
第三章 私の現実
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4 ひさしぶりの学校

 幅の広い舗道がずっと続く先に、レンガ造りの大学の正門が見えてきた。

 私は立ち止まって大きく息を吐く。

 春休みからこっち、一度もくぐることのなかった門だから、まるで入学したあの日のように、緊張と不安の気持ちが入り混じる。

 

「真実」


 少し先を歩いていた愛梨が、ふり返って私を呼んだ。

 それに呼応して、私の手を握っていた海君の手に、ぎゅっと力がこもる。

 

「行こう。真実さん」


 海君は私の手を引いて、先に立って再び歩き始める。

 自然と私も、もう一度踏みだすことができた。

 

 愛梨のところまでたどり着いたら、海君はまるで昨夜と同じように、儀式めいた動作で私の手を愛梨へと引き渡す。

 

 傍から離れる瞬間、「がんばれ」と耳元近くでひとことだけ囁くと、私たちに背を向けて、すぐに今来たばかりの道を帰り始めた。

 

「海君!」


 私は思わず呼びかけたけれど、彼は後ろ手に大きく手を振りながら、そのまま行ってしまう。

 

(海君……)


 寂しいような心細いような私の気持ちがわかったかのように、海君は絶妙のタイミングで、ふいにクルリとこちらをふり返った。

 

「ガンバレ!」


 満面の笑顔で大きく手を振りながら、彼が叫んだ言葉に胸が熱くなって、私も必死に両手を振り返す。

(うん。きっとがんばる!)の思いをこめて、振り返す。

 

 海君がもう一度こちらに背を向けたのを合図に、私も大学へ向かって歩き出した。

 離れていてもいつも繋いでいるような右手の感触が、何よりも頼もしかった。

 それは私の、勇気のみなもとだった。



 

「普通な……三ヶ月も講義に出てなかったら、もう名簿から名前が抹消されてるところなんだよ……」

 

 数十分後。

 私は広めの講義室の、後方よりの四人がけの長机の真ん中に座っていた。

 今日はあまりにもひさしぶりだから、大学の様子だけ見てすぐに帰るつもりだったのに、愛梨に「いいから。いいから」と手を引っ張られ、気がつけばしっかりと、本当は一緒に履修していたはずの『心理学』の教室に座っている。

 

「白川真実さん」


 出席を取られる時、しっかりと私の名前も呼ばれたことが驚きだった。

 右隣に座っているのは愛梨。

 左側にはあろうことか、これまで私のぶん、この『心理学』の授業に出席してくれていたという奇特な二人の人物が座っている。

 

 ――同じ教育学部三年の、須崎貴子と瀬戸口花菜。

 

 入学したての頃は愛梨も含めた四人で、よく一緒に行動していたけれど、私が幸哉に束縛されて学校を休みがちになった頃からは、徐々に疎遠になっていた友だちだった。

 特に貴子とは、「もう彼氏とは別れたほうがいい!」「それはできない!」と言いあいになって、それっきり会っていなかったので、てっきり見限られたとばかり思っていた。


 それなのにいくつかの講義で、私の学生証を使って、代わりに出席してれていたのだという。

 私は自分の学生証が手もとになかったことにも、今日気づいたというのに――。

 

「だっていくらなんでも愛梨ひとりじゃ、荷が重過ぎるだろ……?」


 まるで男の子みたいな口のききかたをする貴子は、鋭い目をした理知的な美人だ。

 さらさらストレートの髪を耳にかけながら、眼鏡越しに私の目を真っ直ぐに見つめる。

 

「真実がこのままフェードアウトするとは、私は思ってなかったし……」


 自分で決めた目標に向かって真っすぐに生きている貴子だから、勉強や将来の夢よりも幸哉との恋を選んだ私を、きっと軽蔑していると思っていた。

 まだ友だちだと思ってくれてたなんて、想像もしていなかった。

 

「貴子……」


 思わず涙ぐみそうになった私に、貴子の向こうからひょっこりと顔を出した花菜がぶんぶんと手を振る。

 

「ちょ、ちょっと待って。なんか全部貴ちゃんの手柄みたいになってるけど……私! 真実ちゃんのふりして座ってたのは私よっ!」


 小柄な私よりも更に五センチも背が低い花菜は、栗色の巻き毛を肩に垂らした可愛らしい女の子だ。

 小動物のようなクリクリとした目が印象的で、どんな時でも、私は花菜の笑顔以外の顔を見たことがない。

 

「当たり前だろ。私や愛梨に真実の真似ができるか。チビの花菜が化けるのは当然だ……!」


 花菜とは対照的に、笑顔が想像もつかない貴子に冷たいことを言われても、ニコニコとやっぱり笑っている。


「えー。それは確かにそうなんだけどー」

 

 

 

 懐かしかった。

 みんなと一緒に普通に大学生していた頃に、時間を超えてポンと帰ってきたようで、本当に嬉しかった。

 

「真実……」


 愛梨の心配そうな声に、慌てて零れ落ちた涙を拭う。

 筆記用具もテキストもそれを入れている鞄も、全部愛梨からの借りものばかりだから、ハンカチがなかなか見つからない。

 ポロポロ涙を流しながら、鞄の中を必死に漁る私に、貴子がスッと自分のハンカチをさし出してくれた。

 

 しっかり者の貴子と、おっとりと可愛らしい花菜。

 華やかで明るい愛梨。

 三人とはこの大学に入学してから知りあった。

 

 きっかけは簡単なこと――名簿順で並んだ入学式の席が、たまたま近かったから。

 だけど、親元を離れて初めて一人暮らしを始めたこの街で、知っている人も誰もいない中、友だちになるのなんて、そんな些細なきっかけでじゅうぶんだった。

 

 性格も見た目も、成績さえ違うのに、いつも一緒の四人。

 何をするにも四人。

 その四人組を壊してしまったのは私だ。

 

「あんな男とつきあうのはやめな」という貴子の忠告に、私が耳を貸さなかったせいで、私たちの仲は終わりになった。

 

 あれから半年。

 懐かしい顔が揃って、私を歓迎してくれていることが嬉しい。

 ずっと私と口もきいてくれなかった貴子が、真っ直ぐに私の顔を見て、「まったく遅いんだよ……真実は……」なんて冷たく言い放ってくれるのが嬉しい。

 

 再び貴子の向こうから、花菜がひょっこり顔を出した。


「ねえ真実ちゃん。これでも貴ちゃんは嬉しくてたまらないんだからね。ずっと『真実はまだか。真実はまだか』って愛ちゃんに催促してたんだから……もちろん私だって嬉しいよ。お帰り真実ちゃん」

 

 余計なことは言うなとばかりに向けられた貴子の冷たい視線も、まったく気にせず、花菜はニコニコしている。

 見ている私まで思わず笑顔になった。

 

 幸哉に殴られた傷が日ごとに増えていく私を、「真実ちゃん大丈夫? 本当に大丈夫なの?」とずっと心配してくれていた優しい花菜。

「平気だよ」と嘘を吐き続けてきたその笑顔に、もう嘘をつかなくてもいいことが、何よりも嬉しかった。

 

「こういうことだから、大人数の講義はほとんど真実も出席にしてある。でもさすがに少人数のは無理だったから、テストでがんばるか、また来年だね……わかってると思うけど、休んでたぶんの授業内容を聞くなら貴子にね。まちがっても私には聞かないで!」


 朗らかに笑いながら、こそこそと小さな声で報告してくれる、大好きな愛梨。

 

 大学に来なくなった私にも、直接連絡を取り続けてくれた愛梨がいたからこそ、私はこの場所に帰ってこれた。

 どんなに感謝したって、とてもしきれない。

 照れたように笑う顔に、本当に頭が下がった。



 

「それにしても良かった……真実の目が覚めて……」


 昼休み。

 特別棟の三階にあるカフェテリア。

 丸いテーブルを挟んで真向かいに座る貴子は、眼鏡越しに、まるで探るように私の表情を観察している。

 

「うん。そうだね」


 素直に頷いた私に、貴子の目の鋭さがほんの少し弱まったように感じた。

 

 幸哉とのことが、辛い思い出ばかりになってしまったのは悲しいが、確かに今の心境は、やっと悪い夢から抜け出せた気分だ。

 貴子の言葉は正しい。

 

「まだしばらくは安心できないけどね……」


 用心深く周囲を見回す愛梨に、取り成すように花菜がコロコロと笑う。


「大丈夫だよ。きっと」

 

 私もそっと、周囲の様子をうかがってみた。

 私たちの大学には、もっとちゃんとした食事ができる食堂が三つもある。

 だけど私が幸哉に会う可能性が少しでも減るようにと、なるべく人が少ないこの場所をみんなが選んでくれた。

 

 昨日あんなことがあったばかりで、幸哉が大学に来ているとは思えなかったけれど、ひょっとしたらと考えると、やっぱり怖い。

 私を守るように、みんなが取り囲んでくれていることが心強かった。

 

 私は、やっと幸哉に別れを切り出せたことを、みんなに改めて報告した。

 幸哉を露骨に嫌っている貴子は、大きなため息を吐いて腕組みをし、何度も頷いた。

 

「当然だ。というか……まだつきあってたのか?」

「うん。この間まで」


 私は曖昧に笑った。

 

「長い間、ご心配をおかけしました」


 テーブルに手をついて頭を下げる私の頭上から、花菜の優しい声が降ってくる。


「うん。ほんとに心配したんだよ」

 

(ああ……私にはもう、帰る場所もないって思ってたけど……そんなことなかったんだなぁ……)


 コツンとテーブルの上に頭を置いたまま、みんなの笑顔を見上げていると、胸の奥につかえていたものが、少しずつ溶けていくのを感じた。

 

(またここに帰ってきても良かったんだ……私はまだやり直すことができるんだ……!)


 そのことが何よりも嬉しい。

 

(少しずつでもいい……『彼』の隣にいるのにふさわしい人間に、私はなりたいから……!)


 私の心にはやっぱりいつも、ど真ん中に海君がいた。

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