なろうの上位作品って同じようなやつばっかりで飽き飽きしないの?
よろしくお願いします!
※文中に登場するランキングは、基本的に日刊ランキングを指しています。
前書き
小説を読もうのランキングを見ると、同じようなタイトルばっかりだなと思うことはありませんか?
私はあります。最近だとざまぁ系とかよく目にするような気がしますね。 皆さんはどうでしょうか?
私は、似たような作品ばかりが掲載されているランキングを見てふと思い出したことがありました。
この現象って今に始まったことではないんですよね。私は4~5年前に初めて小説家になろうというサイトと出会ったのですが、その頃は異世界転生が大流行していた時期で、それを批判するかのように、同じようなことを言っていた方が多々存在したと記憶しています。
その頃の私は、なろう作品は個性のない作家が書いた作品を個性のない読者が読む世界と決めつけていました。
何番煎じか分からない、「あらすじかよ!」と思わず突っ込んでしまうような無駄に長いタイトルをつけ、肝心の文章も改行すら出来ていないお座なりな物で、なぜ理由もなく気持ち悪い程に主人公に好意を向けるある種の記号のようなヒロインがのさばっていました。
なろう系などと揶揄され始めたのその頃であったと思います。
勿論面白い作品も沢山ありましたが、それ以上に、似たような作品ばかりが掲載されるランキング(その頃のランキングはジャンルの細分化制度などはなく、総合ランキングしかなかったので、本当に同じような作品しかなかった)に嫌気が差した私は、そんままなろう作品を読むことを辞めてしまいました。
ところが、新型コロナウイルスの影響で、家に居る時間が増えると同時に、手持ち無沙汰な時間が増えたので、ふとなろうのことを思い出し、再び戻ってきました。
戻って感じたことは、正直、昔抱いた感想は強ち間違いでもなかったのかなと思いました。
しかしながら、私はただ批判したいわけではなく、どうして上記に挙げたようなことが発生するのかということを自分なりに考えて考察してみました。
これから扱う題材を下記に述べましたので、興味があるものだけでもご覧になって頂けたら幸いです。
そして、全文は一個人の意見でしかないので、賛否両論あると思いますということだけ、ご了承ください。
(1)なろうの作品の質ってぶっちゃけ低くない...?
(2)どうしてこのジャンルが流行るんだろう?(ざまぁ系やスローライフ系など)
(3) 終わりに
(1)なろうの作品の質ってぶっちゃけ低くない...?
「作品の質が低い」と銘打っおきながら言うのはあれなんですが、質が低いって実は定義がかなり曖昧だと思います。
オリジナリティのないストーリー展開であるとか、文章のレベルが低い(文章構成力、心理理描写などの少なさや語彙力の無さなど様々)とか、やけに長いタイトルであるとか、色々あると思います。
これって正直仕方が無い側面がかなり高いと思います。答えは簡単で素人だからです。いきなり右も左も分からない人間に、いきなりプロレベルの要求をするのは酷ですよね。更に言えばなろう作品は全て無料です。
他にも、「お前が書いてから言ってみろ!」と思う方も沢山いらっしゃるでしょう。
「こういった意見は議論が進まないから一旦忘れて頂いて」と言って見て見ぬふりはしません。正直言うと、そうしたい気持ちは山々ですが、それも立派な意見の一つだと思います。
しかし、それにしてもどうなんだろうと思う気持ちがあったので、自分なりに考察し、筆を運んでいる次第です。
一つづつ見ていきましょう。
1, オリジナリティの無いストーリー展開について
オリジナリティの無いストーリー展開とは、まさにランキング(特にハイファンタジー)のタイトルを思い出して頂けると分かりやすいと思います。
今だったらざまぁ系とか婚約破棄物とかでしょうか。
なぜ、似たような作品がランキングに浮上するのか、その理由の答えは簡単で「流行っているから」としか言いようがないと思います。
ただ、そんな当たり前のことを言っても、何の面白みもないので、今回はもう一歩踏み込んで、「なぜ同じような作品ばかりが飽きもせず読まれるのか」と言うところを考えてみましょう。
なろう作品を一言で表すと、まさにインスタントな存在と言えると思います。
それは作者にも読み手にも作品にまで当てはめることが出来ます。
作者は作品を書くにあたって、大きく二パターンに分類できると思います。一つ目は人気者なって欲を言えば書籍化もしたいという方、二つ目は自分の書きたいものを書きたいの二パターンであると思います。
まあこの二つが内在している人のほうが多いでしょうが、どちらの割合がより高いかで考えてください。
ここで論じているのは前者のパターン。
手っ取り早く人気になるにはどうすればいいか。当然今人気の作品を書けばいいですよね。そしてそこには具体的な設定なんかは必要ないんです。それっぽければいい。寧ろそれっぽいことが重要なんです。なぜならそれっぽい物に読み手は飛びつくから。
例えば「Sランクの冒険者グループになった途端無能扱いされて強制的に抜け出させられたけど...(中略)最強の力が目覚めてざまぁ」みたいな作品があるとしましょう。
それっぽくないですか?
私は具体的な作品を思い浮かべて書いてはいません。3 秒くらいで適当に考えました。
しかし、これでいいんです。それっぽいから。
このタイトルを簡単に分析してみましょう。
Sランク冒険者という地位から強制的抜け出させられた=きっかけです。’’強制的’’など自らに非はなく、不可抗力であるという点があるとよい。
最強の力が目覚めて=主人公最強物であることを示唆している
ざまぁ=流行りのジャンルであることのアピール
こんな感じにしておけば、あとは一定の数の読者が勝手に食いついてしまうのでしょう。
普通に考えればですよ。Sランク冒険者まで登り詰める集団の中枢に無能なんている訳がないですよね。
他にも今は流行りの婚約破棄物。
普通貴族間の政略結婚が、王子に好きな人が出来たからなんて陳腐な理由で婚約破棄なんてことが起きるはずないですよね。一般教養ないし常識を持つ人ならばすぐに分かることです。
普通ならば、こうした矛盾を作品内ではどう解決するのかが物語に問われてくるし、そこが作品の根幹を担うオリジナリティに発展していくはずです。
しかし、読み手はそんなことは考えず、それっぽいタイトルを見て、何も考えず即座に飛びつきます。そして一時の快楽だけがそこに存在すればいいのでしょう。
作者は深く考えることなく即座にそれっぽい設定を考え、即座にそれっぽい作品を書きあげ、即座にどれっぽい作品に読者は食いつく。
こうして、インスタントにオリジナリティの無い’’質の低い’’作品が蔓延するのでないかと思います。
別にその現象は仕方のないことだと思いますが、こういった作品がランキング上位に入ってしまうことで、無限ループのようになっていくことが問題なのかなと個人的に思っています。
2, 文章力が低い?
なろう作品で上位に位置するものを読んで思ったのは、文章力がないということです。これも別に難しいことを要求しているのではありません。
例えば改行がされていない。これには正直驚かされました。ランキング上位に少ない数ながらもこうした作品が掲載されていることにも驚いたし、コメントでそれを指摘する読者がいないのかなとも思いました。同時にこういったことにすら疑問すら抱かないのは、本当に小説に興味がないんだなと思いました。
もう一つ思ったのは、これはほとんど全てのランキング上位の作品に共通していることだったんですが、異常に文章と文章の間が空いているなと思いました。
こうすることのメリットは何個かあるのだと思います。
一つ目に、読みやすい。
二つ目に、スピード感が出る。
三つ目に、1話の分量が多く見える。
ただ、一方で小説として読むとなると、やはり稚拙な文章に見えてしまうことは否めないと思いました。
でも、最早そこはどうでもいいのでしょうね。
前述したとおり、私が小説家になろうの作品を見て、一番強く感じ、また問題だと思ったことは、小説家になろうの作品は、小説であることを全く重要視していないのかなと思いました。
だから、心理描写も多分必要ないんでしょうね。
登場人物が怒ったら、「殴りかかった」とか「胸倉を掴む」でいいのでしょうし、悲しくなったら「涙を流した」で良いのでしょう。
読者は多分、キャラクターの揺れ動く感情の機微なんてものには興味がなくて、ただ無双する主人公と、主人公を妄信的に好きになるヒロインと、引き立て役のかませ犬が、フォーマットな行動を取ることだけを考えているように感じました。
これがなろう作品の文章力が低いと感じてしまう要因なのかなと思いました。小説であることを軽視しているので、文章がそれっぽければ問題なく、そうなれば文章力が低いと感じることも必然なわけで。
タイトルが長い点については、仕方が無いと思っています。たくさんの作品が存在するので、少しでも目を引かせる必要があるのでしょうから。
しかし、これもまた作品が軽いものになってしまう危険性はあるのかなと思います。
批判と擁護で半々レベルにしたかったのですが、批判がかなり多くなってしまいました。次はなぜそのジャンルが流行るのかについて考察していきたいと思います。これは余り批判の文章は無いようにしていきたいと思います。
(2)どうしてこのジャンルが流行るのか
私が思うに、今流行っているジャンルは、ざまぁ系と婚約破棄物であると思います。実はこの二つには共通する物が多々あるなと思うのですが、まずはざまぁ系を取り上げていきましょう。
私が初めに思ったのは、ざまぁ系と復讐系は何が違うのかということです。
どちらも敵に報復を遂げるという意味では似ていると思いませんか?実際どう違うのか疑問に感じた方も少なからずいると思います。
私の考える結論を言いましょう。
復讐系は敵に報復を遂げるまでの道筋がストーリーの根幹だが、ざまぁ系は敵に報復を遂げることが既に約束されていることに違いがあるのだと思います。
なぜそう思ったのかを説明していきたいと思います。
でもこれ説明するのは簡単で、ざまぁの由来である、「様を見ろ」の意味を調べればいいだけなんですよね。様を見ろは人の失敗を嘲る時などに使われます。
例えば、テレビドラマの悪役が最期に痛い目にあった時に視聴者は様を見ろと思うわけですね。
実はざまぁってストーリーの根幹を担う大事な要素なんです。
上記の例で説明すると、敵役が様を見ろって思うってことは、主人公サイドの勝利が確定する瞬間でもあります。
ざまぁはストーリーの結末を示唆するものなんです。
だからこそ、わたしはざまぁ系が流行ることには疑問も覚えます。私がなぜそう思うのか?
例えば、復讐物で有名なアニメである、コードギアスを例に考えてみましょう。分からない方にもの凄く簡単に説明すると、母を殺し、自分を捨てた祖国に復讐するというストーリーです。
もしコードギアスのタイトルがコードギアス 反逆のルルーシュ~祖国に勝つことは確定~だったらどうでしょうか?
思わず笑ってしまうと思います。
でもざまぁ系ってそういうことなんですよね。主人公は絶対の敵に勝つよってことを明言している訳です。
これはストーリーを書く上では致命的なようにも思えますが、読者的にはある意味気楽ですよね。なぜなら、主人公サイドが勝つことが確定しているから。
こういったストレスフリーが確約しているからこそ、流行したのではないかと思います。
これは婚約破棄物にも全く同じことが言えます。
なぜならざまぁ系と婚約破棄物のストーリー構成は物凄く似ているからです。
具体例として、まずざまぁ系から考えます。
例えば「Sランクの冒険者グループになった途端無能扱いされて強制的に抜け出させられたけど...(中略)最強の力が目覚めてざまぁ」みたいな作品が仮に存在するとしましょう。
Sランク冒険者という地位から強制的抜け出させられた=きっかけです。’’強制的’’など自らに非はなく、不可抗力であるという点があるとよい。
最強の力が目覚めて=主人公最強物であることを示唆している
ざまぁ=流行りのジャンルであることのアピール
こんな感じのタイトル構成です。
次に、婚約破棄物を考えて観ましょう。
例えば「公爵令嬢の私は第一王子に一方的に婚約破棄されてしまったけど、最強の魔法の力に目覚めて王族より力を持った貴族に成長しちゃいました」みたいな作品が仮に存在するとしましょう。
一方的に婚約破棄=きっかけです。主人公サイドには非はなく婚約破棄されます。
最強の魔法の力に目覚めて=主人公サイドが圧倒的に有利であることの示唆
王族より力を持つ~=ざまぁストーリーであることの示唆
このように見るとざまぁ系と婚約破棄物のストーリーが極めて似た構成であると理解して頂けたと思います。というか婚約破棄物は最早ざまぁ系の一つと言っても過言ではないかもしれないですね。
結論として、この二つのジャンルが流行っている理由はストレスフリーが確約されているからであると考えます。
折角上記で例に挙げたので、最後にスローライフ系を語って終わりとさせて頂きます。
スローライフ系の話って実はかなり似たようなジャンルがあります。何だかわかりますか?
正解は日常系作品です。
なぜその結論に至るのか説明していきましょう。
さて、ファンタジー作品(特別ファンタジーに限定する必要もないが)を書く上で、避けては通れない重要なことがあります。
それは作品の終わり方ないしは、主人公サイドの最終目的です。
例えば異世界に転生するにしても、なぜ転生したのかとか、何を主人公は目的に行動しているのかがないと、作品はぐだります。
書き手はどうやってストーリーを展開していくか分からなくなっていくし、読み手も、主人公は何がしたいんだ?と疑問を感じ、それが分からなければ物語を読むことを諦めてしまうでしょう。
基本的に人気の作品は、主人公サイドの目的がはっきりしています。
例えばワンピースならゴールド・ロジャーが残したワンピース(お宝)を探すことが目的だし、鬼滅の刃なら、妹を鬼から人に戻すことが目的ですよね。
この目的がはっきりしていることで、読者はストーリーに集中出来るわけです。
しかし、この最終目的を決めることはかなり難しいことです。異世界転生するというきっかけを採用しても読者は何も言わないでしょうが、終わり方まで一緒であれば、それは完全なパクリであり、読者からも批判が殺到するでしょう。
目的は思い浮かばない、でも異世界転生物は書きたい。この悩みに直面した時に、初めてスローライフ系の作品を書いた人は恐らくこう思ったでしょう。
目的がないなら、ないままでいいじゃん!
そして、目的がなくただほのぼのとしたストーリー展開する作品は何でしょうか?まさに日常系アニメです。
しかしながら、異世界でのスローライフ系を最初に考えた人は素晴らしいと思います。普通異世界と言うと冒険や戦闘が第一に思い浮かばれるし、戦闘とほのぼのは、まさに水と油の関係ですから。
そして先程まで話題にあがっていたざまぁ系と、今話題の中心であるスローライフ系の、一見正反対の二つには、実は最大の共通点があります。
その共通点を考えながら、あと少しだけお付き合い頂ければと思います。
先程、戦闘とほのぼのは水と油の関係と言いましたが、この二つを両立させるにはどうしたらいいでしょうか?
答えは簡単。戦闘をほのぼのさせればいいのです。ほのぼのさせる、要は戦闘に緊張感と言うものを無くせばいいわけですね。
そして、その解決策は主人公を最強にすればいいのです。
それこそLV999みたいな設定にすれば、基本的にはどんなモンスターも雑魚キャラです。富と名声を簡単に得て、かわいい女の子と旅でもすればいいわけですね。
さて、ここまで来ればざまぁ系とスローライフ系の最大の共通点は何かわかりますね?
そうです!ストレスフリーが確約されているという点です。
結論として、なろう作品はまだまだストレスフリーの作品が流行するのかもしれません。何かなろう作品の新しいフォーマットスタイルを確立させたいという方は、ストレスフリーという点に着目すると、新しい流行が生み出せるかもしれないですよ!
(3)終わりに
ここまで、作者の愚痴と私見を長々と書いてきましたが、いかががったでしょうか?
なるほど!と思った方がいれば嬉しいですし、それは違うと思った方がいても、新しい思案材料の一つに、このエッセイがなってくだされば、それに勝る喜びはありません。
あと一つ付け加えるとすれば、私は異世界転生ものは大好きです。「無職転生」「幼女戦記」「リゼロ」と他にもかなり多くの数の作品を読みました。特になろうの異世界転生物は結構な数を読みました。
だからこそ、今の小説を軽視し、単なる短期快楽のおもちゃとして小説を扱っている今のなろうの現状に思うところがあり、こうして長々と文を書き連れました。
ここまで、長ったらし文章を読んでくださった読者に感謝して、このエッセイを締めさせて頂きます。