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やや緩い雰囲気の中、時間にして二時間ほど、キマイラ討伐に向けた予行演習を重ねた。
一連の流れを何度も繰り返し、動きのタイミングや距離感を細かく確認し、疑問に思うことがあれば話し合ってひとつずつ解消させる。
そうして、少しずつではあるものの、時間が経つごとに皆の連携は向上していった。
「ふう……最初に比べれば随分と良くなってきたな。これが実戦で出せれば、何とかなりそうだな」
「おお、キースさんがそう言うなら安心ですね!」
「まぁ、俺の方はもうちょい時間が欲しい所だけどね。この盾の扱いとかさ」
ティアから借り受けた盾を弄りまわしながら、キースは呟く。
「私はこの練習を通じて、キマイラの事がかなり理解できました。今の私なら、キマイラの仲間になれそうです」
「魔物側に寝返る気かよ。そもそも魔物とは意思疎通できんぞ。というか、ティアはいつもこんな感じなのか? さっきの練習中も、誰かが間違える度に『私を超えるまで、諦めちゃダメ』とか言ってたし……ここまで変な子、初めて見たわ」
その発言に驚き、キースの元へ近づくと、両肩を掴む。
「ちょっと待ってください。変な子って何ですか。私、そんな変ですか!?」
圧の強さにたじろぐキース。
ティアの顔は真剣そのものだ。
「いや、どう考えても変だろ。なんでお前を超えなきゃならんのよ」
「だって、私を超えないとキマイラにはとても勝てないじゃないですか」
「その基準どう考えても不要だろ。何のためにそんなこと言ってたのか理解できんわ」
「叱咤激励ですよ!」
「普通に『頑張れ』とか『諦めるな』って励ましてくれよ。これでリーダーやっているってのが不思議で仕方ないよ」
「頑張れ諦めるな頑張れ諦めるな頑張れ諦めるな頑張れ諦めるな」
「俺のこと追い詰めてんの?」
キースは掴まれた手をほどいてツッコミを入れる。
すると、ハーシィがにこやかに笑顔を浮かべながら、ふたりの会話に割って入った。
「ティアちゃん、ちょっとヘンな所があるでしょ。でも皆のことをよく見ているし、いつも明るくキラキラさせたい、って思ってるのよ。聖術師としてもちゃんとしてるしね。だから、このパーティーで最もリーダーに相応しいのは彼女なの」
「僕もそう思ってる。何より彼女が声を掛けてくれなかったら、僕らがこうして一緒に居ることなんてなかったと思うしね。ウチのパーティーはこの子が中心になって回っているんだ」
ウルミスも会話に混ざる。
ふたりとも彼女のことを評価しており、その言葉にティアは誇らしげな顔をしながら小さく頷いている。
「おふたりとも、キースさんにドンドン言っちゃってください!」
「めっちゃ調子に乗ってるぞこいつ……まぁいいや。意味わからんことを言ってるのに擁護されるくらいの人望があるのはわかった。俺の中で変な奴という評価は変わらんけどな」
やれやれ、と肩をすくめるキース。
そして後方へと振り向いた。
「じゃあ、行こうか。多少は準備もあるし」
「よし、皆の者。キースさんの後についていこうぞ!」
「一体何者を演じてるんだよ」
皆に向かって右手の拳を元気よく突き上げるティアのすぐ後ろで、キースは通り抜けざまにそう言いつつ、目的地へと歩き出した。
穏やかな風が草木をなびかせる中、なだらかな丘陵を道なりに進み続ける一行。
先頭を歩むキースのすぐ後ろには、地図を眺めながら歩くティアがいる。
少し離れて、ウルミスとサリサが親子のように手をつないで歩いており、最後尾にミッシェルとハーシィが続いた。
丘陵を上りきった所で、ぽつぽつと寂しそうに広葉樹が立つ雄大な草原が広がる景色が現れた。
その先には小さな山が見え、裾もとには森が広がっている。
「お、目的地の森ってあれか?」
「そうです。この森のどこかにキマイラがいるようです」
「それにしても、まさか盾役をやる日が来るとはな……」
少し緊張した面持ちでキースは呟いた。
「キースさんなら絶対に大丈夫ですよ。だって私たちより等級が上だし、凄いじゃないですか。絶対できますって」
「今日初めて会った人間に随分と信頼置くねえ。俺そんなに盾役できそうに見えるか?」
「いえ、よく個性は褒めて伸ばすって言うじゃないですか」
「子供か俺は。もう29歳だよ。俺の中ではおっさんに片足突っ込んでる状態だよ」
「29歳児ってことですね」
「児童の枠から外れてずいぶん経ってるわ。むしろお前のほうが児童に近いだろうが。歳いくつだよ」
「女性に年齢を聞いちゃうんですか? キースさんは女心がわかってないなぁ。19ですよ」
「その勿体ぶり方で何か得られたか? どう考えても今の流れでは年齢教えないだろ……つか、19か。また随分と若いな」
ティアが立て続けにボケで会話を進め、キースはぶっきらぼうながらも立て続けにツッコミを入れる。
だが、本人は気付かぬものの、それによって緊張がほぐれていた。
「――なぁ、みんなを率いるのって大変じゃないのか?」
ふと、キースは真顔になり、ティアに問いかける。
「大変ですよー。元々、私たちはパーティーを組むまでお互いのことは知らなかったですし、それどころか年齢も出身も結構違いますから。始めの頃は上手くいかないことが多くて、よくひとりで夜中に泣いてましたよ」
「そりゃ意外だな……そんなに頑張ってまで、やりたいことがあるのか?」
「はい。冒険者として有名になって、会いたい人が居るんです」
「へー、どんな人? ミーハーだから有名人?」
「そうですねぇ、確かに世間一般から見たら有名人ですね。私から見ると、凄くて少し変わった性格の姉なんですけどね」
「ティアも十分変だと思うけどな。しかし、有名にならないと会えないなんて、随分と訳ありだな」
その言葉に、ティアは口元をほんの少し緩ませるが、瞳には憂いが見える。
キースは何かを察したのか、無理に聞き出そうとはせず、心の内にそれを留めて気分を変えるべく背伸びをした。
ふもとに広がる森林の入口付近へと到着した皆は、足を止めると、視線を森の奥へと移す。
中はうっすらと暗く、静けさが不安をかきたてる。
「それじゃあサリサ。さっき言った通り、キマイラを探して森の外まで誘導してほしい。見た限り、かなり広い森のようだから時間はかかるだろうけど、焦らずにな。決して無理はせず、自分の安全を第一に行動してくれ」
サリサは緊張した面持ちで、黙ってコクコクと首を縦に振る。
予行演習の賜物だろうか、少女が自分を拒絶しなかったことにキースは安堵し、ほんの少し表情を和らげた。
「そうだ、ちょっとこれを」
杖の先端部分に付けられた宝石を、少女の額に優しく当てる。
そして詠唱をつぶやくと、ふたりの体表がほのかに青白く輝きだし、すぐに光は収まった。
「これで、耳に手を当てて話しかけてくれれば、遠く離れても互いの声が届くように魔術を掛けた。何かあったら呼んでくれ。ただし、三回までしか使えないから、そこは注意してくれ」
「サリサちゃん、頑張ってね!」
ハーシィは両手に拳を作り、腕を曲げたまま前に出す。
サリサも同じように拳を作ると、それをハーシィと突き合わせた。
そして背負っていた弓矢を手に持ち、森の中へと颯爽と走り去っていった。
「と言う事で、サリサが無事にキマイラを引き連れてくるのを祈りつつ、こっちは迎え撃つ準備を進めよう。あの辺りで迎え撃つつもりだから、念のため問題が無いか、今のうちに確認しておこう」
すぐ右側にある、何もない場所を指さすキース。
「それじゃ、各自散開!」
皆バラバラに別れ、周囲に敵が隠れていないか、不自然なものがないかを確認する。
キースが広葉樹の影や地面を確認していると、上の方からティアの声がした。
見上げると、そこには太い枝の上で優雅に座っているティアがおり、キースに向かって手を振っていた。
「あら、キースさん。被っちゃいましたね」
「そんなところに居たのか。何かいたか?」
「鳥の巣があるくらいです。幸い、可愛い小鳥さんはいませんでしたよ」
そう言ってティアは颯爽と飛び降り、綺麗に着地した。
キースは彼女の白い聖衣には汚れが少しついていたことに気付いて目線を向けていると、ティアがそれに気づいたようで、汚れた部分を軽く手で払い除ける。
「さっき地面の穴からリスが出てきましたよ。モンスターが居ないってことですかね。あと、この付近は地形が入り組んでないから動きやすそうです」
「裏を返せば、地形を使った小細工は出来ないとも言えるな」
「そういえばキースさん、杖と短剣をそれぞれ持つんですか? 大変そうですね」
ティアはキースが背負っている杖と、腰に携えた短剣を交互に見る。
「ああ、術を使う時だけ持ち替えなきゃいけないから、面倒だよ」
「早く呪いが解けると良いですね。そうすれば、キースさんの本当の姿が拝めるんですよね」
「姿形は別に変えられてねえよ。何の物語だよ……そんなに変な見た目か?」
「普通ですね」
「そこはもう少し言い様があるだろ」
「それはそれとして、どれくらい呪われているんですか?」
「お前の会話、好き勝手し放題だな……まぁ、3年前だな。当初は殆どが使えなくなってたけど、ようやくいくつかの術はまた使えるようになったよ。でも、まだまだだ」
その時、ティアは両手を軽くポンと叩いてから、キースを指さす。
「お、もしかして冒険者になったのは力を取り戻すためですか?」
「そうだよ。そのために金が必要でね。それ以外にも冒険者になった理由はあるけどね」
「へー、気になっちゃう言い方しますねー。残りの理由を教えてくださいよ」
「良いけど、雑談になるからこれ以上話すなら後にし――」
突然、何かに反応したように話を中断し、森の方へ振り向くキース。
耳に手を当て、「そのまま少し待っててくれ、準備が終わったらまた連絡する」と呟いてティアの方を振り向いた。
「サリサがキマイラを見つけた。皆と合流しよう!」
ふたりは迎撃地点に戻ると、既に三人とも偵察を終えて戻ってきていた。
サリサが敵を発見したことを皆に伝えると、それぞれ戦闘の準備に取り掛かる。
「補助系の術、かけますね」
「ああ、頼む」
ティアは自分を含めた前衛三人に、身体能力を向上させる聖術と、敵に対する攻撃の推進力を高める聖術、そして敵からの攻撃を緩和させる聖術を施した。
ハーシィは皆の中央に移動し、身体でリズムを刻みつつ、ハープの弦をしなやかな指で弾く。
繰り返し奏でられる、テンポの速い音色で紡がれる美しい旋律は、周囲に響き渡ると皆に力を与える。
キースは鞄から取り出した軽盾を左手に持った。
そして皆を見渡して、準備ができたことを確認すると、声を立てた。
「今からサリサに合図をする」
皆、無言でうなずいた。
ティアは全体を見通せるように最後尾に回り、ウルミスとミッシェルはそれぞれ双剣と槍を構えて、キースから離れた両翼部分に位置している。
「サリサ、こっちの準備は終わった。いつでもいいぞ」
キースはサリサに準備完了の旨を伝えた後、森の方を見据え、集中する。
張りつめられた空気の中、森から何かが飛び出してくるのが見えた。
「サリサ!」
キースが即座に反応し、声を上げた。
時々、後ろを振り返りながら、全速力でこちらへと走ってくるサリサ
それから数秒ほど経った頃だろうか、それを追いかける、獅子の右頭部と山羊の左頭部、そして蛇の尾を併せ持つモンスターが森の中から現れた。
「来たッ、キマイラだ!!」
森から出てきたキマイラは、力強い走りでサリサを猛追する。
皆、その姿を見て、先ほどの作戦会議を思い浮かべた。
――――――
「まず、キマイラを森から引っ張り出さないとな」
「ん、どうして?」
ハーシィは疑問を顔に浮かべる。
「キマイラが動けるだけの広さがある森とはいえ、その中での多対一は動きづらいから難しいんだよ。何より、不慣れな事をやる俺がキツイ」
「なるほど」
「だから、早く動けるヤツがキマイラを威嚇して、引っ張ってくるのがいいな。できれば、森に逃げ込まれない程度に距離を取りたい」
「それなら、間違いなくサリサちゃんが向いてますよ。速足の加護が込められた靴を履いているから、とっても俊足ですよ。木の上も自由自在に動けますし。ね、サリサちゃん」
ティアはサリサの肩に腕を回して抱き寄せる。
サリサはビクッと一瞬驚き、戸惑いの表情でティアを見上げた後、彼女の視線の先に居るキースと目を合わせる。
そこには、落ち着きながらも真剣な表情で少女を見据えるキースの顔があった。
その視線に不安を感じ、反射的に目を逸らす。
しかし、すぐに見返すと、たどたどしくも声を絞り出した。
「あ……えと……が、がんばる……」
その口調に反して、目を合わせることを避けてきたとは思えない、真剣な眼差しで必死にキースの瞳を見返す。
そこに映る意志に、キースは決断を下した。
「わかった、期待してる。でも無理はするなよ」
――――――
サリサはかなりの速度で皆の元へと戻ってくるが、キマイラとの距離は、次第に縮まってゆく。
随分と近づいてきたところで、少女の倍ほどはあろうかという大きさであることが分かった。
キースは杖を強く握り、詠唱を短縮するための詠唱を始める。
「無道流転の虚無よりいでし無窮にて、無垢なる境地に至るは輪廻の超越。自己に秘されし理を以って万物の根源へと遡行せれば、霊妙なる驚異を顕現せしめん」
キースの身体が、一瞬だけ黒い闇に包まれて消えた。
続けて、詠唱を行う。
「遅延の障幕で覆い包め!」
詠唱を終え、杖をキマイラに向かってかざした。
杖の先端から出た赤黒い影が魔物の身体に絡みつくと、それが身体の中へと吸い込まれてゆき、キマイラの動きが鈍る。
「神聖にして黎明たる我らが主よ、その慈悲深き導きに於いて、どうか清らかなる救済の手を差し伸べ給え。そして切なる想いに応えるべく、我に正しき力を与え給え」
ティアの体表に白い光が一瞬だけ淡く輝いた。
「数多の光よ、邪悪を阻む障壁と成れ!」
続けざまにティアが詠唱を口ずさんで杖をかざすと、虚空から無数の光のパネルが生成され、それが連結して障壁となり、キマイラの行く手に現れる。
突如、眼前に現れた聖なる障壁に対し、動きの鈍ったキマイラはそれを突き破ろうと双頭を屈めて突撃するも、壁はバラバラに砕け散って消滅すると同時に巨躯の勢いを完全に止めた。
そのプレッシャーから逃れたサリサは、息を切らせながらもキースを横切る。
それを見届けたキースは、持っていた杖を背に納め、腰に付けていた短剣を引き抜き、左手に持っていた盾を構えて前へと出た。
「よくやったサリサ! 後方で次の準備を頼む!」
サリサは振り向くことなく小さく頷いた。
キマイラを見据えるキースにはその反応が見えなかったものの、声は届いたと確信を持って、相手を見据える視線を維持する。
双頭の魔獣はサリサから狙いを変え、キースを睨みつける。
自身に向けられた殺意の視線に臆することなく、キースはゆっくりと左方へと旋回して、ティア達から相手の注意を引きはがそうとする。
それに連動して、ミッシェルとウルミスも距離を取りつつ、動き出した。
足を止めたキースは、短剣を突き出して挑発した。
「さあ、来いよ……!」