9.少年が『魔王』と遭った日
ちょっと時系列遡ってクラウス目線です
__六年前___
熱い…痛い…。ここは、どこだっけ…。
ハッデルと呼ばれる村からそう遠くない森の中に、少年は横たわっていた。体には無数の傷があり、あちこちから流れる血は月の光に照らされて、少年の虚ろな瞳と同じ緋色に輝いていた。
アリシアは無事だろうか…。孤児の僕を育ててくれた神父様は、あの孤児院は燃やされてないだろうか…。楽しい思い出がいっぱいのハッデルはどうなっただろう…。戻れるなら、いつもの日常に戻りたい。孤児院の皆と、アリシアとバカ騒ぎしていたあの日常に。
なのに何で今ハッデルが襲われなきゃならないんだ、魔王は倒されたんじゃなかったのか。新しい魔王はまだいないはずだ。なのにどうして、どうして魔王軍が襲ってくる…!?
僕はずっとアリシアの笑顔を見ていたかった。いつも明るくて、元気なアリシアの笑顔を見るのが好きだった。かけっこでしか勝てないくせに、ガキ大将ぶってはしゃいでいる姿も好きだった。彼女を見ているだけで幸せな気分になれた。彼女の行動が気になって仕方なかった。気が付けば彼女を目で追っていた。これが恋というもので、僕は彼女が、アリシアが好きなのだと気付いたのはいつだっただろうか。物心ついた時から一緒にいたから、ずっと、ずっと一緒にいれるものだと思ってた。
____ハッデルが襲われた今日までは。
雲が月を隠し、光源のない森は暗闇そのもの。無惨な傷、止まらない紅が、少年は死ぬのだと物語っていた。
ガサァ…と強い風が木々をざわめかせ、少年の肌を生ぬるく撫でるが少年は何の反応も示さなかった。
そこへ森の奥から吹く風に乗って、黒い、どす黒い靄がどこからとなく広がった。そして中心には更に黒い、暗黒の球体が__『魔王』が__現れた。
『死にかけてはいるが、良い器だ』
男とも女とも取れぬ無機質でいて悪感をそそる声が少年へとかけられた。
『少年よ、生きたいか?』
___生きたいか、だって?
体が動かない代わりか頭はやけに回り、『魔王』の言葉を反芻した。
そんなの、生きたいに決まってる。アリシアに会いたいに決まってる。あんな顔させたままお別れだなんて嫌だ。僕はアリシアに待っててって言ったんだ。帰らないと、ハッデルに、アリシアの下に……。
生きたいと願うだけで動かなかった体は嘘のように軽くなり、少年は『魔王』へと手を伸ばした。
「生き……たいっ…!」
無意識に口から溢れ出た言葉は『魔王』を満足させるものだったらしい。おぞましい空気が少しだけ、ほんの少しだけ柔らかく様子を変えた。
『ならば、我に身を委ねよ』
球体は一層黒さを増し、黒い靄で少年と己を包み込んだ。
「うあっ…!?」
何かが体に入り込んできた。自分の体が自分のものではないような錯覚を覚え、痛みに溢れていた体は痺れ始めてきた。思考が覆われ、何かが自分の頭の中を上書きしていくようだ。やがて体の支配権も思考回路も奪われて、眠るように意識を手放した。
しばらくして黒い靄が退くと球体の姿はなく、そこには少年が先程までのように横たわっていた。しかし先程とは違い、体中の傷は癒え、服には血がこべりついたままだというのに、体のどこからも血は流れていなかった。
「うっ…」
やがて少年は虚ろではなくなった目を開き、ゆっくりと体を起こした。閉じては開くを繰り返す己の手を見つめ、まるで最初から死にかけてはいなかったかのようにすっくと立ち上がった。
「お前が噂に聞く『魔王』なんだな。どうやら、僕はとんでもない者に体を売ってしまったみたいだ」
少年は軽やかに、自分に問いかけるように喋りだした。
「この体を癒したからには、魔王として生きろってことなんだろ? いや、もう魔王として生きることしか出来ないのか」
そして自嘲的な笑みを浮かべた。
「生きたいと願っただけで、アリシアも怨んでいるだろう『魔王』になるなんて、僕はとことん神様に嫌われているらしい。生きて人間として会えたら良かったんだけど、どうやら魔王として会うしかなさそうだな…」
体に宿った『魔王』が少年の体を操作し、黒い靄が濃い方へ…森の奥深くへ自ずと足を向けた。
『魔王』が自分の体にいるという実感はなく、寧ろ馴染んでいるようだ。『魔王』が言った“良い器”とはこの事かと他人事のように考えた。
進む足は止まらず目的地さえ分からないというのに、何故か自分の居場所へと向かっているような感覚を覚えた。ハッデルの、自分が育った村から離れていくというのに、あそこ以上に安らげる場所などないというのに。
少し振り返り、村の方を見た。炎は収まったようで、目立つ明かりは見えない。
気づけばポロリと溢していた。遠ざかる安寧の地がそうさせたのかもしれない。
「…………………もっとも、逢えるかどうかすら分からないけど」
小さな声で発せられた言の葉は風に掻き消され、そのまま夜の森へと溶けた。
これが五代目の魔王誕生の瞬間であった。
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