寝顔と理由
雪も解けて久しいとはいえ、5月の夜はまだ寒い。
俺はタープに降りた夜露に張り付いてもがいている虫を、指ではじき飛ばした。
今日は満月か……
タープの下では小さな女の子が寝息を立てている。
天使みたいな顔して寝ているが、こいつは末恐ろしい剣の天才だ。
剣を教えてくれと言われてこうして一緒にいるが、日々の修行の中でスポンジみたいに何でも吸収していっちまう飛那姫は、本当に類い希な子供だと思う。
多分、俺なんかあっという間に抜かされちまうだろう。
そっと手を伸ばして、口にかかった明るい茶の髪をどけてやる。
「んにゃ……」
変な寝言と一緒に、飛那姫が寝返りを打った。
思わず、目尻が下がる。
小動物みたいな寝姿が柄にもなく可愛いと思えるようになった俺も、大分変わったと思う。
「娘がいたら、こんな感じなのかね……」
口にしても仕方のないことを呟く。
ちくり、と胸に痛みが走った。
いつものやつだ。
少し前はこの程度ですんでいたが、近頃では何回に一回か、ひどく痛むようになってきた。
もう治療法がないと言われた、自分の病にあらためて向き合う。
飛那姫に会うまでは、生きていることに執着を持てなかった。
今日死んでもいいとすら思っていた。
それが今ではどうだ?
この子はまだこんなに小さい。
俺が護ってやらなけりゃ、生きていけないだろう。
そう思った瞬間から、俺は死ねないと思うようになった。
せめて、あと2年……1年でもいい。
この子が、自分で生きていける力を持てるまで、俺は元気でいなくちゃならない。
限られた時間をこの子のために、うまく使わなくては。
ぐっと重苦しくなってきた胸元から、俺は小さな布袋を取り出した。
そこから黄色い錠剤をひとつ、口の中に放り込む。
じっとしていると、痛みは波が引くように去って行った。
「弦洛の薬は、よく効くな……」
ため息交じりに呟いて、俺は火の側に座り直した。
これで、どこまで己の体を騙し続けられるのか。
もう一度あの有能な町医師を訪ねて、「まだ生きたい」と言ったら、あいつはどんな顔をするだろう。
少しはあのポーカーフェイスが崩れることを、期待してもいいかもしれない。
想像して唇の端をあげると、俺は傍らの酒に手を伸ばした。
『没落の王女』番外編でした。